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ふたりの天下びとー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第丗二章・雲州尼子大包囲二【天文廿四年五月二十日(1555年6月9日)~】
313/314

雲州尼子大包囲二3-1


 ー3ー


 同、五月廿八日(1555年6月17日)。ついに雨の季節が訪れた。


 天候は雨。気温は上がりきらず、僅かに肌寒さが残る。


 戦時下であっても季節は巡る。備前東北部、天神山城下の上田土集落ではしとしと降り続く雨の中、連日の様に代掻きを急ぐために田に立つ村人らの姿があった。城内の物見櫓から見下ろす限り、動員されている彼らに老若男女の区別はない。数日前まで麦刈りに動員されていた彼らには、今を休む事が許されなかった。


 戦争は間もなくやってくる。村落の民に無理を強くのは備中勢だけではない。本格的な戦が始まる前に、一本でも多く苗を植えねば秋以降の食い扶持を失うのは備前勢もまた同じだった。


「……禁制とはどういうおつもりですかな」


 天神山の東北、田土の根小屋の最上部には城主・浦上宗景の居館が置かれている。根小屋とは山城や丘陵のふもとに形成された集落群を指す言葉で、城主・家臣の平時の居住空間も含まれている。もう少し規模が小さければ土居とも呼ばれるが、天神山においては規模が段違い。その上、他の西日本の城に多い盛り土方式ではなく、急峻な山の地形を巧みに利用した平削と石組みによる精緻な区画割りが行われていた現在も形跡が残されている。


 伝承によれば、それぞれの区画において、石組みの上部ほど上級武士の屋敷、下の方が下級武士の屋敷だったとも伝えられているが、詳細はまだよく分かっていない。


「繰り返して聞きますぞ。禁制とはどういう了見ですかな」

「…………」


 この日、宗景が主に政務を行うこの居館では、備前独立派筆頭の宗景を含めた複数の重臣らにより、備中三村氏の使者を館に呼び出されていた。


 一触即発。宗景が顎髭を撫でながら猜疑と殺意の入り混じる眼差しで使者を睨め付けると、ゆっくりと質問を繰り返した。


「無言では何も伝わらん。儂が聞いているのは、貴様らがどういう了見で当家の領域で禁制を敷くような真似をしたのか。それだけを聞いておる」


 決して怒鳴っているわけではない。昨年からの工期を終え、ついに完成した新たな屋敷のなかでは、宗景が威圧する声がよく通る。


 禁制とは、自分達の安全を保障してもらう代わりに何らかの代償を支払う行為だが、用心棒代や身代金とは少し異なる。


 一般的な禁制には、乱妨(乱取り)、狼藉、里山の樹木の切り取り、村落内での騒ぎや喧嘩、寺社においては境内での勝手な陣張り、あるいは神域での殺生などを禁止行為として盛り込んで発給されるのが常となる。つまり一種の警察権を有しているために、発給主が該当地域を保護できる力を示す絶好の機会でもある。


 裏を返せば、禁制を発給することで安全保障を宣言すると同時に、既存の領主ではもうこの土地を守れない。これからはこの土地は我が勢力が支配するのだ、と宣言することにも繋がる。


 特に今回に限っては、備前独立派の戦に対する先見性の不手際を周囲に知らしめ、備前の民をいたずらに動揺させている。これは三村氏が備前の民に離反を促す心理的な重圧を与えていることに他ならない。


 安芸毛利氏を介した間接的な同盟関係とはいえ、協調路線にある相手にこの行為は度が過ぎている。完全な挑発行為と言えた。

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