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ふたりの天下びとー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第丗章・西播怪談実記草稿十五【天文廿四年正月十八日(1555年2月9日)~】
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西播怪談実記草稿十五3-1【播磨一本堂他】

 ー3ー



 同日、夜半。天候は相変わらず雨。


 政範が風呂に呼ばれたのは、彼が夕食を取って間もなくの時間帯。


 この日の夕餉は物忌(ものいみ)も兼ねている。そのため、お礼詣において神事に従事する者と、その付き人とで今夜泊まる場所が区分されている。


 もちろん平安期のように厳密な物忌が行われるわけではない。


 神事に参列する政範に課せられたのは、物忌の中でも斎戒(さいかい)に類するもので、大まかにいって二つの物事に制限がかかる。


 一つは食事。


 今夜の夕餉は玄米粥、豆腐、大根の煮物など。白を基調とした食材が使用され、唯一、香の物に船越山の瑠璃寺より贈られた味噌が添えられ、僅かな彩りとなる。質素にも思えるが、植物性の食物を摂取することで、殺生による穢れを体内へと入れないことを目的としている。


 食事を取る際には、茶碗の左右、向かい側から一箸ずつ食材をとり、一口にして食べる。また、汁を吸う際には箸を揃えてから汁を吸う。最後に、食事を終えるに際して感謝の言葉を唱えてこの儀式は終了となるのだが、この時の文言などは後世に伝わっておらず、感謝の対象が何に対してなのかは分からない。

 

 加えて、神事を執り行う者は、他人との日常会話や面会にも規制が入る場合もあり、その期間や制限内容は祭事に応じて区分けされていた。


 もう一つは、風呂。


 いわいる沐浴(もくよく)と呼ばれる行為で、身を清めると同時に、その身にまとわりついた穢れを洗い落とすことを目的とする。


 そのため、謂れのある霊泉や海水を用いられる事例もあるのだが、生憎と季節は未だ冬が続く春の始まり。


 流石に冷雨に凍えながらの水浴みは憚られ、集落の人間に頼んで温かな風呂を用意させたのだが、しかしながらこの時代、まだ三河谷には金銭を出して入浴できる銭湯のような公衆浴場は存在しない。もう少し後になれば、現代の光福寺のある場所に真宗の修行施設が建てられるのだが、現状浴堂などの沐浴設備が備わっている最寄りの場所は南光坊瑠璃寺くらいで、今宵の宿からは少し距離が離れ過ぎていた。


 それゆえ、政範らに用意させたのは、一般的な(いぶ)り風呂となる。


 小屋を締め切り、火を炊くことで煙や水蒸気を発生させ、身体を温めつつ体表に浮き出てきた垢や汚れを清潔な布で拭き取っていく。この時、仏説温室洗浴衆僧経に登場する七物(燃火ねんか・浄水・澡豆そうず蘇膏そこう淳灰じゅんかい楊枝ようじ内衣ないい)を使用するかは不明だが、それに準じた何かを使っていた可能性は高い。


 家人に呼ばれるまま湯屋となる小屋に向かおうと外に出ると、途端に、つん、と鼻腔の中に血の匂いが飛び込んできた。

【銭湯】

・日本に銭湯ができたのは、分かっている限りでは天正十八年の大阪。東京においてはその翌年、伊勢与市という者が銭瓶橋ぜにがめばしのほとりに銭湯を建てたことが始まりとされている。


日本浴用剤工業会さまHP

https://www.jbia.org/tips01.html


東京銭湯さまHP

https://www.1010.or.jp/guide/history/



【桃谷山光福寺】

・通称『播磨一本堂』。

 永禄九年十月九日、浄土真宗の僧・教善が同宗派の道場として建立したのが始まり。

 後に、織田と本願寺が争った石山合戦において戦功をあげたことを受け、寺号を授けられた。

 寛永十八年、寺は火災で焼け落ちたが、教善の九代子孫・残貞が、夢の中で聖徳太子のお告げを受け、寺跡より五里北の千種谷香路の地にて、「その木一本で千種七つの村に影が差す」という大欅(おおけやき)を発見し、更に木の中から聖徳太子の像が安置されていたのを見つけたと伝わる。

 喜んだ残貞はこの大欅を利用して寺院の再建を試みたところ、あまりに大きな建材だったがために、本堂の梁、長押など全てがこの大木一本で賄うことができたという。それ故、誰がいうでもなくこの寺を「播磨一本堂」と呼ぶようになったのだとされている。

 寺院の再建が叶ったのは、元禄九年四月十五日。

 この寺院復興の際に植えられたイトザクラの木は今でも同寺の名物として知られ、樹齢三百年を数える大イトザクラが春が来るたびに多くの参拝者を集めている。



【仏説温室洗浴衆僧経】

・いわいる『温室経』。

 仏説温室洗浴衆僧経はお風呂の入り方と効能、功徳を書いた経文。日本で初めて写経が行われたのは天平八(736)年で、それ以降の日本の風呂文化に多大な影響を与えている。

 今日では、大内氏十一代当主・大内盛見が勘合貿易を通じて持ち込んだ大蔵経(高麗八万大蔵経)を底本とする、昭和九(1934)年成立の大正新脩大蔵経(大正大蔵経)巻十六の中においても確認することができる。

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