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11/20

11:穏やかな朝に

チュンチュンと、小鳥が囀る音が聞こえ、私はうっすら瞼を開ける。

視界の端に、革靴を履いた足が動くのが見えた。


私はベッドの下に置かれた籠から身を出すと、

その足に向けて「ニャア」と声をかけた。

「おはようございます」の意味を込めて。


「あぁ、ポラリス、おはようございます。

今日はいつもより早いお目覚めですね」


ルドルフ様は口元を緩めながら、私の頭をそっと撫でた。


「今から朝食に行ってきます。

あなたの朝ご飯も取ってきますから、少しお待ちください」


そう言ってルドルフ様は部屋の扉を開け、出て行く。


そんな彼の後ろ姿を見つめながら、

私は「いつもありがとうございます」と心の中で唱えた。


私が拾われてから、約十日ほどの月日が過ぎた。


今のところ私は、「残虐公」ルドルフ様から暴力を受けたことはない。

どころか、心穏やかな日々を送っている。


こんなに平穏な毎日を過ごせるのは、私の人生の中で初めてのことだった。


最初こそ、虐待されまいかと、ルドルフ様の一挙手一投足に過敏に反応していた。

しかし、名前を付けてもらった頃から、徐々にそんな警戒心は薄れ、

今では、この人生初の幸せな日々に、夢心地のまま浸っている。


部屋に掃除をしに来るメイドさん達との関係も、良好だ。


彼女達は、初めこそ「突然現れた不審な猫」を気味悪がっていた。

が、日を経るに従い、メイドさん達との溝も少しずつ塞がり、

今ではおやつまでくれるようになった。


「あんたに媚びを売って、ルドルフ様に処刑されないようにしなきゃ。

もし私がメアリ様みたいに独房に入れられたら、ちゃんと助けに来るのよ?」


なんて冗談っぽく言いながら、毎日、私にビスケットのかけらをくれる。

周囲の誰からも悪意を向けられない生活というのが、

ここまで心地よいものだとは思ってもみなかった。


心の底に溜まっていた鉛のような重い何かが、徐々に柔くほぐれ、

泡のように消えていく。

十日ほどで、こんなに変わるものだなんて、自分自身でも驚く。


私は前足を突き出すと、ゆっくりお尻をあげて伸びをした。

足の怪我も良くなってきている。


以前、ルドルフ様が城の獣医さんをこっそり部屋に呼び、

私を診せてくれたのだが、どうやら怪我は深刻なものではなかったらしい。


二週間ほどで元通りになるというのが、獣医さんの見解だった。


それを聞いた際、最初は、「二週間後にはここを出て行くべきか」と思案したが、

そんな私の表情を察したのか、ルドルフ様はこう言った。


「怪我が治っても、ここで暮らしてください。

あなたはもう、私の大切な家族なのですから」


身に余るほどの、ありがたい申し出。

その言葉に甘え、私は今後もここに滞在するつもりだ。


(幸せって、こういう日々をいうんだな……)


