その声は命令する
――耳鳴りじゃない。
最初にそう思ったのは、階段を一段踏み外しかけた瞬間だった。
「止まれ」
誰かの声が、俺の中で命令した。
反射的に体が止まる。次の一歩を踏み出していたら、そこは空洞だった。石床に偽装された落とし穴。深さは見えない。
「……助かった」
だが、安堵の言葉は途中で止まる。
今の声は、【残留思念】じゃない。
発動していない。俺は意識していない。
なのに、聞こえた。
しかも――命令形で。
背中が、じわりと冷える。
「……やばいな、これ」
それでも俺はカメラに向かって笑う。
「はい、というわけで今日も安全攻略やっていきます」
配信はもう始まっている。逃げ場はない。
コメントが流れる。
『今の止まり方なに?』
『絶対見えてただろ』
『透視チート乙』
『いや今のガチでやばかった』
違う。
見えてない。
聞こえたんだ。
――勝手に。
俺はゆっくりと落とし穴を迂回する。
「この辺、罠多いんで気をつけてくださいね」
軽く言う。だが心臓は早い。
これは、いつもと違う。
俺は深く息を吸って、意識的にスキルを使う。
「……来い」
視界が歪む。
冷たい気配が足元から這い上がる。
誰かの“最後”が、俺の脳に触れる。
『右だ……右に……隠し扉……』
男の声。掠れている。血の匂いがする記憶。
俺は迷わず右の壁に手を当てる。
石がわずかに沈む。
――開いた。
「ほら、やっぱりあった」
カメラに向けて肩をすくめる。
コメントが爆発する。
『なんでわかるんだよ』
『もういいってその演出』
『ガチで気持ち悪い』
『いや普通に神だろこれ』
『攻略サイトより早いの草』
俺は笑う。
この流れ、慣れてきた。
疑われて、持ち上げられて、また叩かれる。
その全部が数字になる。
再生数、投げ銭、登録者。
――金だ。
「じゃ、行きますか」
隠し通路に足を踏み入れる。
空気が違う。湿っている。腐っている。
そして――濃い。
死の気配が。
俺は無意識に眉をしかめる。
「ここ、やばいな……」
呟いた瞬間。
「進め」
まただ。
さっきの声。
今度ははっきりと。
俺の意思を押しのけるように。
「……誰だよ」
思わず口に出る。
コメント欄がざわつく。
『誰と話してる?』
『怖いんだけど』
『演技?それともガチ?』
『統失配信始まった?』
違う。
これは――演技じゃない。
スキルでもない。
俺の中に、何かがいる。
その確信が、じわじわと広がる。
だが足は止まらない。
むしろ――進まされる。
「……っ」
自分の体なのに、少しだけズレている感覚。
操作されているみたいな。
俺は奥へ進む。
そして見つける。
――死体。
新しい。
まだ完全に崩れていない探索者。
装備もそのまま。
血が乾ききっていない。
「……ついさっき、か」
俺はしゃがむ。
普通なら、ここで躊躇する。
だが俺は違う。
もう慣れている。
死者は情報だ。
資源だ。
「……使わせてもらう」
手を伸ばす。
触れる。
その瞬間。
――流れ込む。
恐怖。痛み。後悔。
そして――声。
『違う……そっちじゃない……』
男の記憶が再生される。
分岐。罠。ボスの位置。
だが、その中に。
混ざっている。
別の声が。
「進め」
同じ声だ。
さっきから俺に命令しているやつ。
死体の記憶と、俺の中の声が重なる。
混線する。
「……やめろ」
頭を押さえる。
痛い。
これはただの負荷じゃない。
侵食だ。
コメント欄が荒れる。
『顔やばいぞ』
『大丈夫か?』
『これマジで危なくね?』
『死者の記憶とか言ってたよな』
『それってさ…倫理的にアウトじゃね?』
来た。
この流れ。
俺は歯を食いしばりながら笑う。
「大丈夫です。ちょっと情報量多いだけなんで」
『いや無理あるだろ』
『普通じゃない』
『死人利用して金稼ぎとか終わってる』
『でも見ちゃうんだよなぁ…』
そうだ。
見てる時点で同罪だ。
俺は立ち上がる。
進むべき道は、もう分かっている。
だが――
「戻れ」
また命令。
今度は逆。
「……どっちだよ」
口から漏れる。
死者の記憶は“進め”と言っていた。
だがこの声は“戻れ”と言う。
矛盾。
どっちかが嘘だ。
あるいは――両方。
コメントが加速する。
『選択きた』
『どっち行く?』
『外したら終わりだぞ』
『配信的には進め一択』
『いや戻れはフラグだろ』
俺は笑う。
震えながら。
「……じゃあ、視聴者参加型でいくか」
『は?』
『責任転嫁すんな』
『でもそれが面白い』
『進め』
『戻れ』
『進め』
『戻れ』
コメントが割れる。
カオスだ。
俺はその中で、目を細める。
「……いいね、この感じ」
炎上も、混乱も。
全部が熱になる。
数字が跳ねる。
そして俺は。
「――進む」
一歩踏み出す。
その瞬間。
床が崩れる。
「――っ!?」
落下。
視界が反転する。
コメントが絶叫する。
『うわああああ』
『終わった』
『戻れって言っただろ』
『これ死ぬやつ』
落ちながら。
俺は笑った。
「……やっぱり、嘘かよ」
死者の情報。
間違っていた。
あるいは――騙された。
そして。
落ちる寸前。
耳元で囁かれる。
「正解は、こっちだ」
あの声が。
初めて、笑った。




