10:名付けられた猫
短髪ではあるが、後ろだけ伸ばしているのか、黒い糸で髪が結ばれている。
はだけたシャツの内側には、引き締まった胸板が覗いていた。
「……まだ、入って良いとは言っていませんよ」
ルドルフ様があきれたようにそう告げる。
が、彼はお構いなしに、結んだ髪を揺らしながらルドルフ様の傍らまで寄る。
「はーん。これが噂の猫ちゃんっすか」
そう言って、青年はルドルフ様と私を交互に見る。
そしてニヤリと微笑んだ、と思いきやその瞬間、私の首根っこを乱暴につまみ上げた。
「ニャッ!」と私は思わず声を上げる。
「何をするのですか、ウィル!!離してください!」
焦った様子でルドルフ様が立ち上がる。
が、ウィルと呼ばれたその青年は、お構いなしに私を自らの顔の前にぶら下げ、
品定めするように見つめた。
「何するのですか、じゃないっすよ。
メイド達が噂してましたよ?『あの残虐公が、猫を飼われた』って。
今、使用人達の間では、その理由が『虐待するため』なのか『贖罪のため』なのかで
意見が分かれています」
「何と言われようとも、私は気になりません」
そう言いながらルドルフ様は、奪うように私をウィル様から取り上げた。
その勢いで思わず私は「ニャッ」と再び声を上げる。
「あっ、すいません。大丈夫でしたか?」
ルドルフ様は慌てて私に謝罪した。
それを聞いたウィル様は、怪訝そうに眉を寄せる。
「家臣のみならず、猫にまで敬語っすか。なんつーか、もう、頭大丈夫っすか?」
「……癖なのです。仕方ないでしょう」
「それはわかってますけど」
ウィル様ははぁ~っと重いため息を付きながら、
窓の側にあるロッキングチェアにドカッと腰を下ろす。
そして太ももに肘をつき、ほおづえを付きながら続けた。
「今更ですけど、その敬語、なんとかなりませんか?
関係浅い家臣や使用人になら、まぁ分からないでもないですが、
俺はルド様と、そこそこ長い付き合いっすよ?
そんな顔なじみの友人にも敬語、ましてや猫にまで敬語って……。ねぇ?」
呆れたような視線をこちらに投げかけるウィル様に、ルドルフ様は背を向けた。
「……小言を言いに来たのではないのでしょう。要件はなんです?」
するとウィル様は、一瞬目を見開くも、気まずそうに口ごもり、うつむく。
が、再び顔を上げた彼は、真剣な面持ちで口を開いた。
「昨夜の、メアリ夫人処刑の件です。
最後まで立ち会いましたから。俺にはあなたに伝える責任があると思って、ね」
ルドルフ様の手に力がこもる。
彼はウィル様の方に振り返ると「それで?」と尋ねた。
「彼女は最後まで、無罪を主張していました。
が、すでに刑は確定しています。
そのまま、彼女は泣き叫びながら、最期を迎えました」
「ウィル、あなたの見解はどうなのですか?」
すると、ウィル様は少しの沈黙の後、こう言い切った。
「メアリ夫人は有罪で間違いないと思います。
あなたの判断は正しい。だが、その後ろには」
「大臣ですね」
ルドルフ様の冷たい声が響く。私は唾を飲み込んだ。
「えぇ。トレド大臣の仕業に違いありません。
彼はここ最近、メアリ夫人と頻繁に接触していました。
その頃から彼女の挙動がおかしくなったという情報もあります」
「何を吹き込んだのでしょう、彼は」
「さぁ……。メアリ夫人は、大臣については最期まで何も語りませんでしたから」
するとルドルフ様は、デスクの籠に私を入れ、ウィル様の座る椅子へと近づく。
「分かりました。引き続き調査をお願いします」
そして、「あなただけが頼りなのですから」と弱々しく続けた。
ウィル様は立ち上がると、ルドルフ様の肩に、ポンと手を置く。
「しけた面しないでくださいよ。ルド様。俺とあんたの仲でしょう?
