桜の舞う国にて
「……リ! イオリ!」
ん……誰かが俺を呼んでる、一体誰が……
「大丈夫か、気を失っていたが何があったのじゃ?」
心配そうな顔で俺の傍に座り込んでいるのは白露さんだった。辺りを見渡すと日が昇っていて、太陽の光に照らされた色鮮やかなバラ窓が輝いている。
「あれ……俺は一体……。――っ!! そうだ、あの三人は?!」
「何の事じゃ? ここには誰もおらぬ、夢ではないのか?」
夢……? 違う、絶対にこの目で見た。忘れる訳がない……あの時矢神達の言ってたグリモワール。そのページを集めるためには数々の王の犠牲が必要だと。そして次に狙われるのは桜雲とアンジュ。そういえば……桜雲って白露さんの故郷じゃ……
となると尚更黙っている訳にもいかない。俺一人に解決できる問題じゃない、皆で王を守らないと。
「白露さん、落ち着いて聞いてください。俺達が探していた三人は、アンジュの王子を狙っています。それに……白露さんの故郷、桜雲帝国の王も……」
俺が静かに語り終えると、白露さんの表情は凍りついた。自分の故郷と嫁いだ国が狙われている、そんな状況の白露さんは一体どんな思いをしているんだろう、想像もできない。どちらも大切だろうが助けに行けるのは一国ずつ。だが、あの男は先に桜雲帝国に行くつもりだと言っていた。それなら答えは見えている。
「桜雲帝国に行きましょう、三人はきっとそこにいます」
「……っ! そう、じゃな……取り乱している暇はない。手遅れになる前に向かわねば」
俺達は急いで神殿を出た。目の前には古びた交通船……
「フルル達が帰還するために見つけてくれたのじゃ。多少不安ではあるがこれを使おう。ゼル! 船の準備は出来ておるな?」
「ああ、バッチリだ。二人とも、早く乗ってくれ!」
船の窓から顔を出したゼルさん。きっともう皆揃っているんだろう、少し安心した。
◆◇◆
「そんで? この海路すっげー嫌な予感がするんだが?」
「お察しの通りじゃ、桜雲帝国に向かっておる」
客室のソファにもたれ掛かりながら窓の外を眺めるゼルさん。俺には見えないがきっと大陸の目印でも見えてるんだろう。
「何で今更。もう散々疲れただろ? 城に帰ってゆっくりしようぜー」
「皆さん、しっかり聞いてください。俺が見かけた三人はアンジュの人間ではありませんでした。それどころかアンジュだけではなく、桜雲帝国まで狙ってます」
もたれ掛かってダルそうにしていたゼルさんも、俺の話を聞いた途端立ち上がり、神妙な顔で問いかけてきた。
「……狙ってるってのは、何をだ?」
「王の命です」
俺の答えに皆驚愕した、白露さんだけが重く俯いたまま口を閉ざしている。
初めてあの女に出会った時。日焼け対策で全身を隠しているのかと思っていたが……あの時既にアンジュを偵察していたのか。もっと早く気付くべきだった……
「大丈夫だ白露、俺が桜雲もアンジュも守る。……そのための剣だ」
「……自惚れるでない」
白露さんの隣に腰かけ優しく抱き寄せるゼルさん。そして徐々に頬を赤く染める白露さん。……はぁ、これだからリア充は。まあ、白露さんが安心したようで何よりだ、神妙な顔つきのままだと重苦しい。
「アンジュはどうなるでござるか……?」
「大丈夫だ。桜雲に向かってるって事は、今そいつらは桜雲に居るんだろ? そこで止めちまえばアンジュは無傷だ」
フルルはホッと胸を撫で下ろした。ゼルさんがそう言うなら頼もしい、きっと三人を止めてくれるはずだ。
それにしても、あの三人は何故グリモワールを求めているんだ? 人の命を奪ってまで……何故? 矢神も同じだ、皆どうしてそこまでしてグリモワールを……
「……綺麗ね。これから起こる悲劇も知らないであろう悲哀の花よ」
「これは桜って言うんです、悲哀の花じゃありません」
アスタロトさんの厨二病発動にすかさずツッコミを入れた。確かにこれから何が起ころうと花は綺麗に残酷に咲き続ける。こんな華やかに咲き乱れた桜、未来とは比べ物にならない程だ。国全体が桜で覆われたかのように美しい……それに、ここからでもうっすらと見える二つの向かい合う城。今まで見てきた西洋の城とは違い、俺には馴染の深い日本城だ。まあ、日本史の教科書で見ただけで馴染があるわけではないか……
「着いたな。急ごう」
ゼルさんが静かに呟くと、皆は揃って船を出た。
遠目からよりも鮮明に艶やかに彩られた桜。染井吉野とは違って色味が強い、きっと大山桜や緋寒桜だろうな。日本の桜の八十パーセントは染井吉野であると言われているのに……時代が違うせいか?
