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ふたりの天下びとー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第丗章・西播怪談実記草稿十五【天文廿四年正月十八日(1555年2月9日)~】
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西播怪談実記草稿十五2-2【鍋が森の御社】


「さて、向かいますかな」


 この日、七条屋敷を訪れたのは、分かっている限りで、佐用郡北部の豊福村から豊福肥前守ち宗左衛門の二人が、江河村からは孝橋某らと、その他警護の者がおよそ十二名ばかり。七条屋敷からも捧げ物の持った六つか七つの子供が二人同行しており、政範の他には、さらに五名の大人が付き人として出向く。


 どの集落出身の者たちも、先の雨乞いの際、鍋ヶ森の神主より火種が与えられた者たちだった、


 それぞれの集落の代表者が持ち帰った火縄をもとに、各集落でさらに火が分たれ、集落毎の雨乞いの際にその御神灯を用ることがこの辺りの習わしとなる。


 故に、鍋ヶ森の雨乞いに恩義を感じる者は多く、実際に雨が降ったのであれば、手に手に森に奉ずるための品々を持ち寄り、蓑の下に抱いて歩く。


 一風変わったものであれば、豊福氏の家中の者らが持つ、肩幅ほどの細長い存在が子供らの視線を集めていた。少しでも濡らさない様にと、幾枚もの油紙を家人が施した姿が、子らの注意を引いたらしい。


 あれが、最近流行りの鉄砲というものだろうか。


 気になった政範が何を包んでいるのかと疑問に思い問うてみれば、残念ながら予想は外れ、「非常に響きの良い笛で、一度吹けば三里四方に音が通る」との回答を得た。


 曰く、鍋ヶ森の神様は踊りが好きらしい。


 なるほど。一番の捧げ物が踊りとなれば、今回のお礼詣の日程が、今日は三河谷に宿を取り、明日は馬に乗せて千種谷まで。その後、明後日の朝になって西河内の鍋ヶ森に入るというのは、踊り手の子らの足を心配するが故なのだろう。


 道中、志之村(現・佐用町漆野?)という場所で平松方面、柏原城の間島氏が使わした馬借と待ち合わせ、千種川本流の湾曲に沿って大きく川を遡る。


 左手には山が迫り、右手には最大で川幅二十尋にも及ぶ大河が流れる。


 幸い、最も川幅の狭まった場所に架けられていた橋は流されておらず、無事に橋を渡り終えると、今度は山が右手、川が左手となる。


 今のこの増水と濁流さえ無ければ、何艘もの川舟が行き交っているものらしく、川端の各所に川舟を避難させた舟屋を見かけることができた。


 その一方で、山側では川瀬の対岸に田や畑が耕され、今の時期では(かぶら)を抜いて穴だらけとなった地面が雨に晒され、水はけの悪い場所に小さな水たまりを作っている。さらには、こんな場所にも人は住むのかと疑いたくなるような山の急斜面に小屋があり、時折北風に(むしろ)の扉がめくり上がる度、五、六人の(そま)の家族が身を寄せ合っているのが見えた。


 雨は止む気配がない。


 一行は次第に無言になりつつも行程を進め、政範らが三河の地を踏んだのは申の刻(凡そ午後4時)を過ぎてから。


 それぞれ割り当てられた民家に案内されると、濡れた雨具を土間にかけ、火を点した囲炉裏に案内された。しかし、余程疲れたのだろう。(かまち)を上がった子らは、たちまちくうくうという寝息を立て始め、大人等もようやく足を延ばして一息をつく。


 ふう、と疲労から来る溜息を洩らした政範に対し、風呂の準備ができたという声がかかったのは、もう少し時間をおいてからのことだった。

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