選んだ声が嘘をつく
「──それを選ぶのか」
影の声が、愉快そうに歪む。
俺は答えない。
代わりに、目を閉じた。
頭の中で渦巻く声。死者の断末魔。見知らぬ誰かの囁き。そして、今しがた現れた“生者の声”。
全部が混ざって、腐ったスープみたいになっている。
「……うるせえ」
俺はその中から、一つだけ掴む。
さっきから、妙に静かな声。
主張しない。誘導しない。ただ、そこにある。
それを選んだ。
「……お前だ」
口に出す。
瞬間、他の声がざわめいた。
「──は?」
「──なんでそれを」
「──違う、そいつは」
無視する。
静かな声だけを拾う。
すると、そいつは初めて口を開いた。
「──遅い」
低く、淡々とした声。
「もう少しで死んでたぞ」
「……ああ」
息を吐く。
体の震えが、少しだけ収まる。
「で、どうすりゃいい」
「前に三歩。右に半歩。しゃがめ」
短い指示。
迷わず従う。
その瞬間、頭上を何かが通り過ぎた。
見えない刃。
空気が裂ける音。
立っていたら、首が飛んでいた。
コメント:
「今のなに!?」
「見えない攻撃!?」
「避け方おかしいだろ」
「なんで分かるんだよ」
「また声か?」
配信の存在を思い出す。
そうだ。全部見られている。
「……聞こえてる」
ぼそりと呟く。
コメント:
「やっぱり」
「もう隠さないのか」
「完全にアウトだろこれ」
「死者利用どころじゃない」
「生きてる奴の声って何だよ」
ざわつきが広がる。
炎上の匂いがする。
だが今はどうでもいい。
目の前の生存が優先だ。
「次は?」
「左の壁に近づけ。ただし触るな。距離は五センチ」
「細かいな」
「死にたくなければな」
言われた通りに動く。
壁の表面が、ぬるりと動いた。
生き物みたいに。
でも、触れていない俺は無事だ。
「……マジで助かるな」
「当然だ。俺はここで死んでる」
心臓が跳ねた。
「……は?」
「さっきの落とし穴。そこで死んだ。お前が今いる場所でな」
背筋が冷える。
「じゃあ、お前も“残留思念”か」
「違う」
即答だった。
「俺はまだ死んでない」
「……は?」
「正確には、“死ぬ前の俺”だ」
意味が分からない。
でも、分かりたくない方向に理解が進む。
「……未来、か」
「そうだ」
頭が痛い。
思考が軋む。
「じゃあお前、これから死ぬのか」
「そのままならな」
「……変えられるのか?」
一瞬の沈黙。
「分からん」
正直すぎる答え。
だが、その重さがリアルだった。
コメント:
「未来の自分とかやばすぎ」
「それもう完全に別の能力だろ」
「いやこれ虚言じゃね?」
「でも全部当たってるんだよな……」
「怖すぎる」
コメント欄が分裂する。
信じる者。疑う者。恐れる者。
だが、全員共通している。
“引き込まれている”。
配信の同接が跳ね上がっているのが分かる。
数字が、狂ったように増えていく。
バズっている。
最悪の形で。
「……で、ここからどうする」
「進め」
未来の俺は言う。
「ただし、さっきの影には気をつけろ」
「……あいつ、何者だ」
「俺たちと同じだ」
「は?」
「声を“選ぶ側”の人間」
ぞくり、とする。
「つまり……あいつも聞いてるのか」
「いや」
未来の俺は、少しだけ間を置いた。
「聞いてるんじゃない。“作ってる”」
「……は?」
理解が追いつかない。
だが、直後。
背後から、声がした。
「正解」
振り返る。
影が、すぐそこにいた。
「よく選んだな、その声」
ゆっくりと拍手する。
「でも、それは“俺が残したやつ”だ」
頭が真っ白になる。
「……なんだと?」
「だから言っただろ」
影が笑う。
「選ぶ側だって」
寒気が走る。
「……お前、何してる」
「簡単なことだ」
一歩、近づく。
「声を混ぜてる」
空気が重くなる。
「死者の声。生者の声。未来の声。全部な」
「……なんでそんなこと」
「面白いからだよ」
即答だった。
軽すぎる。
狂っている。
コメント:
「サイコパスすぎ」
「やばい奴きた」
「これリアルで起きてるの?」
「演出じゃないよな?」
「怖い怖い怖い」
影が、こちらを覗き込む。
「で、お前はどうする?」
「……何がだ」
「その声、信じ続けるか?」
未来の俺が、すぐに言う。
「聞くな。あいつの言葉はノイズだ」
「ほらな」
影が笑う。
「もう分裂してる」
頭が痛い。
声が増える。
未来の俺。
影の囁き。
他の無数の声。
「……っ、うるせえ!」
叫ぶ。
その瞬間。
視界が歪んだ。
地面が消える。
「……は?」
また、落ちる。
だが違う。
今度は、下じゃない。
“横”に落ちている。
空間がねじれている。
「……なんだこれ」
「階層がずれてる」
未来の俺が言う。
「本来は存在しないルートだ」
「なんでそんなとこに……」
そこで、気づく。
影がいない。
消えている。
「……逃げた?」
「違う」
未来の俺の声が、わずかに震えた。
「ここは、あいつの“内側”だ」
「……は?」
次の瞬間。
壁一面に、顔が浮かび上がる。
無数の顔。
笑っている。
泣いている。
叫んでいる。
全部、“声の主”だ。
コメント:
「なにこれ」
「無理無理無理」
「トラウマ確定」
「これ配信していいやつ?」
「規制されるぞ」
その中の一つが、口を開く。
「──選べ」
別の顔が叫ぶ。
「──間違えるな」
さらに別の顔が笑う。
「──どうせ全部嘘だ」
頭が壊れそうになる。
「……どれだ」
未来の俺に問う。
「どれを信じればいい」
沈黙。
そして。
「……俺も分からん」
絶望的な答え。
その瞬間。
全ての顔が、一斉に囁いた。
「──じゃあ、俺を信じろ」
声が、重なる。
一つになる。
それは。
完全に“俺の声”だった。
でも。
それは俺じゃない。
「……誰だよ、お前」
震える声で問う。
答えは、すぐに返ってきた。
「お前が一番、信じたい俺だよ」
背筋が凍る。
理解する。
これは、罠だ。
でも。
甘い。
あまりにも。
「……っ」
手が、勝手に伸びる。
その声に。
触れた瞬間。
世界が反転した。
そして俺は、気づく。
選んだのは。
“最初から存在しない声”だったと。