「白露様……?」
船着場に立っていた一人の少女。白露さんの名前を呼ぶとゆっくりとこちらに近付いてきた。
俺と同年代くらいか? 時折強く吹く風に靡くサラリと美しく伸びたピンクとベージュの合わさった髪。まるで桜のようで視線を奪われた。白い磁器のような肌に映える、ぷくりと華やかな桃色の唇。言葉を失う程の美女だ、大和撫子と言うべきか。
「久しぶりじゃな、陽葵」
「はい、本当に……。ところで本日はどうなされたのですか?」
彼女は桃色の目で、不思議そうに俺達を交互に見つめた。何も知らないという事はまだ三人は桜雲に来ていない。……少し安心した。
「久しぶりにゆっくりと話がしたい所じゃが、そんな時間もない。……桜雲に危機が迫っているのじゃ。城に通してくれぬか?」
「え……。は、はい! 皆様、ついて来てください」
固く閉ざされた木製の門が、か弱い少女の手によって開かれた。かなり年季の入った門のようで重たい音が鳴り響く。
途端視界に入った景色に俺は絶句した。
さっき船で見た物とは違って、目の前に見える平地に堂々と聳える六重の城。連立式天守って言うんだったか? 天守と幾つかの子天守が繋がっている……確か日本史で習ったような気が。
そしてここにも溢れんばかりの桜の木。城の黒い瓦と白い漆喰がより一層映える。
耐久性が心配だと感じた木製の門も、傍に高台が設置してあり、安易に突破できないようにされている。日本史の教科書で見ただけの城、実際はこんなに入り組んでいて複雑で……
あの三人はこんなに警備の堅い国に攻めようとしているのか? 普通なら絶対に諦めるはずなのに。
「今は私の父上が城主を務めております、安心してくださいませ」
「そうじゃったか……。ところで陽葵は結婚など考えてはおらぬのか?」
白露さんの問いかけに陽葵さんは過剰に赤面させた。この反応は図星なのか? それともただ初心なだけか……いずれにせよ純情で無垢な少女って感じだな、父が此処の城主なだけあって育ちもよさそうだし、少し安心した。
「私は……心に決めた人が居ますので。お見合いはしません」
頬を紅く染めながら俯きがちに呟く。なるほど、彼氏持ちか……そうだよな、こんな大和撫子の様な美少女がフリーな訳がないもんな。
「そうじゃったか。その殿方と上手くゆくと良いの」
「有難きお言葉です」
親子の様な姉妹のような二人に思わず笑みが浮かぶ。同じ国の城で育った二人、どこか似ているような気がする。
「此方へどうぞ、ここが御座所でございます」
話しているうちに着いたようだ。龍の描かれた豪華な襖がゆっくりと開かれた、緊張のせいか冷や汗が流れる。
「どうした陽葵? あ、貴女は……白露様! それに、ゼル様まで……」
「ふふ、久しいな。元気にしておったか?」
優しげな表情の王は白露さんの顔を見るなり一瞬で表情を変え頭を下げた。
今まで考えもしなかった、こんなに白露さんって凄い人だったのか。王も頭を下げるほど……一体何者だ?
