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ふたりの天下びとー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第丗一章・雲州尼子大包囲【天文廿四年四月廿三日(1555年5月13日)~】
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雲州尼子大包囲4-2


 内心では非常に苦々しく思いながらも、元堅は落ち着いた様子で使者を下げさせて、やっと一息つくことができた。


 武士は食わねど高楊枝。しかし、本当に食えなくなれば西備前の盟主の威厳も何もない。


(昨年、備中衆が攻めてきた折、同じ富山表で陣を張りながらやけに攻めては来ぬと思うていたが、よもや今年の収穫を見据えて舌舐めずりをしていたとは……)


 あの時は尼子家の支援があったために三村氏の侵入を防ぎもしたが、今回は尼子氏からの支援はなにもない。

 

 結果として、三村氏の良いように押し込まれた。

 

 今頃自分達の刈り残した今年分の成果を備中の者どもが悠々と収穫していると思うと、元堅の(はらわた)は煮え繰りかえるのを通り越し、十界互具の精神から自己が阿修羅の権化として変化しかねないほどの激しい怒りが立ち昇ってくる。

 

 松田元堅とて、西国に名を馳せた猛将の一人である。


 先程までこの境内に集っていたのは、虎倉城の伊賀(いが)久隆(ひさたか)、船山城の須々木豊前(すすきぶぜん)、妙言山城の須々(すすき)四郎兵衛(しろうひょうえ)の親子。それに川を挟んで南東にある龍口(たつのくち)城の穝所職経(さいしょもとつね)らのからの使者となる。彼らの主は皆、智も勇もある武将として、備前はおろか隣国からも一目を置かれる松田氏自慢の臣下であり、信頼して止まない盟友だと元堅は信じていた。


 そんな彼らが、今回の三村の侵入に後れを取った。


 これは、決して油断していたからではない。自分達は国境の警備に目を光らせていたし、緊急時の徴兵に関しても普段から準備を心掛けていた。だが、天候だけはどうにもならぬ。人知の及ばぬことである。今の負けは今の負けと呑み込み、切り替えてみせるだけの度量を元堅は持ち合わせていた。


 一拍、瞳を閉じ、深く肺腑の奥の奥まで息を吸い込むと、今日はまだ食事を取っていなかった時分に気が付く。冷静さを失うのは万倍返ししてからでも遅くはない。


「……負傷者の収容も間もなく終わる。夜襲の可能性はないだろうが、警戒を厳とし、城内より脱走する者や離反する者が出ぬ様、各自、怠りがないように気を配れ」


 警護する兵士らに籠城戦に向けた訓戒が終わると、今度は、社殿の奥から温かい握り飯を持った若い娘たちが現れた。


 七曲神社の後方には高さ七十丈余(約200m)の臥龍山が存在し、その山の起伏を利用して備前西部最大の金川城が築かれている。城の東と南の二方には旭川と宇甘(うかい)川という天然の堀が備わり、城内には数ヶ月分の食料が貯蔵され、山中には岩盤を垂直に掘り抜いた巨大な素掘りの大井戸が三基備え付けられる。


(戦況はどうあれ、我らは備中勢の迎撃という最低限のことは果たせている。規模こそ不明だが、多少押し込まれたところでこの城は容易には落とせぬ)


 三村勢の急襲に対し、部下はよくやったと元堅は思う。


 犠牲者は少なくなく、相手に物資を渡さぬように、城下に貯め込みながらも城内に運び込めなかった物資には火を掛けさせた。彼らとて断腸の思いだったに違いない。


 それゆえに、元堅はあえて城で備蓄中の米を切り崩した。


 炊き出しを行わせ、温かい白い握り飯という目に見えるかたちで、薄く化粧を施した若い娘に温かい言葉と共に城兵ひとりひとりに手渡させる。わずかばかりであるが酒も出している。


 通常、こうした戦の最前線に女性が出てくることは珍しい。


 彼女らは皆、この麓の城下町や近隣の領民、家臣団の家族で構成されていた。どこの誰かが分かる知り合いの娘が、健気にも自分達を励ますために前線に出て配膳に従事する。この城が落とされてしまえば彼女らは全員命を落とすか、あるいは手籠めにされる。


 自分達が守るべきものはなにか。


 あほうの様に思えるが、人はそれを再認識するだけでやる気を取り戻す。


 そして気落ちした時の空腹ほど人間の気勢を削ぐものはない。空腹の恐ろしさは誰もが知っている。腹を大きくして十分な睡眠を確保すれば、今は萎え切った兵士も明日には元気を取り戻す。


 敵と同様、こちらも正面から戦うばかりが戦ではない。


 南無法蓮華経、と元堅の口唇が動く。


 小氷期と呼ばれたこの時代、夏の空気が南の梅雨前線を押し上げる力は現代よりもずっと弱い。


 金川が梅雨入りを果たすのは、例年であれば凡そ七日ほど先となる。


 梅雨に入れば湿気に弱い麦はたちまち腐り果てる。「雨よ早く降れ、降ってすぐにでも麦を腐らせよ」という願う心と、「否、このまま降らずにいろ。備中勢を追い散らすまでは降らずにいてくれ」と願う心がせめぎ合う。


 最終的に、彼のどちらの願いが天に通じたかは分からない。


 この年の梅雨の入りは五月下旬へとずれ込み、思う存分夏麦を収穫する備中勢に対し、城内で援軍を待つだけの松田勢はただその横暴を見守ることしかできなかった。

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