正解が消えた
「……使えない?」
思わず、声に出た。
さっきまで俺たちを救った“空白”。
あの一点が、もう存在しない。
耳元で囁いた声は、嘘をついているようには思えなかった。
「どうした」
男が警戒した目で見る。
当然だ。
さっきの戦闘から、俺の一言が生死を分けると理解している。
だからこそ。
――言葉の重さが違う。
コメント欄も即座に反応する。
『何があった?』
『また予知?』
『今度は何が見えてる』
俺は、少しだけ間を置いた。
どう言う。
どう伝える。
その答え次第で――全員死ぬ。
「……次」
ゆっくりと口を開く。
「“安全な場所”が、ないです」
空気が止まる。
「は?」
女が眉をひそめる。
男も顔をしかめる。
「さっきの、もう使えないってことか」
「……はい」
短く答える。
コメント欄が一気に荒れる。
『詰みじゃん』
『さっきのインチキ終わった』
『どうすんのこれ』
だが。
俺の中では、もう一つの事実があった。
――“完全に詰み”じゃない。
ただ、“正解が見えない”だけだ。
◇
通路は、さらに奥へと続いている。
さっきの広間を抜けた先。
明らかに空気が変わっている。
静かすぎる。
死者の声すら、少ない。
「……おかしい」
思わず呟く。
これまでなら、もっと“残っている”。
ログが。
記憶が。
なのに――薄い。
「なんだ」
男が聞く。
「声が、少ないです」
正直に言う。
その一言で、二人の表情が変わる。
「それって」
「……つまり」
女が言いかけて、口を閉じる。
わかっている。
ここは――。
“誰も帰っていない場所”。
だから、残っていない。
コメント欄がざわつく。
『やばくね?』
『ログなしとか詰み』
『初見ダンジョン』
俺は、ゆっくりと歩き出した。
足音が、やけに響く。
◇
少し進んだところで、それはあった。
――扉。
巨大な石の扉。
装飾はない。
ただ、無機質に立っている。
「……ボスだな」
男が呟く。
間違いない。
この先に、何かがいる。
問題は――。
情報がないことだ。
「どうする」
女が聞く。
俺は、扉を見た。
耳を澄ます。
声を探す。
だが。
――ない。
本当に、何もない。
「……わかりません」
初めて、そう言った。
沈黙。
コメント欄が止まる。
『え』
『初めて聞いた』
『詰んだ?』
男が、ゆっくりと息を吐く。
「そうかよ」
短い言葉。
だが、その奥にあるのは理解だ。
ここは。
“未知”。
俺のスキルが、通用しない場所。
そのとき。
耳元で、微かな声がした。
「……開けるな」
かすれるような声。
弱い。
今にも消えそうな。
「……中、やばい」
反射的に、顔を上げる。
今のは。
――新しい声。
だが、誰のものだ?
ここには、死体がない。
なのに、聞こえる。
「……誰だ」
小さく呟く。
声は、続けた。
「開けたら……終わりだ」
途切れ途切れ。
だが、確かに警告している。
コメント欄がざわつく。
『今の何?』
『また聞こえてる?』
『怖すぎる』
俺は、扉を見た。
開けるな。
それが、正解か?
それとも――。
「嘘だ」
別の声が、重なる。
はっきりとした声。
冷たい。
あの“異質な声”。
「開けろ」
背筋が凍る。
「ここまで来て、引くのか?」
挑発。
誘導。
明らかに、危険な匂い。
俺は、歯を食いしばる。
どっちだ。
どっちが正しい。
◇
「……どうする」
男が聞く。
判断を、委ねている。
コメント欄も加速する。
『開けろ』
『やめろ』
『ここで終わるのはつまらん』
アンチと信者がぶつかる。
だが。
決めるのは――俺だ。
俺は、目を閉じた。
思い出す。
これまでの“声”。
正しかったもの。
間違っていたもの。
そして。
――“嘘”。
「……開けます」
静かに言った。
その瞬間。
コメント欄が爆発する。
『きたあああ』
『やめろって』
『絶対死ぬ』
男が頷く。
女も構える。
俺は、扉に手をかけた。
そのとき。
さっきの弱い声が、最後に囁いた。
「……逃げろ」
そして、消えた。
◇
扉が、開く。
重い音。
空気が流れ込む。
その先に――。
何も、いない。
「……は?」
思わず声が出る。
広い部屋。
だが、敵の気配がない。
静かすぎる。
コメント欄がざわつく。
『え?』
『ボスいない?』
『罠だろこれ』
俺は、一歩踏み出した。
その瞬間。
床が、沈む。
「っ!」
反射的に飛び退く。
だが、遅い。
部屋全体が、光る。
魔法陣。
いや――違う。
これは。
“閉じる”。
後ろの扉が、音を立てて閉まる。
「閉じ込められた!?」
女が叫ぶ。
男が扉を叩く。
開かない。
完全に、封鎖。
コメント欄が爆発する。
『やっぱ罠』
『詰みじゃん』
『ボスどこだよ』
そのとき。
空間が、歪んだ。
ゆっくりと。
中心に、何かが現れる。
――人影。
だが、違う。
輪郭が、崩れている。
複数の姿が、重なっている。
「……なんだ、あれ」
男が呟く。
俺は、目を見開いた。
理解した。
あれは――。
「ログだ」
思わず口に出る。
死者の記憶。
その集合体。
今まで聞いてきた“声”が、形になっている。
コメント欄がざわつく。
『どういうこと』
『ボスが記憶?』
『意味わからん』
その“何か”が、こちらを見た。
無数の顔。
無数の目。
そして。
同時に、口を開く。
「――お前だ」
低い声。
重なる声。
全ての声。
「全部、お前のせいだ」
背筋が凍る。
心臓が、強く鳴る。
理解する。
これは。
ただの敵じゃない。
――“代償”だ。
俺が、今まで利用してきたもの。
それが、形になった存在。
コメント欄が、ゆっくりと流れる。
『これ…』
『主人公のせい?』
『因果応報?』
俺は、ナイフを握った。
手が震える。
だが、離さない。
そのとき。
耳元で、あの“異質な声”が囁いた。
「なぁ」
楽しそうに。
「これ、どうやって倒す?」
答えられない。
情報がない。
ログがない。
つまり――。
完全な、初見。
俺は、一歩後ろに下がった。
だが。
背中が、壁に当たる。
逃げ場がない。
そして。
“それ”が、動いた。
――無数の死に方を、同時に再現しながら。