「皆、すまぬ。私の父が此処を治めていたのじゃが……この者たちはその頃の家来じゃ。それが今では王……時間が経つのも早いものじゃな」
「そうだったんでござるね……」
白露さんの父の家来か、だからこんなに白露さんに敬意を払っているのか。白露さんがどれだけこの国を大切にしていたかが分かった、皆がいかに信頼しているのかも。
「それで、今日は大切な話があって来たのじゃ」
「はい、仰せのままに」
王は白露さんに跪いた。そんな王を見て白露さんは正座をし、ゆっくりと口を開いた。王を立てる為だろう。
「今この国には危険が迫っている、王の命が狙われているのじゃ。だから私達が守りに来た」
白露さんの言葉に王は動揺を隠せないようだ。少女もあまりの衝撃に口に手を添え涙を流した。
「私の命……ですか。もしや……半蔵か」
「違います! あの方はそんな事しません……絶対に」
半蔵……あの男の名前か? いや……アイツの名前は確か“アーク”だったはず。となるとその半蔵は何者なんだ? どうして陽葵さんは反論してるんだ、ダメだ、話が読めない。
「相手は三人組じゃ、心してかかるぞ」
「三人組……」
室内に重苦しい空気が流れる。これから大きな戦争が始まるんだ、気合を入れなきゃいけないのに。
ところで、陽葵さんは魔法を使えるのか? 見たところ純粋無垢な戦争とは無縁の生活を送ってきたようにも見えるが。この王はどうだろう、命が狙われていると告げた時の動揺の仕方……恐らく魔法もまずまずだろうな。戦力になりそうな人間はいないのか? 外にいた兵も魔法を使える気配はなかった、これでは不利だ。
「護衛兵に伝えて参ります。そのついでに城下町を案内します。ついて来てください」
陽葵さんは俺達の方を向き、一礼すると襖を開いた。道案内はこの先必ず役に立つ、有難い。
「陽葵、先程言っておった“半蔵”というのは何者じゃ?」
城を出たタイミングで、白露さんが遠慮がちに問いかけた。この疑問はきっとここにいる誰もが抱いているだろう。白露さんでさえ知らない人物となると怪しい。
「先程申した“心に決めた殿方”です。あまり良い印象は無いでしょうが……遊馬一族の次男でございます」
「なんじゃと?! 遊馬一族とは対立しておるはず。どうし……」
その言葉の途中で、ゼルさんは白露さんの肩を掴んだ。そして白露さんはハッとしたような表情をして俯く。きっと二人の間には、俺達の知らない何かがあるんだろう。
「……そうじゃな。――陽葵、その者と幸せになるのじゃぞ? 必ずだ。」
「はい。お約束致します」
桜吹雪が舞う時、陽葵さんは微笑んだ。きっと楽な道じゃないだろうに。敵対する二つの勢力で恋愛……か。ディアーブルの女性と恋愛できるか? 絶対無理だ、根本的に合わないし体が受け付けない。陽葵さんの気持ちを分かってあげる事は出来ない……。
「そいつは桜雲にはいないのか? でも遊馬一族って向かい側の城だよな?」
「半蔵様は私を守るために一族を裏切り、桜雲を出て行きました……。私も半蔵様と共に一時期は桜雲を出ておりましたが、父上に交際の許しを貰うために、こうして戻ってきたのです」
「という事はまた出ていくのかよ」
「ええ、半蔵様との交際を認めて貰えなかった時は……」
複雑だな……。王の立場では許す事は出来ないはずだ。なんせ国民の信用を失いかねない。だが親の立場になるとそうはいかない、可愛い娘の選んだ相手だ。純粋に祝ってあげたいだろう。きっと王も葛藤しているに違いない。
「陽葵。この国を出て、その殿方の元に行くのじゃ。今は一刻を争う……安全な場所に逃げた方がよい」
「ですが……父上や母上を置いて私だけなど嫌でございます……!」
