その声は俺の中にいる
最初に違和感を覚えたのは、音だった。
ダンジョン深層。湿った石壁。滴る水音。いつもと同じはずの環境音に、ひとつだけ異物が混ざっている。
――足音。
俺は立ち止まった。
「……今、誰かいたか?」
背後を振り返る。誰もいない。配信ドローンが静かに浮かんでいるだけだ。
だが、確かに聞こえた。俺の歩調と、半拍ズレた足音。
気のせいじゃない。
“中”から聞こえた。
俺は舌打ちした。
「……来てるな」
精神侵食。
この章に入ってから、頻度が明らかに増えている。
だが、止まれない。
今日のターゲットは、Sランク探索者《灰崎ユウマ》の死亡地点。深層の“裏通路”を発見したまま帰還できなかった男だ。
その情報は、金になる。
バズる。
だから――使う。
「……【残留思念】」
意識を沈める。
視界が暗転する。
そして――
『……戻れ』
低い声が、頭の奥で響いた。
反射的に目を開ける。
「は?」
今のは、情報じゃない。
“警告”だ。
残留思念は、基本的に断片だ。記憶、映像、断末魔。こんな明確な意思は滅多にない。
もう一度、意識を沈める。
「もう一回だ……」
『戻れ。ここは、違う』
「違うって何がだよ」
『……ここは“入口”じゃない』
ゾクッとした。
入口じゃない?
ここは、深層の裏通路のはずだ。
灰崎の情報通りなら。
だが――
『お前も、連れていかれる』
ブツッと、声が途切れた。
視界が戻る。
呼吸が荒い。
「……チッ」
嫌な予感がする。
でも、ここで引いたら意味がない。
俺はカメラに向き直る。
「はい、配信見てるやつら。今、深層の未発見ルートに来てる」
コメントが一気に流れる。
コメント:
「は?また未知ルート?」
「こいつマジでなんで分かるんだよ」
「いや今回は怪しすぎる」
「灰崎の件と関係ある?」
「死者利用してるやつだろ?通報しとけ」
いつもの流れだ。
アンチも信者も、全部養分。
「先に言っとく。ここ、多分ヤバい」
コメント:
「今さらで草」
「お前が言うと怖いんだよ」
「フラグ立てんな」
「でも行くんだろ?」
俺は笑った。
「当たり前だろ。じゃなきゃ来てねえ」
足を踏み出す。
通路は妙に整っている。自然生成じゃない。人工物に近い。
その時。
また聞こえた。
――コツ、コツ。
俺の足音の後ろで、誰かが歩いている。
止まる。
音も止まる。
進む。
また聞こえる。
「……気のせいじゃねえな」
コメント:
「なに?演出?」
「怖いこと言うな」
「後ろ確認しろよ!」
「振り返れって!」
ゆっくり振り返る。
誰もいない。
だが――
カメラの端に、“影”が映った。
コメント:
「今映ったぞ」
「誰かいた」
「いや錯覚だろ」
「スクショしたやついる?」
背筋が冷える。
俺は無理やり笑う。
「……はいはい、盛り上がってきたな」
だが、内心は違う。
これは、“外”じゃない。
“中”だ。
俺の中に、誰かがいる。
「……もう一回使う」
コメント:
「やめろ」
「それ危険だろ」
「精神やられるぞ」
「でも見たい」
俺は目を閉じる。
再び【残留思念】。
今度は、強制的に引きずり込まれる。
視界が歪む。
血の匂い。
崩れた通路。
そして――
『逃げろ!!』
叫び声。
灰崎だ。
『ここは道じゃない!餌だ!』
「餌……?」
『“連れていくための道”だ!』
その瞬間。
映像の奥に、“それ”がいた。
巨大な影。
形が定まらない。
人のようで、人じゃない。
そして――
俺を、見た。
いや。
“今の俺”を。
『来た……また来た……!』
灰崎の声が震える。
『お前も、呼ばれたのか……』
「呼ばれた……?」
『声がしただろ』
心臓が止まりそうになる。
さっきの声。
あれは――
『あれは、“俺”じゃない』
ブツッ。
視界が戻る。
俺はその場に膝をついた。
「はっ……は……」
コメント:
「今の何?」
「顔やばいぞ」
「汗やば」
「マジで大丈夫か?」
「これガチで危険じゃね?」
俺は笑った。
震えながら。
「……なるほどな」
理解した。
このスキル。
死者の声を聞くんじゃない。
“何か”が、死者の形を借りてる。
コメント:
「何言ってんの」
「怖すぎる」
「配信やめろ」
「いや続けろ」
俺は立ち上がる。
足音が、また増えている。
今度は、二つじゃない。
三つ。
四つ。
後ろに、“増えてる”。
「……いいね」
口元が歪む。
「めちゃくちゃ面白くなってきた」
コメント:
「狂ってる」
「普通引くだろ」
「こいつ終わってる」
「でも見ちゃう」
俺は振り返らない。
前だけを見る。
通路の奥。
暗闇の中に、“何か”がいる。
そして――
その声が、はっきりと聞こえた。
『……やっと来た』
ぞくりと、全身が粟立つ。
これは死者じゃない。
“ダンジョンそのもの”だ。
「……お前、誰だよ」
問いかける。
返事は、すぐに来た。
『お前が、聞いている“声”だ』
背後の足音が、一斉に止まる。
静寂。
そして――
俺の口が、勝手に動いた。
「……次は、誰を使う?」
自分の声じゃない。
コメント:
「今の誰の声?」
「おい怖い」
「人格混ざってるだろ」
「マジでやばい」
俺は気づく。
もう遅い。
“使ってる”のは、俺じゃない。
――使われている。
その瞬間。
カメラが、暗転した。
コメント:
「は?」
「配信落ちた?」
「いやまだ音ある」
「何かいる」
闇の中で。
誰かが、俺の耳元で囁いた。
『次は、お前の番だ』
そこで、配信は完全に途切れた。




