その声は味方じゃない
その声は、あまりにも自然に割り込んできた。
――左、踏むな。そこ、落ちる。
俺は反射的に足を止めた。石畳の一枚、ほんのわずかに色が違う。気づけるはずがない。だが、俺は知っていた。
いや、“知らされた”。
喉の奥がひりつく。
「……またか」
ダンジョン第七層。空気は湿っていて、鉄の匂いが混じっている。ここは死者が多い。だから声も多い。
だが今のは違う。
いつもの残留思念よりも、妙に“近い”。
俺は配信ドローンを軽く叩いた。
「……おい、聞こえてるよな。今の」
コメント欄が一瞬で流れる。
コメント:
「え、今のなに?」
「また予知?w」
「いや今ガチで止まったぞ」
「足踏む前に気づくのおかしくね?」
「こいつマジでなんなんだよ」
俺は軽く笑う。いつも通りの顔を作る。
「勘だよ。ダンジョン長く潜ってりゃ、分かるようになる」
コメント:
「嘘つけw」
「絶対なんかある」
「解析班はよ」
「こいつのプレイ動画だけ挙動おかしいんだよな」
「でも助かってるから神」
神、ね。
便利な言葉だ。
死者の声を使ってるだけなのに。
――違う。
“使ってるだけじゃない”。
胸の奥で、何かがざわついた。
俺はその感覚を無視して歩き出す。
慎重に。さっきの石を避けて。
その瞬間、床が崩れた。
ゴン、と重い音。下は針だ。無数の鉄針がびっしりと並んでいる。
コメント:
「うわあああああ」
「ガチ罠だった」
「今の回避やばすぎ」
「なんで分かるんだよ」
「怖いんだけど」
俺は軽く息を吐く。
「ほらな。勘だって言ったろ」
そう言いながら、内心では別のことを考えていた。
さっきの声。
“左、踏むな”。
それだけじゃない。
微妙に、言葉の“質”が違った。
残留思念は、もっと断片的だ。途切れ途切れで、雑音混じりで、感情だけが残っている。
だが今のは、まるで。
“今この瞬間の判断”みたいだった。
――気づけよ。
頭の奥で、誰かが囁く。
俺は思考を振り払う。
「先進むぞ」
俺は歩く。だが、そのたびに声が増える。
――右、壁際。安全。
――三歩先、矢来る。
――止まれ、息潜めろ。
完璧すぎる。
いや、完璧すぎて“おかしい”。
俺はほとんどノーダメージで進んでいく。
コメント:
「無双すぎて草」
「これもう攻略動画じゃなくてネタだろ」
「敵出てこないの?」
「いや罠全部回避してるのが異常」
「こいつBANされないの?」
BAN。
その単語に、少しだけ心が引っかかる。
だが、それ以上に。
視聴数が伸びている。
数字は嘘をつかない。
俺は笑う。
「ほらな、安全攻略ってやつだ」
その時だった。
――嘘だよ。
声が、混ざった。
違う声。
さっきまでの“導く声”とは明らかに違う。
冷たい。
粘つく。
耳の奥にまとわりつく。
俺は足を止めた。
「……今の、聞こえたか?」
コメント:
「え?」
「何が?」
「また演出?」
「怖いこと言うなよ」
聞こえてない。
俺だけだ。
俺だけに聞こえている。
――進め。
――そこは安全。
――信じろ。
同時に、別の声が囁く。
――死ぬぞ。
矛盾。
情報が食い違う。
俺のスキルは“残留思念”。
死者の最後の記憶だ。
なら、どっちが“本物”だ?
俺はゆっくりと前を見る。
通路の中央。
一見、何もない。
だが――
わずかに、床が歪んでいる。
俺は息を吸う。
「……試すか」
コメント:
「え、なにする気?」
「やめろ」
「嫌な予感しかしない」
俺は石を拾う。
そして、思い切り前に投げた。
次の瞬間。
空間が裂けた。
見えなかった刃が、石を粉々に切り裂く。
コメント:
「は????」
「透明トラップ!?」
「見えない罠とか聞いてねえぞ」
「今の死んでたぞ」
「やばすぎる」
俺は小さく笑った。
「……どっちかは嘘だと思ったんだよ」
導く声と、警告の声。
正解は、後者だった。
だが問題はそこじゃない。
“嘘をつく死者”がいる。
それも、俺を“意図的に”誘導するような嘘だ。
今までは、情報の誤差や曖昧さはあった。
だが、こんな明確な“悪意”は初めてだ。
俺は喉を鳴らす。
「……面白くなってきたな」
コメント:
「いや怖すぎだろ」
「今の笑えるのやばい」
「完全に感覚バグってる」
「死者に騙されるとか新要素すぎる」
「てか今までのも嘘あったんじゃ…」
そのコメントで、空気が変わる。
疑念。
ざわつき。
そして――
炎上の火種。
俺は画面を見ながら、わざと軽く言う。
「全部信じてるわけじゃない。取捨選択してるだけだ」
コメント:
「いや今まで全部正解だったじゃん」
「それが怖いんだよ」
「お前本当に人間か?」
「死者利用してるってこと?」
「倫理的にアウトじゃね?」
来た。
この流れ。
俺は肩をすくめる。
「利用? 違うな。“借りてる”だけだ」
言いながら、自分でも分かっている。
それは詭弁だ。
だが、止める気はない。
数字が伸びる限り。
俺は進む。
――やめろ。
また声がした。
今度は、震えている。
怯えた声。
懇願するような。
――使うな。
――俺たちを。
足が止まる。
初めてだ。
“拒絶”された。
今までの死者は、ただ情報を残していた。
だがこれは違う。
意志がある。
感情がある。
俺は小さく呟く。
「……今さらだろ」
その瞬間。
頭の奥が、軋んだ。
視界が一瞬、ぶれる。
知らない記憶が流れ込んでくる。
血。
叫び。
裏切り。
そして――
“俺”が死んでいる光景。
「……は?」
コメント:
「今止まったぞ」
「どうした?」
「顔色やばい」
「大丈夫か?」
俺は額を押さえる。
これは、残留思念じゃない。
もっと深い。
もっと“侵食してくる”何か。
そして、気づく。
さっきの声。
あれは死者じゃない。
“まだ死んでないやつ”の声だ。
つまり――
このダンジョンには、
“未来の死者”がいる。
俺はゆっくりと顔を上げる。
通路の奥。
誰もいないはずの暗闇で、
“誰か”がこちらを見ていた。
そして、口が動く。
音はない。
だが、はっきりと分かった。
――次は、お前だ。
配信はまだ続いている。
コメント欄は気づいていない。
だが俺だけが知ってしまった。
このダンジョン、
“死者の情報”じゃない。
“未来の死”を見せてくる。
そして、
それはもう――
俺を、選んでいる。




