俺を名乗るな
――声が違う。
最初に気づいたのは、それだった。
「……はは」
口から出た笑い。
軽い。
乾いている。
俺の声じゃない。
喉を触る。
感触も、わずかに違う。
指先の位置。
筋肉の張り。
全部が“微妙にズレている”。
『声違うって!!』
『これ確定で入れ替わった』
『鳥肌やばい』
『どっちがどっちだよ』
コメントが荒れる。
だが、それ以上に――
頭の中が静かだ。
「……あ?」
さっきまで、あれだけ騒がしかった思念の声。
それが。
ほとんど、消えている。
代わりに。
一つだけ。
深いところで、息をしている。
『落ち着け』
低い声。
冷静。
指示的。
「……誰だ、お前」
『お前だよ』
即答。
背筋が冷える。
「ふざけんな」
『いいから聞け。今は“あっち”が主導権を握ってる』
視線を上げる。
目の前。
“俺だったもの”が、カメラを構えている。
自然な動作。
迷いがない。
「……やっぱりな」
あいつが笑う。
「こっちが本物だ」
その言葉。
妙に説得力がある。
動きが、完成されている。
さっきまでの“俺以上”に。
『負けるな』
『取り返せ』
『それ偽物だろ』
『でも動き的にあっちの方が…』
コメント欄が割れる。
信者とアンチが、混ざる。
だが。
俺は一歩も動けない。
体が、重い。
思考が、遅い。
「……おい」
声をかける。
「あんた、何した」
向こうの俺が肩をすくめる。
「簡単だよ」
ナイフをくるりと回す。
「“枠”をずらしただけ」
「……枠?」
「意識の位置」
にやりと笑う。
「お前、ずっと“体が自分”だと思ってただろ?」
言葉が刺さる。
「違うんだよ」
一歩近づく。
「先に“情報”を握った方が、本体になる」
理解が、遅れて追いつく。
つまり。
思念。
記憶。
情報。
それを多く持つ方が――
「……お前が、本体だって言いたいのか」
「そういうこと」
軽く頷く。
そして。
「で、お前は」
ナイフをこちらに向ける。
「抜け殻」
ゾクッとする。
言葉以上に。
その“確信”が怖い。
『それは言い過ぎだろ』
『いや理屈は合ってる』
『怖すぎるこの展開』
『倫理的にアウトすぎる』
倫理。
その言葉が引っかかる。
確かに。
これはもう。
“死者の利用”じゃない。
“自分の分解”だ。
「……ふざけるなよ」
拳を握る。
「俺は俺だ」
言い聞かせるように。
吐き出す。
その瞬間。
頭の奥の声が、笑う。
『その根拠は?』
言葉に詰まる。
『記憶か?』
違う。
『身体か?』
それも違う。
『なら何だ?』
答えが出ない。
その隙を。
向こうは見逃さない。
一歩踏み込む。
速い。
「ッ!」
反応が遅れる。
斬撃。
肩に入る。
血が飛ぶ。
『やばい!』
『反応遅れてる』
『完全に別人じゃん』
膝が揺れる。
力が入らない。
「ほらな」
向こうが笑う。
「スペックが落ちてる」
「……くそ」
「当たり前だろ」
淡々と。
「思念を抱えてないお前に、何ができる?」
言葉が刺さる。
確かに。
今の俺には、ほとんど声がない。
情報がない。
未来が見えない。
ただの探索者以下だ。
「じゃあ――」
向こうがナイフを構える。
「終わりにするか」
殺気。
本気だ。
配信中だろうが関係ない。
いや。
むしろ。
“配信だからこそ”やる。
『やめろって!!』
『これBANされるだろ』
『でも見たい』
『止めろ誰か』
止まらない。
誰も止められない。
ダンジョンの中だ。
ここでは、全部自己責任。
「……待て」
俺は手を上げる。
「一つだけ、確認させろ」
「何?」
「お前、本当に“全部”持ってるのか?」
向こうが眉を上げる。
「どういう意味だ」
「思念」
ゆっくり言う。
「全部聞けるって言ったよな」
「ああ」
「じゃあさ」
一歩踏み出す。
距離を詰める。
「“聞けない声”ってあるのか?」
空気が止まる。
一瞬だけ。
向こうの表情が揺れる。
ほんの、わずか。
だが見逃さない。
「……あるわけないだろ」
否定。
だが遅い。
確信する。
「あるんだな」
「黙れ」
踏み込んでくる。
速い。
だが。
その瞬間。
頭の奥の声が、はっきりと言う。
『今だ』
体が動く。
自然に。
避ける。
最小限で。
カウンター。
当たる。
浅いが。
『当たった!?』
『今の反応なに』
『急に戻った』
向こうが目を細める。
「……誰だ」
「さあな」
俺は笑う。
「でも」
ナイフを構える。
「まだ“俺”は残ってるらしい」
頭の奥で、その声が続く。
『俺は、お前が最初に聞いたやつだ』
最初。
思い出す。
あの最初の死体。
震えながら、初めて聞いた声。
「……お前」
『俺はまだ“使われてない”』
理解する。
俺は一度しか使えないルールを守っていた。
だから。
“最初の声”を使い切っていない。
一方で、あいつは。
全部を混ぜた。
だから。
“純粋な声”がない。
ゾクッとする。
「……穴、見つけた」
笑う。
向こうの俺が舌打ちする。
「くだらねえ」
「でも致命的だろ」
一歩踏み出す。
今度は、俺から。
「“嘘のない声”」
ナイフを振る。
向こうが受ける。
だが。
ズレる。
ほんの少し。
そのズレが、決定的。
刃が、首元をかすめる。
血が滲む。
『うおおおおお』
『逆転あるぞこれ』
『熱すぎる』
だがその瞬間。
頭の中の声が、囁く。
『気をつけろ』
「……?」
『それ、“本当に俺の声か?”』
心臓が止まりかける。
ゾクッとする。
振り返る。
内側を。
今、頼っているこの声。
これも――
「……嘘か?」
静かに。
問いかける。
返事は、ない。
ただ。
微かに笑った気がした。
――どこからが、俺なんだ?




