戻るなら誰になる
――「どっちに戻る?」
声は静かだ。
だが逃げ場はない。
俺の視界に、二つの“俺”。
一つは、今まさに配信している体。
ナイフを持ち、笑っている。
もう一つは、見知らぬ場所に立つ俺。
暗い通路。
装備が違う。
目が、死んでいる。
「選べ」
淡々とした声。
急かさない。
だが、待たない。
コメント欄が混乱する。
『何これ分岐?』
『演出じゃないよな』
『戻れんの?』
『どっちも怪しい』
――どっちも怪しい。
それが答えだ。
どっちも“俺じゃない”。
いや。
どっちも“俺の可能性”。
なら。
「……なら」
俺は考える。
どっちが“マシか”。
配信してる方。
あれは今、乗っ取られている。
だが、体は強い。
情報も持ってる。
ただし。
あいつがいる。
中に。
もう一つ。
知らない場所の俺。
あれは。
“未来”かもしれない。
あるいは。
――“過去”。
どっちも地獄だ。
なら。
「条件は?」
俺は問いかける。
声に出ない。
だが、届く。
あの声に。
くすり、と笑う気配。
「いい質問だ」
気に入ったらしい。
「簡単だよ」
淡々と説明する。
「今の体に戻るなら」
一拍。
「“一人、捨てる”」
背筋が凍る。
「もう一つに行くなら?」
問う。
即答が返る。
「“全部、受け入れる”」
重い。
意味が分かる。
前者は。
中にいる何かを、一つ排除する。
後者は。
全部抱えたまま、別の俺になる。
コメント欄が荒れる。
『捨てるって何』
『誰を?』
『人格消すの?』
『倫理終わってる』
あいつ。
今、配信してる“俺”が笑う。
「聞こえてるだろ?」
俺に向かって。
「どっち選んでも、終わりだぞ」
楽しそうだ。
まるで。
自分の過去を見てるみたいに。
「早くしろよ」
ナイフをくるくる回す。
「配信止まってるの、つまんねぇから」
コメント欄も焦り始める。
『決めろ』
『早くしないとやばい』
『時間制限あるだろこれ』
『どっちが正解なんだ』
正解なんてない。
そんなの分かってる。
だからこそ。
――選ぶ意味がある。
俺は、目を閉じる。
いや。
閉じてるつもりになる。
意識だけの世界。
そこに。
声が集まる。
「殺せ」
「やめろ」
「戻れ」
「来い」
うるさい。
全部、うるさい。
だが。
一つだけ。
静かな声がある。
「選べ」
それだけ。
誘導しない。
押し付けない。
だから分かる。
これが。
“本体”だ。
「……分かった」
俺は言う。
決めた。
理由は単純。
今の俺は。
ここで終わるわけにはいかない。
まだ。
配信がある。
まだ。
見てるやつがいる。
なら。
「戻る」
短く。
「今の体に」
コメント欄が揺れる。
『そっちか』
『危険すぎるだろ』
『でもそれしかないよな』
『捨てるって誰を?』
声が、少しだけ楽しそうに笑う。
「いいね」
「じゃあ、選べ」
次の瞬間。
頭の中に。
“顔”が並ぶ。
五人。
いや、六人。
今まで取り込んだ死者。
それぞれの記憶。
それぞれの声。
「一つ、消せ」
冷たい宣告。
重い。
だが。
時間がない。
俺は、一人を見る。
最後に取り込んだやつ。
情報が壊れていたやつ。
嘘が多かったやつ。
つまり。
“役に立たない”。
「……お前だ」
決める。
その瞬間。
「やめろ」
声がする。
そいつの声。
「俺はまだ使える」
「嘘じゃない」
「生きたい」
必死だ。
死ぬ直前の声。
――ああ。
これが。
“嘘”。
生きるための。
「悪いな」
俺は言う。
「もう死んでるだろ」
その瞬間。
声が、消える。
ぷつりと。
何かが切れる感覚。
そして。
――引き戻される。
視界が一気に収束する。
カメラ。
ダンジョン。
血の匂い。
全部、戻る。
「……っ!」
体が動く。
息が入る。
重い。
だが。
――戻った。
『戻った!?』
『今の動き変わった』
『さっきと違う』
『どっちだ今の』
目の前。
“俺だったもの”が立っている。
笑ってる。
「やるじゃん」
軽く拍手。
「ちゃんと切り捨てたか」
見透かしてる。
「いいね」
一歩踏み出す。
「それができるなら」
ナイフを構える。
「まだ壊れてない」
空気が張り詰める。
戦いは、続く。
だが。
違う。
さっきまでと。
明確に違う。
頭の中が、静かだ。
声が減った。
思考がクリア。
代わりに。
――空白がある。
「……軽いな」
思わず呟く。
「だろ?」
あいつが笑う。
「でもさ」
ゆっくり言う。
「それ、癖になるぞ」
ぞくり、とする。
意味が分かる。
不要なものを切る。
効率化。
合理化。
そして。
――人間性の削除。
コメント欄が割れる。
『今の判断エグい』
『普通できない』
『でも正解だろ』
『いや最低だろ』
全部、正しい。
全部、間違ってる。
俺はナイフを構える。
「続き、やるぞ」
短く言う。
あいつも構える。
「いいね」
そして。
ぶつかる。
今度は。
さっきより。
速い。
鋭い。
迷いがない。
「っ!」
打ち合い。
読み合い。
だが。
今度は互角。
いや。
少しだけ。
――俺が上。
「へぇ」
あいつが笑う。
「いいじゃん」
だが次の瞬間。
あいつの動きが変わる。
急に。
読めない。
「……は?」
ズレる。
完全に。
今までのパターンが通じない。
コメント欄がざわつく。
『動き変わった』
『また何かした?』
『読めないぞこれ』
あいつが笑う。
「言っただろ?」
低く。
「俺は“超えてる”って」
目が揺れる。
また。
別の誰かになる。
複数。
混ざる。
制御不能。
だが。
――それでも動く。
「次はさ」
ナイフを構え直す。
「お前が、どこまで捨てられるかだ」
その瞬間。
頭の中で。
また声がする。
「まだある」
残っている声。
「もっと軽くなれる」
囁く。
甘い誘惑。
コメント欄が震える。
『やめろそれ』
『どんどん消えるぞ』
『人間じゃなくなる』
分かってる。
でも。
俺は笑う。
「……いいね」
呟く。
「じゃあ、試すか」
その瞬間。
あいつが。
初めて。
――少しだけ、驚いた顔をした。
次に消えるのは。
誰だ?




