西播怪談実記草稿十五2-1【鍋が森の御社】
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同日、昼。
七条屋敷の門前に郡内の有力者らが到着し、政範も彼らに合流する。冬と春の境目の肌にまとわりつく細く冷たい雨を全身で浴びながら、蓑、笠を身にまとった二十名ばかりの男たちが整備された街道を北に向かって歩く。
屋敷の中からは分からなかったが、村の北に聳える大撫山では山の途中で白と黒の二色で真一文字に綺麗に線引きされ、山の高低差による雨と雪との狭間がはっきりと見て取れた。
凍える両手は雨に濡れ、氷点下近い雨の中にもかかわらず、道中を共にする男たちの表情は皆明るく、それでいてどこかほっとした表情が浮かぶ。それぞれ、手には米や餅、酒、金銭などを持ち寄り、飛び交う会話も和やかな内容のように聞こえる。
「やあ、ようよう降っておりますな」
いつの時代でも、農を基盤とするこの国の者にとって、最大の関心事は空模様となる。
昨年の秋以降、播磨国南西部は雨や雪に恵まれずにいた。
まったくをもって降らなかったわけではない。だが、山からの湧き水の流入量が乏しく、春を前に佐用郡内の各所に作られた溜池では池の底の泥が露わになる場所がほとんどで、これからの耕作を心配する声が領主らのもとに寄せられ、雨乞いの陳情が何度もあった。
それゆえに、皆がめいめい思うままに雨乞いの儀式を行っていたのだが、その中で抜群の効果をもたらしたのが鍋ヶ森の御社。
由来は古く、永承六(1051)年頃に創建されたと伝わり、当時千草荘西河内の郷に住んでいた佐藤盛唯という人物が見たひとつの夢に起因している。
あるとき盛唯は夢の中で白髪の老人と出会う。老人は自らを鍋ヶ森の大蛇の化身であると伝え、自分の亡骸を葬って欲しいと盛唯に頼みに来たのだと言う。盛唯は驚いたが、老人は落ち着いた様子で自らの亡骸を葬る礼として、世の人が願えば天候を自在に操り、五穀豊穣を約束してくれた。
翌日、夢のお告げ通り盛唯が鍋ヶ森に向かったところ、実際に森の中を流れる谷川の甌穴近くで大蛇の亡骸を見つけ、村人らと共に亡骸を丁重に葬り小さな社を建てたのが鍋ヶ森の御社の始まりなのだという。
それ以来、社に向かって傅き、晴れを願えば快晴を、雨を願えば適度な雨を、と願った者の要望通りの天気を与えてくれる農民にとって大変ありがたい霊験をみせたとされ、特に雨乞いに対しては近隣諸国からも参詣者を集めるほどに名が通っていた。
【足半おどり(奥金近)】
・佐用町公式HP「佐用の史跡文化財 足半おどり」
https://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=11755
・神戸新聞「<はりまの秋祭り>佐用・奥金近地区で31年ぶり復活! 雨乞い伝統芸能「足半踊り」 97歳が草履づくり指南」(2024/10/23 )
https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/202410/0018258197.shtml
【尼ヶ城(長谷高山城)】
・江戸時代に近隣の村の子供たちが雨乞いを行ったとの記載が佐用町観光協会の看板にある。
・城郭放浪記さま『播磨長谷高山城』
https://www.hb.pei.jp/shiro/harima/hasekoyama-jyo/
【鍋が森】
・宍粟市山崎文化協会さまより『(29)千種町西河内『鍋ヶ森なべがもり』
https://www.yamasaki-bunka.org/?p=679




