それを使う資格
――レンズの中に、俺じゃない顔がいた。
一瞬。
本当に一瞬。
だが確実に見た。
目の奥が、違う。
焦点が、合っていない。
笑っていた。
俺の口で。
「……は?」
思わず声が漏れる。
だが配信は続いている。
止める気はない。
止めたら、逃げになる。
『今の何?』
『顔バグったぞ』
『加工?』
『いやガチで別人だった』
コメント欄がざわつく。
俺はカメラを近づける。
自分の顔を、確認するために。
普通だ。
少なくとも見た目は。
「……気のせいか?」
そう言いながら。
内側では、理解している。
――気のせいじゃない。
あれは。
“中身”だ。
「なあ」
俺は小さく呟く。
「いるんだろ」
返事はない。
だが。
静寂が、逆に重い。
『誰に話してる?』
『やめろ怖い』
『これ完全に壊れてる』
コメントが加速する。
その中に。
また、あの文字。
『聞こえてるよ』
心臓が跳ねる。
視線が勝手にそこへ吸い寄せられる。
ユーザー名がない。
アイコンもない。
ただの文字。
「……お前か」
口に出す。
次の瞬間。
頭の奥で、声がした。
「そうだよ」
はっきりと。
今までで一番、近く。
「お前……何者だ」
「お前」
即答だった。
吐き気がする。
「やめろ」
「なんで?」
笑う声。
「使ったのはお前だろ」
言葉が刺さる。
確かにそうだ。
ルールを破ったのは、俺だ。
「……だからって」
「代償は払えよ」
冷たい。
あまりにも冷たい。
『独り言やば』
『完全に二重人格』
『通報するわこれ』
『いやでも見ちゃう』
コメント欄はもう止まらない。
炎上と熱狂が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。
俺は深く息を吐く。
落ち着け。
まだ、コントロールできる。
「……お前、出てくる気か?」
「もう出てる」
ゾクッとした。
次の瞬間。
右手が、勝手に動いた。
「っ!?」
ナイフを拾う。
俺の意思じゃない。
「やめろ!」
止めようとする。
だが。
止まらない。
「ほら」
声が囁く。
「こうやって、ちょっとずつ」
ナイフが、自分の首に触れる。
冷たい。
「入れ替わる」
背筋が凍る。
『え、なにしてんの!?』
『やばいやばいやばい』
『止めろ!!!』
『これBANされるぞ』
コメント欄が絶叫する。
だが。
俺は、笑っていた。
いや。
笑わされている。
「……面白いな」
自分の声が、他人みたいに聞こえる。
「こうやってさ」
刃が、少しだけ食い込む。
血が滲む。
「境界、消えてくんだ」
「やめろおおおお!!」
叫ぶ。
全力で。
その瞬間。
ガン、と頭に衝撃が走る。
視界が揺れる。
膝をつく。
ナイフが落ちる。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。
戻った。
今の一瞬で。
“奪われかけた”。
『戻った!?』
『今のガチで危なかった』
『もう配信止めろって』
『いや神回すぎる』
コメント欄はさらに加速する。
俺は地面に手をつく。
冷たい石。
現実に戻るために。
「……クソ」
吐き捨てる。
「これ、マジでヤバいな」
笑いながら。
でも目は笑っていない。
その時。
奥の通路から、音がした。
コツ、コツ、と。
誰かが歩いてくる。
「……は?」
ゆっくり顔を上げる。
暗闇の中から。
人影。
現れる。
装備。
カメラ。
見覚えがある。
『え、また?』
『嘘だろ』
『何人いるんだよ』
コメント欄が凍る。
そいつが、光の中に出る。
顔が見える。
――知らない奴だ。
だが。
配信機材は同じ。
つまり。
“配信者”。
「……お前」
俺が言う。
「誰だ」
そいつが止まる。
じっと、俺を見る。
そして。
ゆっくり笑った。
「やっと見つけた」
声は普通だ。
だが。
目が違う。
狂気じゃない。
もっと現実的な、冷たい目。
「お前が“残留思念”のやつか」
心臓が跳ねる。
「……なんでそれを」
「有名だからな」
肩をすくめる。
「炎上も込みで」
『きた第三者』
『これガチで終わりだろ』
『運営来た?』
『いや探索者だろ』
コメント欄がざわつく。
男はゆっくり近づく。
「なあ」
距離を詰めながら。
「それ、楽しいか?」
問いかけ。
だが、責めているわけじゃない。
興味だ。
純粋な。
「死んだ奴の声、聞いてさ」
一歩。
「利用して」
一歩。
「稼いで」
目の前まで来る。
「それで、何人壊した?」
空気が凍る。
答えられない。
いや。
答えたくない。
『うわアンチきた』
『正論パンチ』
『でも見てる時点で同罪だろ』
コメント欄がまた割れる。
男が笑う。
「いいね」
俺の反応を見て。
「その顔」
ナイフを抜く。
「ちゃんと自覚あるじゃん」
構える。
「じゃあさ」
一歩引いて。
「試そうぜ」
殺気。
さっきの“俺”とは違う。
もっと現実的で。
もっと危険な。
「それを使う資格があるか」
踏み込んでくる。
速い。
完全に戦闘慣れしている。
「っ!」
受ける。
重い。
比べ物にならない。
「お前」
刃を押し付けながら。
「遊んでるだけだろ」
その言葉が、刺さる。
「違う」
反射で返す。
「俺は――」
「何だ?」
圧が増す。
「生きてる?」
「稼いでる?」
「有名?」
一つ一つ。
心を抉る。
「全部、死体の上だろ」
止まる。
一瞬だけ。
その隙を。
見逃さない。
刃が、迫る。
『危ない!!』
『やばいって!!』
コメント欄が叫ぶ。
だが。
その時。
頭の中で。
あの声が、囁いた。
「使えよ」
冷たい声。
「どうせもう、戻れない」
俺は目を閉じる。
一瞬だけ。
そして。
笑った。
「……そうだな」
目を開く。
男を見る。
「もう遅い」
手を伸ばす。
地面の死体に。
新しいもの。
さっきの戦いで増えた。
――“俺”。
「もう一回、使う」
男の顔が、わずかに歪む。
「正気か?」
「知らねえよ」
触れる。
その瞬間。
――世界が弾ける。
記憶。
声。
未来。
全部が一気に流れ込む。
「っ、あああああああ!!」
叫びが漏れる。
視界が白くなる。
黒くなる。
ぐちゃぐちゃになる。
『やめろおおおお!!』
『死ぬって!!』
『もう戻れないぞ!!』
コメント欄が絶叫する。
だが。
止まらない。
そして。
その奥で。
“俺”が笑った。
「ほらな」
静かに。
「これが、お前の答えだ」
視界が戻る。
俺は立っている。
男が目の前にいる。
だが。
違う。
全部、見える。
「……なるほど」
俺は呟く。
男の動き。
癖。
呼吸。
全部。
「お前、三手先で迷うな」
男の目が見開く。
「なんで……」
笑う。
「聞こえるからだよ」
構える。
ナイフを。
「全部」
空気が、変わる。
コメント欄が、一瞬静まる。
そして。
一斉に流れ出す。
『やばい』
『完全に壊れた』
『でも強い』
『これが主人公?』
俺は一歩踏み出す。
男に向かって。
そして。
頭の奥で。
“もう一人の俺”が囁く。
「次で、終わりだ」
――どっちが残る?




