全滅ログの入口
あの扉の前から引き返したあとも、背中にまとわりつく視線は消えなかった。
――まだ喋れる死体たち。
振り返れば、そこに何もないのはわかっている。だが、耳だけは騙せない。かすかな気配、湿った息遣いのようなものが、ずっと近くにある。
「……帰るか」
小さく呟いた瞬間、即座に否定が飛んできた。
「もったいねぇだろ」
さっきの声とは別の、少し若い男の声だ。軽い調子なのに、妙に焦っている。
「お前、今の見ただろ? あそこ、ショートカットあるぞ。ボス飛ばして下層行ける」
ショートカット。
その単語に、指が止まる。
ダンジョン探索において、それは“勝ち筋”そのものだ。普通は見つからない。命を賭けて探すしかない。
それが――“最初からわかる”。
「……どこだ」
思わず聞いていた。
沈黙のあと、くすりと笑う気配。
「いいね、その顔。もう戻る気ねぇだろ」
図星だった。
胸の奥がじわりと熱くなる。恐怖と興奮が混ざった、妙な感覚。
俺はスマホの画面を確認した。配信はまだ続いている。視聴者数はさっきより増えていた。コメント欄は、相変わらず騒がしい。
『なんで戻ったの?』
『さっきのボス見たかったんだけど』
『逃げた?』
『いやあれガチでヤバそうだったぞ』
スクロールする文字の海の中に、ひとつだけ目を引くコメントがあった。
『この人、マジで“知ってる”よな?』
指先が、わずかに止まる。
――知ってる。
そうだ。俺は知っている。
他人の“失敗”を。
「……行くか」
小さく呟いて、俺は歩き出した。
◇
案内されたのは、さっきのボス部屋の手前、壁際のひび割れだった。
「そこ、押すと開く」
半信半疑で手を当てる。石の感触。何の変哲もない壁。
だが、ぐっと力を込めた瞬間、カチリと音がした。
壁が、横にスライドする。
「……マジかよ」
隠し通路。
コメント欄が一斉に動く。
『は????』
『今の何!?』
『隠し通路!?』
『いやいや初見でわかるわけねぇだろ』
視聴者数がさらに跳ねる。明らかに、流入が増えている。
俺はカメラに軽く手を振った。
「こういうの、たまにあるんですよ」
適当な嘘。
だが、内心は笑いが止まらなかった。
――これ、完全に当たりだ。
通路は狭く、暗い。湿気が強く、空気が重い。普通のルートとは明らかに違う“裏側”の匂いがする。
「気をつけろ。ここ、最初の罠えぐいぞ」
声が警告する。
「三歩目、床が抜ける」
俺は歩幅を調整しながら進む。
一歩、二歩――そして、三歩目を踏まずに跨ぐ。
直後、後ろで床が崩れた。
『また当てた』
『いやもうおかしいだろ』
『偶然じゃねぇ』
『なんでわかるの?』
コメントが荒れ始める。
俺は肩をすくめた。
「勘、冴えてるんですよね、今日」
軽口を叩きながらも、心臓は早い。
“知っている”ことが、こんなにも優位だとは思わなかった。
敵も、罠も、全部“過去の誰かが踏んだ地雷”だ。
それを避けるだけでいい。
「次、分かれ道。右行け。左は行き止まりで、帰りに追い詰められる」
「了解」
迷いなく右へ。
その動きに、コメント欄がさらに荒れる。
『いや選択早すぎ』
『普通悩むだろ』
『こいつ絶対何か知ってる』
そして――ついに出た。
『それ、誰の情報?』
核心に近い言葉。
一瞬だけ、足が止まる。
だが、すぐに笑って流した。
「秘密です」
その一言で、コメント欄が爆発した。
『きたwww』
『怪しいwww』
『隠すってことはマジか』
『こいつやばいぞ』
数字が、また伸びる。
笑いが込み上げる。
――バズってる。
確実に。
◇
通路の奥で、空気が変わった。
ひんやりとした冷気。鉄の匂い。
「……ここだ」
声が低くなる。
「俺ら、ここで終わった」
“俺ら”。
またその言葉だ。
視界の先に、開けた空間が見える。円形の広間。中央には、大きな影。
ボスだ。
だが――さっきの扉の向こうにいたやつとは違う。
「裏ボスだよ。正規ルートじゃ出ねぇやつ」
背筋がぞくりとする。
裏ボス。
つまり、普通の探索者は知らない存在。
それを――俺は、今から“初見で攻略する”。
コメント欄がざわつく。
『なんか雰囲気やばくね?』
『これボス?』
『さっきのと違うぞ』
俺は深呼吸した。
「いきます」
足を踏み入れる。
瞬間、影が動いた。
巨大な腕が振り下ろされる。
「右!」
声に従い、即座に回避。
地面が砕ける。
『うおおおお!?』
『今の見えてたの!?』
『反応速すぎだろ』
「次、三連撃。最後がフェイントだ」
指示が飛ぶ。
俺はその通りに動く。
一撃、二撃――三撃目、わざと遅れて避ける。
空振り。
『え、全部避けてる』
『これチートだろ』
『いや怖いって』
俺は、笑っていた。
楽しい。
こんなにも、簡単に勝てるなんて。
「コアは背中。今、隙できる」
その言葉通り、ボスが大きく体勢を崩す。
俺は迷わず背後に回り込み、ナイフを突き立てた。
光が弾ける。
ボスが、崩れる。
静寂。
そして――
『勝った!?』
『はやすぎwww』
『初見でこれはおかしい』
『何者だよこいつ』
コメントが流れ続ける。
視聴者数が、また一段跳ね上がった。
俺は息を吐いた。
「……終わりです」
あまりにも、あっさりとした勝利。
だが、その裏には。
――誰かの“死”がある。
「なぁ」
耳元で、声がした。
「今の、俺らの最期そのままだ」
ぞくり、とした。
「……どういうことだ」
「同じ動き、同じタイミング。お前、全部なぞった」
背筋に冷たいものが走る。
俺は今、“再現”したのか。
誰かの死に方を。
コメント欄に、新しい流れが生まれる。
『これさ』
『さっきの動き』
『どっかで見たことあるってコメントあったぞ』
嫌な予感がする。
画面をスクロールする。
そして、見つけた。
『これ、去年全滅したパーティの動画と同じじゃね?』
心臓が、強く跳ねた。
その下に、さらに続く。
『あの事件、ニュースになってたやつ』
『まさか……』
指が、止まる。
俺は、ゆっくりとカメラを見る。
笑顔を作る。
「……たまたまですよ」
そう言った瞬間。
耳元で、別の声が囁いた。
「嘘つくなよ」
低く、冷たい声。
「次は、俺の番だ」
背後の気配が、さらに増える。
重なる声、重なる記憶。
俺は、喉の奥で笑った。
――まだいける。
もっと、稼げる。
その代わりに何を失うのかは、考えないことにした。