陽葵さんは涙ながらに述べた。気持ちは分かるが、頼れる彼氏の方に逃げた方が安全だろう。きっとゼルさんや白露さんが桜雲を守ってくれるはずだ。俺が偉そうに言える立場じゃないが安心しても大丈夫だと思う。
「陽葵、そなたに魔法は使えぬ。私達に任せて安全なところに逃げるのじゃ」
「く……っ……畏まりました」
陽葵さんは涙を流しながら答え、一礼すると走り出した。当初の目的の城下町案内は白露さんとゼルさんだけで大丈夫そうだし、問題はないだろうな。
「遊馬一族に恋人か……」
ゼルさんは含んだような物言いで、遠くに聳える漆黒の城を見つめた。それは桜雲城とは正反対のオーラを放っていた。黒い瓦に黒い漆。桜雲城を光と例えるならこちらは闇だろう。きっとこの城が陽葵さんの恋人の……
「どういう事ですか?」
「遊馬一族はディアーブル程じゃないが、残虐な奴等がわんさかいる。それに、桜雲帝国は桜雲城の王に仕える国民と遊馬城の王に仕える国民に分かれてて、それぞれお互いを良く思ってないって事だ」
「だから王も半蔵って人を信用していなかったんですね……」
遊馬一族の悪行を知っているから交際を認めなかったって訳か。こうなると王の立場、親の気持ち関係なく交際に反対していたって事になるな……尚更複雑だ。
「フルル達はこれからどうするでござるか?」
「ん、とりあえず兵に連絡し……」
ゼルさんが振り返った途端、雷が落ちたかのような轟音が響き渡った。その衝撃に皆は耳を塞ぐ。
どうやらゆっくりしてる暇はないようだ、客人のお出ましか? 陽葵さんを逃がした後でよかった。
「あは、みんな死んじゃえ~」
「駄目ですよ、目的は暗殺。後でアーク様に叱られますわよ?」
聞き覚えのある声。見上げると嫌という程お世話になった二人組。見下すような態度で腕を組んでいる。
やっぱり奴等だ……コイツら、王だけでなく国民にまで手を出そうとするなんて……絶対にさせない。
「貴様ら……今すぐ桜雲帝国から出て行け! 私の故郷に手出しはさせぬ!」
白露さんは弓を構えると、その合図でゼルさんも剣を取り出す。その様子を見てクスリと嘲笑する二人。
「ふふっ、そんなに怒らないでください? 聞きましたわよ、貴方達も“終焉のサタン”の被害者なのでしょう?」
「な……何でお前らはその存在を知ってるんだ……?」
女の言葉で明らかに動揺し始めるゼルさん。“終焉のサタン”とは何だ? もしかしてあの精霊が封印してくれた悪魔の事か……?
「隙を見せ過ぎですわ」
「ガハッ!」
一瞬の隙をついて目にも止まらぬ斬撃を繰り出す女。その刃はゼルさんの腕を切り裂いた。傷口からはドクドクと流れ出る鮮血……。俺には何が起こったのか分からなかった。
「ゼルさん!」
「大丈夫だ。……それより“貴方達も”って事は……お前らも“終焉のサタン”と戦ったんだよな?」
「いいえ。私達は“終焉のサタン”を見た事すらありませんわ」
冷たい目で淡々と答える女。こんなにも即答していてこの表情。俺にはこの女が嘘を付いているようには思えない。だったらどうしてあの悪魔を……
「あの男は何処にいるんだ?」
俺は静かに問いかけた。そうだ、あの男がいない。きっとグリモワールを集めているのはあの男のはず。ここにいないという事は……
「まずい! 城か?!」
「いいえ、アーク様は大切な儀式をされています。こんな小さな戦いに参加するようなお方ではありませんわ」
この女の言う事をどこまで信用していいのか分からないが……俺は城に戻った方が賢明だと思うが、簡単に逃がしてくれるとも思えない。やっぱりここでこいつらと戦わなくちゃいけないのか?
「貴方達はアーク様の野望の妨げになりますわ。ここで排除致します」
女はニヤリと笑んで一礼した。それと同時に、桜吹雪の舞う美しい静寂の国に雷鳴が響いた。




