出口のない通路
「この先、出口はない」
その一言が、喉の奥に引っかかって離れなかった。
足は前に出ているのに、頭のどこかがブレーキを踏んでいる。
――出口がない。
ダンジョンにおいて、それは“死”とほぼ同義だ。
戻れない。進んでも終わりがない。資源は尽き、体力は削られ、いずれ詰む。
それでも。
コメント欄は、まるで別の世界のように軽い。
『進め進めw』
『どうせ当てるんだろ』
『さっきの外しは事故だろ』
信者が持ち上げ、アンチが煽る。
『出口ないって言ってたよな?』
『ビビってる?』
『行けよ、証明しろ』
数字が伸びているのが、嫌でもわかる。
視聴者数のカウンターが、じわじわと上がり続ける。
――ここで引き返したら、どうなる?
考えるまでもない。
“逃げた配信者”として、消費される。
それで終わりだ。
「……行く」
小さく呟く。
その瞬間、耳元の声がざわめいた。
「やめとけ」
「進め」
「戻れ」
「右だ」
「いや左だ」
ノイズみたいに重なる声。
さっきまでの“明確な指示”が、嘘みたいに崩れている。
「……静かにしろ」
思わず吐き捨てる。
コメント欄が反応する。
『今なんて?』
『誰に言ってる?』
『独り言多くね?』
俺は軽く笑って誤魔化した。
「ちょっと集中してます」
だが、内側は違う。
確実に、何かが変わってきている。
◇
通路は、ゆるやかに下り坂になっていた。
湿気が強くなる。空気が重い。呼吸が浅くなる。
普通じゃない。
明らかに、“深い”。
「……ここ、どの層だ」
思わず呟く。
「正式ルートじゃねぇからな」
ひとつの声が答える。
「階層なんて概念、通用しねぇよ」
ぞくりとする。
階層外。
つまり、管理されていない領域。
“誰も保証しない場所”。
『なんか雰囲気変わったな』
『暗くね?』
『これマジでやばいやつじゃね?』
コメント欄も、少しずつ空気を察し始めている。
さっきまでの軽さが、薄れてきた。
そのとき。
「止まれ」
鋭い声が刺さる。
反射的に足を止める。
一歩先の床が、ゆっくりと沈んだ。
何も踏んでいないのに。
「……自動作動型か」
思わず呟く。
罠が“近づくだけで発動する”。
普通のダンジョンではまず見ないタイプだ。
『え、今の何』
『踏んでないのに動いたぞ』
『初見殺しすぎる』
コメントがざわつく。
俺はゆっくりと後退した。
「どうする」
小さく聞く。
すると、複数の声が重なる。
「飛べ」
「いや無理だ」
「壁沿いに行け」
「それも違う」
また、バラバラだ。
頭が痛む。
ズキン、と刺すような痛み。
視界の端が、わずかに揺れる。
「……くそ」
歯を食いしばる。
ここで止まれば、配信が死ぬ。
だが、進めば――。
俺は、床を睨んだ。
わずかな段差、色の違い、空気の流れ。
“情報”がないなら、自分で読むしかない。
「……いける」
低く呟く。
助走をつける。
コメント欄が一気に加速する。
『やるのか!?』
『飛ぶ気か』
『無茶だろ』
踏み出す。
一歩、二歩――そして跳ぶ。
空中で、時間が伸びる。
落ちる。
だが、その瞬間。
床が動いた。
真下から、槍が突き出る。
「っ!」
体を捻る。
ギリギリで避ける。
着地。
転がる。
息が詰まる。
だが――生きている。
『うおおおお!?』
『今の避けた!?』
『人間の動きじゃねぇ』
コメントが爆発する。
視聴者数が、さらに跳ね上がる。
俺は荒い息を吐いた。
「……まぁ、こんなもんです」
強がる。
だが、手は震えていた。
今のは、完全に“運”だった。
声の情報じゃない。
自分の判断。
そして、たまたま生き残っただけ。
その事実が、じわじわと効いてくる。
◇
さらに進む。
通路は、徐々に広がっていく。
やがて、大きな空間に出た。
天井が高い。
中央に、黒い水たまりのようなものがある。
「……なんだ、これ」
近づく。
水面が、ゆらりと揺れる。
そして。
――映った。
俺の顔。
ではない。
知らない男の顔。
血まみれで、笑っている。
「っ!?」
思わず後ずさる。
耳元で、声がした。
「見たか?」
低い声。
「それ、お前の“次”だ」
背筋が凍る。
『今何見た?』
『急に止まったぞ』
『何かあった?』
コメント欄がざわつく。
俺は、無理やり笑った。
「……いや、ちょっと変わったギミックですね」
誤魔化す。
だが、心臓はうるさい。
あれは、なんだ。
幻覚か?
それとも。
――残留思念?
「触るな」
別の声が言う。
「それ、引き込まれる」
俺は手を止めた。
水面が、再び揺れる。
今度は、複数の顔が映る。
知らない男たち。
全員、同じ表情。
――笑っている。
ぞくりとする。
コメント欄に、新しい流れが生まれる。
『これさ』
『さっきの全滅パーティのやつ』
『顔似てね?』
嫌な汗が流れる。
俺は、カメラを見た。
「……やめときます」
そう言って、距離を取る。
その判断に、コメントが割れる。
『正解だろ』
『ビビりすぎ』
『触れよw』
アンチと信者がぶつかる。
だが、その中に。
ひとつだけ、異質なコメントがあった。
『そこ、出口だぞ』
指が止まる。
もう一度、水面を見る。
黒い水。
揺れる顔。
その奥に、何かがある気がする。
耳元で、声が囁く。
「行け」
別の声が否定する。
「やめろ」
頭が、割れそうになる。
選べない。
情報が、多すぎる。
俺は、ゆっくりと手を伸ばした。
コメント欄が止まる。
『おい』
『やめろ』
『触るな』
指先が、水面に触れる。
冷たい。
その瞬間。
引っ張られた。
「――っ!?」
腕が、沈む。
水じゃない。
底がない。
何かが、掴んでいる。
「離せ!」
叫ぶ。
だが、引きずり込まれる。
視界が歪む。
耳元で、無数の声が重なる。
「こっちだ」
「違う」
「来い」
「戻れない」
コメント欄が爆発する。
『なにこれ!?』
『引っ張られてる!?』
『演出じゃないよな?』
俺は必死に踏ん張る。
だが、力が強い。
引きずり込まれる。
そのとき。
「切れ」
ひとつの声が、はっきりと響いた。
俺は迷わず、ナイフを抜いた。
腕に絡みつく“何か”を、切る。
感触はない。
だが、抵抗が消えた。
勢いよく引き抜く。
床に転がる。
息が荒い。
心臓が、壊れそうなほど鳴っている。
コメント欄が流れる。
『今の何だよ』
『やばすぎる』
『これマジで危険だろ』
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
腕を見る。
傷はない。
だが。
黒い跡が、残っている。
じわじわと、広がっていく。
「……なんだよ、これ」
呟いた瞬間。
耳元で、さっきの声が囁いた。
「印だ」
低く、静かな声。
「もう戻れない」
背筋が冷える。
コメント欄が流れる。
『手どうした?』
『黒くなってね?』
『病気?』
俺は、カメラを見た。
笑う。
「……大丈夫です」
そう言った。
だが、内側では。
確実に何かが壊れ始めていた。
そして。
通路の奥から。
新しい“足音”が聞こえた。




