西播怪談実記草稿十五1-2【雪椿と山茶花】
一方で、政範がこの少女に何の感情も持っていなかったかと問われれば、それは明確に否だった。
「あの花も無事に根付き、今朝もあの子が持ってきてくれました」
そう言う少女の声は明るい。少女の目は、政範の右手にある床の間の上に飾られた一輪挿しの藪椿の花に向けられている。この椿は朝一番に少女の妹が姉の為に摘んできたものとなる。
「……良かったな。枯れでもしたらあれは泣いただろうな」
政範の背中越し、七条屋敷の生垣の山茶花が冬が来る度に人々の目を楽しませる濃い桃色の花を付けて咲き誇るのだが、この冬からはもう一色、濃い緋色の椿の若木が追加されている。
これは離れの南西に新たに植えられたもの。昨年の秋、備前から帰還したばかりの政範と雪夫婦、それに花の三人が村人らに頼み込み、以前少女らが居を構えていた猪伏集落から運び込ませたものとなる。
「そんなに子どもではありませんよ」
ふふふと笑う少女が政範の為に白湯を入れる。
「この家には慣れたか」
政範の問いに、少女はこくりと頷く。
最初、本当に手探りだった少女の暮らしも今ではそれなりに落ち着いている。彼女が使用する日用品のほとんどが彼女の手の届く範囲に配置され、調子さえ良ければ繕い物などもしているらしい。かつての家での生活をなるべく再現できるように、と細部に配慮がなされている。
「もう少しすれば、そこの花も梅に代わりますね」
活けられた椿の花だが、近づいてよくよく見れば花弁の縁に茶褐色のものが混じる。
今よりも古い時代、花見といえば梅の花だった。
椿や山茶花が花を散らし、庭の梅が開花すれば春が来る。
そういえば、庭木に椿といえば、首が落ちるといわれ武家の庭木には忌避の対象となったとされる。一方で、その俗説が広まったのは江戸時代からとも聞く。この物語が成立した十八世紀において、さて七条屋敷の椿がどこに植えられたのか、現代の我々の手元には『離れの南西』という情報しかない。
敷地内なのか敷地外なのか。
ただ、伝承によれば、二人の少女のうち、姉の方はその生涯を通して椿の花を好み続けた。
後に、政範親子が赤松姓を名乗り上月の城へと入る頃に、この椿の木が太平城側の南にある佐用氏の菩提寺・紫雲山盛徳寺に植え替えられたという。上月合戦を経た後も椿は生き残り、江戸時代に入ってからは、その木かその木の子孫が、城跡近くの寺子屋の庭木として地元の人間から親しまれるようになる。
「妹御はどこに」
「もうすぐ参ります。先に福原様をお呼びするように家中の者にも言付けました」
「かたじけない」
政範が白湯を受け取り、湯呑に口をあてるとふわりと花の香りが広がった。
「これは……」
「先日、備前の父が贈って下さった塩蔵の桜です。前に浦上様の使いで京を訪れた際、たまたま訪れていた三井のお寺のお坊さまから譲って頂いたものだと」
「三井。近江国か」
ずずずと飲み進めると口の中にいっぱいに一足早い春が咲き乱れた。
「はい。都の方は少しずつ平穏を取り戻し始めています。しかし、お隣の近江国では北と南に分かれて戦が始まるのではないかとの噂しているそうです」
北近江の浅井氏と南近江の六角氏。
二年ほど前、近江国では地頭山という場所で敗れた浅井氏が六角氏に従属したという話は政範の耳にも入っていた。六角氏と三好氏は仇敵同士となるため、京都の情勢から察するに、案外浅井氏の背後には、近江朽木谷に在する将軍家に味方する六角家を牽制する為、三好家から支援が入り込んでいるのかもしれない。
「東も西も、戦雲未だ消えやらず、か」
と、戸口の方から慌てた様子の軽い足音が聞こえてきた。
「……妹御だ。あれにも湯を入れといてやるといい」
ご馳走様、と、政範は飲み切った湯呑みを置いて、土間に掛けられた蓑に袖を通して笠を被る。
今日はこれから社詣。恵みの雨をもたらした社への参拝の予定となる。
【椿か山茶花か】
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