そう思いながら、私は窓の下に移動した。

ここは陽が緩やかに差し込む、私の好きな場所だ。


部屋から出ることは禁止されていた。

が、この部屋はとても居心地がよく、私はなんの不自由も感じていなかった。

カーペットの上で丸まりながら、私はまたそっと目を閉じる。

瞼の裏に思い浮かべたのは、私を拾ってくれた際のルドルフ様の姿だ。


彼は、ちまたでは「処刑好きの残虐公」として揶揄されている。

が、私への語りかけやウィル様の話から分かるとおり、

本当の彼は、そんな人物ではない。思慮深く、優しいお方だ。


私はできれば、それを他の方々にも知ってもらいたい。


どうすれば、皆の誤解が解けるのだろうか。

そんなことをぼんやり考えながら宙を眺めていると、ノックの音が飛び込んできた。


入ってきたのは、ルドルフ様。

そして、一度私を診てくれた、この城の獣医さんだ。


「ポラリス。足を診てもらいましょう」


そう言いながらルドルフ様は、私をそっと持ち上げ、後ろ足の包帯を外した。

獣医さんは、生身になった足をつまんだり、軽く揺らしたりしながら様子を診る。


「ずいぶん良くなっていますね。

患部を掴んでも鳴きませんし。正直、信じられないくらいの回復力ですが……。

まぁ、そろそろリハビリを初めても良い頃かと」


「リハビリ、ですか?」


ルドルフ様と私は同時に首をかしげる。


「えぇ。走ったり、ジャンプしたりね。

あと、外で餌を取る訓練も必要かもしれません」


「外で、ですか?この子は家猫にするつもりなので、外に出す必要はないと考えますが」


すると獣医さんは、頷きながらも言葉を返す。


「確かに、ずっと今と同じ状態で飼えるのであれば、その必要はありません。

しかし、猫の寿命は平均で十五年くらい。二十年以上生きる猫もいます。

この子は子猫ですし、まだまだ生きるでしょう。

環境が変わっても生きていく術を一応は、身につけておくのがよろしいかと」


「二十年、ですか」


急に、ルドルフ様の顔が曇る。

そして「わかりました」と神妙な面持ちでうなずいた。


「私は専門が軍馬なので、猫の詳しいリハビリ方法はわかりません。

しかし、今後も何かお手伝いできることがあるやもしれませんので、

いつでもお声がけください」


そう言って獣医さんは、部屋を去って行った。


残されたルドルフ様は、ふと、私の顔に視線を落とす。

その表情は、どことなく寂しげだ。


「あなたはこれから、二十年も生きるやもしれないのですね。

確かに二十年も経てば、色んなことが変わっていることでしょう。

その頃に私が、あなたの側に居られるか、確約はできない」


私は思わず目を見開く。それは、どういう意味なのだろう。


その表情に気がついたのか、ルドルフ様はふっと笑みを浮かべる。


「なんですか。こちらをじっと見つめて。

人の言葉がわかるのですか?

大丈夫。私はあなたを手放す気はありません。

ですが、不測の事態を想定しておいた方がよいでしょう。なにせ」


彼は顔を上げると、スッと窓の外を見た。


「私を恨む人間は、この世に大勢いるのですから」


温度のない、単調な声だ。


私はその空気を変えたくて、できるだけ明るい声で「ニャア」と発してみる。

ルドルフ様はこちらを向き、もう一度笑みを浮かべる。


「励ましてくれるのですか?

ポラリス。ありがとう。

あなたは本当に、私の言っていることを理解しているようだ」


彼は私を両手で掲げて、真っ直ぐにこちらを見る。


「不思議な猫さんですね、全く」


軽く吹き出すルドルフ様。

その頬には、生ぬるい陽の光が当たっている。


私は、この方の柔らかい笑顔が好きだ。

今の私がそうであるように、ルドルフ様にも、

「誰からも悪意を向けられない毎日」が早く訪ればいいのに。


心から、そう思った。


先の獣医さんの言葉もあり、

ルドルフ様は朝食後、私を城の裏手へと連れ出してくれた。


そこは、城とレンガの外壁との間にあたる場所で、まさに「隙間」のような場所だった。

幅は、荷車がぎりぎり通るくらいの狭い空間。

芝ではなく、雑草が茂っている。

年中陰っているからなのか、湿った匂いがする。レンガの外壁にも、蔦が絡みついていた。


風が吹き、サラサラと脇の木の葉が揺れる。

私は息を深く吸い込み、吐く。

私の心根が暗いせいか、太陽がサンサンと差し込む場所より、

こういう、しっとりした場所の方が落ち着く。


ルドルフ様は、私を地面に置くと、自分は数ヤード離れた場所に歩いて行った。

そしてしゃがみ込むと、「おいで、ポラリス」と言いながら手を広げる。


私は最初、走ってみようと試みた。

しかし、後ろ足の関節が上手く動かず、

ひょこひょこと早歩きするような形で、ルドルフ様の元へとたどり着いた。


「まだ、走るのは難しそうですね。

まぁ、包帯を外したばかりですから、そうですよね。少しずつ、慣らしていきましょう」


そう言ってルドルフ様は、私を抱き上げ、元の位置へと運んだ。

そして私を再び置くと数ヤード離れ「さぁ、来てください」と声をかける。


私は再び、おぼつかない足取りで歩み始める。


と、その時。


急に、私の背に悪寒が走る。


不気味でおぞましい、何か。

それは、私を猫に変えたあの呪術師に出会った時のような、戦慄だった。


恐怖で一瞬、足がすくむ。


急に立ち止まった私に、ルドルフ様が「ポラリス?」と声をかけた時だった。


「お兄様、そこで何をされているのですか?」


私は、声の方に恐る恐る振り返る。


そこには銀髪の美しい少年と、その後ろにたたずむ、恰幅の良い中年男性の姿があった。

初の長編連載です。

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