お前はもう“誰か”になっている
――その声は、明らかに“俺のものじゃなかった”。
「……右だ。踏むな。そこ、落ちる」
俺は反射的に足を止める。けれど、その瞬間にゾワッとした。今の判断、俺が考えたものじゃない。考えるより先に、身体が動いた。
まるで、誰かに操られたみたいに。
暗い通路。第七層、未踏破区域。壁は湿っている。空気が重い。配信カメラのレンズに、微細なノイズが走る。
そして、また聞こえた。
「……遅い。三歩戻って、左の壁に触れろ」
「……分かってる」
思わず、口に出していた。
――分かってる? 誰が?
一瞬、思考がズレる。だが足は動く。三歩戻る。左の壁に手をつける。
次の瞬間、俺のさっきまでいた場所が、音もなく崩れた。
奈落。
黒い穴。
底が見えない。
コメント欄が一斉に流れる。
コメント:
「え?」
「今の何?」
「完全に初見殺しだろ」
「なんで避けた????」
「いや今の反応おかしい」
「ラグじゃないよな?」
「見えてたのか?」
見えてたわけじゃない。
聞こえたんだ。
――死んだやつの声が。
「……ありがとう、って言うべきか」
小さく呟く。返事はない。もうその声は消えている。
同じ死者から、二度は聞けない。
それがこのスキル【残留思念】のルールだ。
だが問題は別にある。
さっきの“ズレ”。
俺は、考えていなかった。
判断を“任せた”。
それは――危険だ。
「続けるぞ」
カメラに向かって言う。喉が少し乾いている。
コメント:
「冷静すぎて怖い」
「今の落ちたら即死だぞ?」
「いや神回確定だろこれ」
「でもさ…なんで分かるの?」
「毎回ギリギリすぎる」
「ネタバレ見てるとしか思えん」
ネタバレ、ね。
違う。もっと悪い。
俺は“死体の残りカス”を拾ってるだけだ。
だがそれでも、結果は同じ。
誰よりも安全に進める。
誰よりも深く潜れる。
だから――見られる。
数字が伸びる。
金になる。
「次、分岐だな」
通路が二つに分かれている。
右は広い。左は狭い。
普通なら右を選ぶ。
だが――
「……左だ」
言った瞬間、自分でも違和感があった。
“誰の声も聞いていない”。
なのに、断言した。
コメント:
「なんで?」
「今のは根拠なくね?」
「右広いじゃん」
「さすがに適当じゃね?」
「調子乗った?」
違う。
“残ってる”。
さっきの死者の“癖”が。
思考の残滓が、まだ頭の中にこびりついている。
俺はそれを、自分の判断だと錯覚している。
「……っ」
頭が痛む。
軽いノイズ。耳鳴り。
それでも俺は、左へ進んだ。
細い通路。圧迫感。足音が反響する。
数歩進んだところで――
カチッ。
音がした。
「やば――」
反射的に跳ぶ。
次の瞬間、背後の通路が槍で埋め尽くされた。
もし右に進んでいたら?
同じトラップが、もっと広範囲で作動していた。
逃げ場はなかった。
コメント:
「は??????」
「また当てた」
「意味わからん」
「なんで分かるんだよ」
「こいつ怖いって」
「いやもう確定だろ、何かやってる」
息を吐く。
「……偶然だよ」
そう言いながら、自分でも分かっている。
偶然じゃない。
“借りてる”。
死者の判断を。
それが積み重なって、俺の中で“自分”を侵食してる。
「次で、ボスだ」
口が勝手に動いた。
その瞬間、配信が一瞬止まる。
ノイズ。
画面が歪む。
コメント:
「は?」
「ボスって確定情報出てないだろ」
「なんで知ってるの」
「ガチで怖い」
「通報しとくわ」
そのとき。
背後から、声がした。
「……違う」
冷たい声。
さっきとは別の声。
低い。濁っている。
「ボスは……前じゃない」
「後ろだ」
ゾクッとした。
振り向く。
誰もいない。
だが、気配がある。
そして――
通路の“入口側”が、ゆっくりと閉じていく。
「……は?」
おかしい。
ダンジョンが“動いている”。
構造が変わっている。
ありえない。
そんな仕様、聞いたことがない。
コメント:
「え、待って」
「マップ変わってる?」
「そんなギミックあった?」
「嘘だろ」
「詰んだんじゃね?」
心臓が跳ねる。
そして、さっきの声がもう一度。
「……騙されたな」
冷たい笑い。
それは、“助言”じゃなかった。
悪意だ。
死者の中に――“嘘をつくやつ”がいる。
「っ……!」
理解した瞬間、背筋が凍る。
これまで聞いてきた声。
全部が“正しい”とは限らない。
むしろ――
最初から“混ざっていた”?
コメント:
「今の何の声?」
「おい顔色やばいぞ」
「大丈夫か?」
「いやこれ普通に危険」
「配信切れよ」
だが、俺は笑った。
「……面白くなってきた」
最低だ。
分かってる。
でも止められない。
ここまで来たら、引けない。
数字も、金も、全部ここにある。
それに――
知りたい。
このダンジョンの“本当”を。
「ボス、後ろなんだろ?」
振り返る。
閉じかけた通路の奥。
闇が、蠢いている。
その中から――
無数の声が、重なった。
『来い』
『来い』
『来い』
『来い』
耳を塞ぎたくなる。
だが、俺は一歩踏み出した。
コメント:
「やめろ」
「それ絶対罠」
「逃げろって」
「なんで行くんだよ」
「狂ってる」
狂ってるのは分かってる。
でも。
この声の中に――
“答え”がある気がした。
そして、次の瞬間。
俺の視界が、ぐにゃりと歪んだ。
自分の手が、自分じゃない形に見える。
声が混ざる。
俺の中に、誰かがいる。
「……あ、ああ」
笑いが漏れる。
これが、代償か。
死者を使った報い。
人格が、溶ける。
コメント:
「顔やばい」
「目が…」
「これ配信していいやつ?」
「マジで危険」
「誰か止めろ」
止まらない。
もう、止まれない。
そして――
闇の奥から、“それ”が姿を現した。
人型。
だが顔がない。
いや、“顔がいくつもある”。
叫び続ける、無数の口。
そのすべてが――
俺の声で、囁いた。
「ようやく来たな、“俺”」
心臓が止まりかける。
理解した。
これはボスじゃない。
これは――
“残留思念の集合体”。
俺がこれまで使ってきた、すべての死者の“残り”。
そして、そいつが笑った。
「次は、お前が残る番だ」
――配信が、完全に途切れた。




