お前はもう混ざっている
目を開けた瞬間、俺は“自分の呼吸音が二つある”ことに気づいた。
ひとつは荒い。喉に砂を詰めたみたいにざらついている。もうひとつは、妙に静かで、一定だ。まるで録音された呼吸を横で再生しているみたいに。
「……どっちが俺だ」
呟いた声が、ほんのわずかに遅れてもう一度、同じ音程で重なった。
気持ち悪い。
視界は戻っている。深層第五区画。さっきの広間。黒い影は、中央でゆっくりと膨らんだり縮んだりしている。
配信は——まだ繋がっている。
コメント欄が、異様な速度で流れていた。
コメント:
「生きてる!?」
「今の何!?」
「ブラックアウトしたぞ」
「音バグってる?」
「声二重じゃね?」
「おい怖い怖い怖い」
俺は口を開く。
「聞こえるか」
また、ほんの一拍遅れて、同じ声が重なる。
——聞こえるか。
背筋が冷えた。
“遅れてる方”が、俺の意思と完全に一致している。
つまり。
「……コピーかよ」
笑いが漏れる。乾いた音だ。
さっきの影。あれは、ただのモンスターじゃない。
“記憶を混ぜる”だけじゃない。
“声を複製する”。
そして——
それを、俺の中に入れてきた。
コメント欄がさらに荒れる。
コメント:
「今の二重だったろ」
「編集じゃないよな?」
「リアルタイムだぞこれ」
「精神やられてね?」
「配信切れよ危ない」
切らない。
ここで切るのは、負けだ。
それに——
“今の状態”は、むしろ美味い。
異常。違和感。恐怖。
全部、数字になる。
「大丈夫だ」
俺は笑って見せた。
「ちょっとノイズ入ってるだけだ」
——ノイズ入ってるだけだ。
また重なる。
コメント:
「いや大丈夫じゃねえ」
「そのノイズが問題だろ」
「お前さっき誰と喋ってた?」
「“お前は戻れない”ってなんだよ」
「台本?」
台本なら、どれだけ楽か。
俺は一歩、前に出る。
影が、わずかに揺れた。
まるで、俺の動きに合わせて呼吸しているみたいに。
「……来いよ」
ナイフを握る手に力が入る。
その瞬間。
また、声。
——近づくな。
今度は、低い男の声。
知らない声。
でも、感情ははっきりしている。
“恐怖”だ。
「……お前、誰だ」
俺は影から目を逸らさずに聞く。
返事はない。
代わりに、断片が流れ込む。
狭い通路。血。崩れた足。影に触れた瞬間、何かが“剥がれる”感覚。
——持っていかれる。
——声を。
——記憶を。
——自分を。
息が詰まる。
「……そういうことか」
理解が、遅れてやってくる。
このボスは、“食う”。
肉体じゃない。
声と記憶を。
そして、それを“再生する”。
だから——
さっきの“俺の声”も、あった。
未来じゃない。
“ここで食われた俺”の残骸だ。
「……は、はは」
喉の奥から笑いが漏れる。
最低だな。
俺は今まで、死者を“利用”してきた。
最後の声を拾って、金に変えてきた。
それと、何が違う?
このボスは、もっと直接的なだけだ。
コメント欄がざわめく。
コメント:
「何かわかった?」
「顔やばいぞ」
「今笑った?」
「こいつ怖いんだけど」
「正気か?」
正気?
さあな。
でも、理解はした。
だから——勝てる。
「いいね」
俺は一歩、さらに踏み込む。
「だったら、やることは簡単だ」
影が、わずかに広がる。
床一面に黒が伸びる。
その中から、声が溢れる。
——右だ。
——違う、左。
——走れ。
——止まれ。
——殺せ。
——逃げろ。
ノイズじゃない。
“選択肢”だ。
無数の死者の、最後の判断。
全部が同時に、押し寄せてくる。
「……うるせぇな」
俺は目を閉じた。
聞くな。
選ぶな。
頼るな。
これは、俺のスキルじゃない。
“敵のスキル”だ。
ここで従ったら、終わる。
「……全部、捨てる」
俺は目を開けた。
影の中心を見据える。
呼吸を整える。
——大丈夫。
——お前は、できる。
頭の中で、自分の声がする。
それが“本物”かどうかは、もう分からない。
でも。
“選ぶ”のは、俺だ。
「行くぞ」
踏み込む。
影が、一斉に跳ね上がる。
黒い刃が、四方から襲いかかる。
コメント欄が爆発する。
コメント:
「突っ込んだ!?」
「やめろ!!」
「死ぬぞ!!」
「なんで!?」
「理解不能!!」
ナイフを振る。
ひとつ、切る。
ふたつ、避ける。
みっつ、貫く。
体が軽い。
違う。
軽すぎる。
「……あ?」
足の感覚が、遅れてくる。
視界が、ほんの少しズレる。
まるで——
“誰かの視界”と重なっているみたいに。
その瞬間。
俺は見た。
自分の背中を。
「……は?」
理解が追いつかない。
前にいるのは、影。
でも、横に——
“俺”がいる。
同じ装備。
同じナイフ。
同じ動き。
そして。
同時に、口を開いた。
「そっち、外れだ」
声が、完全に一致する。
コメント欄が凍りつく。
コメント:
「え」
「分身?」
「今二人いたよな?」
「え?」
「え???」
俺は、“もう一人の俺”を見た。
あいつも、俺を見ている。
同じ顔で、笑った。
「どっちが本物だ?」
問いかける。
返事は、同時に来た。
「さあな」
心臓が、嫌な音を立てる。
これは——
敵じゃない。
“選別”だ。
どっちかが、本物。
どっちかが、残留思念。
そして。
“偽物の方”が、消える。
コメント欄が、震える。
コメント:
「やばいってこれ」
「どっちだよ」
「見分けつかん」
「怖すぎる」
「配信史上一番やばい」
俺は、ナイフを構えた。
向かい合う、もう一人の俺も、同じ動き。
呼吸が重なる。
鼓動がズレる。
そして——
頭の中で、声がした。
——お前は、もう混ざっている。
誰の声だ。
分からない。
でも。
次の瞬間。
“もう一人の俺”が、俺より先に踏み込んだ。
——遅い。
その声は、俺の声だった。




