最後の声は嘘を選ぶ
――その声は、今まででいちばん「優しかった」。
耳の奥で、柔らかく笑う。
まるで昔から知っている誰かみたいに。
「……そっちは違うよ。危ない」
俺は足を止めた。
暗い通路。湿った空気。壁に刻まれた無数の引っかき傷。
ここは深層。
第三区画。未踏域。
そして――死者の密度が、異常だ。
「……また、か」
俺は息を吐く。
最近、声の“質”が変わってきている。
以前は断片だった。
断末魔。警告。短い記憶。
だが今は違う。
会話ができる。
感情がある。
そして――
「……親切すぎる」
俺は小さく呟いた。
配信はすでにオンだ。
――コメント:
「きた深層!!」
「待ってたぞ」
「またなんかヤバいの来そう」
「でもこいつなら余裕だろ」
「いや最近様子おかしくね?」
画面の向こうは熱い。
だが、俺の背中は冷えていた。
「右だよ」
また声。
俺は目を閉じる。
【残留思念】
起動。
視界が歪む。
流れ込んでくる――誰かの“最後”。
暗闇。
足音。
焦り。
そして――
「……逃げろ……そっちは……」
そこで記憶は途切れた。
「……」
俺は目を開く。
今のは“別の声”だった。
さっきの優しい声とは違う。
矛盾。
食い違い。
「どっちだよ……」
俺は笑う。
乾いた笑いだった。
――コメント:
「今のなに?」
「2種類の声?」
「え、怖」
「どっち信じるんだ?」
「外したら死ぬやつじゃん」
そう。
これはもう、“選択”だ。
俺はゆっくりと右を見た。
優しい声が囁く。
「大丈夫。安全だよ」
左を見た。
別の声が、掠れている。
「行くな……死ぬ……」
俺は数秒考えた。
そして――
「……右だ」
足を踏み出した。
――コメント:
「うおおお」
「そっち行くのか!」
「根拠なに?」
「勘?」
「いやいつも当たるから信じるわ」
通路を進む。
一歩。
二歩。
何も起きない。
「ほらね」
優しい声が笑う。
その瞬間だった。
床が、沈んだ。
「っ!」
反射で飛び退く。
次の瞬間、通路の先が崩落した。
奈落。
底が見えない穴。
「……は?」
――コメント:
「うわあああああ」
「トラップ!!」
「死ぬとこだった」
「外れた!?」
「いや回避したのやば」
心臓がうるさい。
今のは完全に――
「誘導、か……?」
俺は呟く。
優しい声が沈黙した。
代わりに、あの掠れた声が言う。
「……だから言ったろ」
背筋が凍る。
今のは――“正しかった”。
「……お前、誰だ」
俺は問いかける。
返事はない。
だが、別の声が笑った。
さっきの“優しい声”。
「失敗しちゃったね」
ぞくり、とした。
――コメント:
「今の声やばくね?」
「完全に意思あるじゃん」
「え、これガチで危険じゃね?」
「死者ってこんな喋るの?」
「怖すぎる」
俺は額の汗を拭う。
「……おかしいだろ」
声が、俺を“騙した”。
今までも誤りはあった。
だが、これは違う。
これは明確な“悪意”。
「なんで……」
問いかける。
沈黙。
だが次の瞬間、別の記憶が流れ込んできた。
強制的に。
「ぐっ……!」
視界が反転する。
知らない景色。
知らない身体。
誰かが走っている。
後ろから――何かが来る。
「こっちだ!」
誰かの声。
振り向く。
そこにいたのは――
“俺”。
「は……?」
思考が止まる。
記憶の中の“俺”が笑っていた。
「安全なルート、教えてやるよ」
その顔。
見覚えがある。
配信のサムネで使ってる顔だ。
自信満々で、余裕で、少しだけ歪んだ笑顔。
「……嘘だろ」
記憶の中の探索者が、俺に従う。
そして――
落ちる。
罠に。
叫び。
断末魔。
そこで記憶は途切れた。
「……っ、はぁ……っ」
現実に戻る。
息が荒い。
――コメント:
「今のなに!?」
「顔色やば」
「おい大丈夫か?」
「吐きそうな顔してる」
「配信止めろって」
俺はカメラを見る。
「……今の、見えたか?」
――コメント:
「いや何も」
「急に固まっただけ」
「どうした?」
「説明しろ」
俺は言葉を選ぶ。
だが、口が勝手に動いた。
「……俺が、殺した」
コメント欄が止まる。
一瞬、完全に無音。
そして――
――コメント:
「は?」
「何言ってんの」
「冗談だろ?」
「え、こいつやばくね?」
「通報案件?」
俺は首を振る。
「違う……違うんだ」
だが、違わない。
記憶の中の“俺”は、確かにいた。
誰かを誘導して。
死なせた。
「……なんで」
呟く。
優しい声が、また囁いた。
「だって君、そういう人でしょ?」
鳥肌が立つ。
「成功のためなら、利用する」
「死者も、生者も」
「区別してないじゃん」
俺は歯を食いしばる。
「……黙れ」
だが声は止まらない。
「だから教えてあげたのに」
「“安全なルート”」
「君が一番喜ぶやつ」
笑い声。
複数。
増えていく。
「やめろ……」
頭が痛い。
視界が揺れる。
――コメント:
「やばいってこれ」
「完全に壊れてる」
「配信止めろ」
「誰か止めろ」
「でも見たい」
俺はふらつきながら立つ。
「……まだ、終わってない」
前を見る。
崩落した先。
だが、その奥に――
“別の道”が見えた。
隠し通路。
「……なるほどな」
笑う。
「これが“裏ルート”か」
――コメント:
「いや今の罠利用した?」
「天才かよ」
「でも怖すぎる」
「さっき騙されてなかった?」
「どっちなんだよ」
俺はカメラに向かって言う。
「……大丈夫だ」
そして、小さく付け足す。
「まだ、使える」
その瞬間だった。
全ての声が、一斉に囁いた。
「じゃあ――次は、どっちを信じる?」
俺の視界が、真っ二つに割れた。
右と左。
同時に違う“正解”が見える。
どちらも正しい。
どちらも間違い。
「……ふざけんなよ」
笑う。
震えながら。
そして、一歩踏み出す。
どちらへか――
自分でも、わからないまま。