俺、ことウィル・アーベルは、頼りになるあなたの忠臣です。
父の代から続くこの仲が、簡単に裂けるとお思いですか?」
そう言ってニッと笑うウィル様に、ルドルフ様は「かたじけないですね」と苦笑する。
「それに、あなただけ、なんて言わないでください。
皆があなたという人物を理解する日が、いつかは来る。
今は辛抱の時期です。お辛いでしょうが、お互いなんとか乗り越えていきましょう。
なぁ、ねこすけ?」
ウィル様がこちらに微笑みかける。
その視線で初めて、自分が「ねこすけ」と呼ばれたことに気がついた。
私は遅れながらも「……ニャー?」と返事をしてみた。
「……ねこすけ?」
ルドルフ様のいぶかしげな声。
が、ウィル様は「良い名でしょう?」と声を弾ませる。
「この猫は、雌ですよ?女性に『ねこすけ』はあまり……」
「じゃあ、なんという名前なんすか?」
そこで初めて、私は気がつく。
そういえば、猫になってからの私には、未だに名前がない。
ルドルフ様も同じことを思ったのか、
ハッとしたように目を見開きながらこちらを見つめる。
「名前が決まっていないのなら、ねこすけで」
「い、いや、今から一人で決めます。大丈夫です」
そう言いながらルドルフ様は、慌てた様子でウィル様の背中を押す。
まるで、勝手に名付けられるのを防ぐために、
部屋から追い出そうとしているかのようだ。
ウィル様はからかうように、「邪魔者は退散しろってことですか?」と苦笑する。
そして私に向かって「こんなご主人だが、よろしく頼むな」と、声をかけた。
扉が閉まった早々に、ルドルフ様はこちらへ駆け寄ってきた。
「色々と不快な思いをさせてしまいすいません。
彼は悪い者ではないのです。私の唯一の友人ともいえる家臣で、元大佐の息子なのです」
そう言うと彼は、デスクの前の椅子に座った。
「言われてみれば、そうでしたね。あなたの名前を、決めていませんでした」
「何が良いですか?」と尋ねられ、私は静かに考える。
本当の名はコレットだけれど、姿も変わってしまったし、
どうせならこの際、新しい名にしてもいいかもしれない。
花から名付けるのなら、ミモザの花が好きだ。
ハーブから取るのであれば、ユーカリはどうだろう。
なんて、つい浮かれて一瞬、色々と考えてしまったけれど、ふと、我に返る。
例え自分の希望が明確にあったとしても、
私はルドルフ様に、それを伝える手段がない。
ルドルフ様が「ねこすけ」と付ければ、私は「ねこすけ」なのだ。
そう思い、ほんの少し気落ちしていると、
ルドルフ様が「そういえば」と口を開く。
「あなたと会った日の夜は、星がとてもきれいでしたね。
あなたも不思議と、星をじっと眺めていた。なので」
そして彼は少し、首を横に傾ける。
「ポラリス、はどうでしょう?
北極星のことです。星なのに、いつも変わらぬ位置に居て、
私たちを導いてくれる。一人でも動じず、ずっと輝き続けている」
「良いと思いませんか?」と彼は私をのぞき込む。
ポラリス。星の、名前。
心臓が強く脈打ったのを感じる。
なんて素敵で、神々しい名前なのだろう。
しかし、私などには、もったいない名前ではないだろうか。
星の名を付けられるほど私は輝いてもいないし、明るくもない。不相応な気がする。
が、ルドルフ様は、戸惑う私とは裏腹に、嬉しそうにそっと、私を抱き上げた。
「ポラリス、うん、良い名だ。そうしましょう。
あなたにぴったりの、ふさわしい名ですよ」
そう言って私の瞳を見つめるルドルフ様の顔は、ほころんでいる。
その瞬間、なぜだか私は泣きそうになった。
ぴったりだ、なんておこがましいです。ルドルフ様。
私は、そんな大層な者ではないのです。
私は、魔術師の家系に生まれたにも関わらず、魔術が使えなかったのです。
それゆえに父に疎まれ、私の存在は公には隠されていました。
呪いで猫にされた時も、父は良い機会だといわんばかりに、私を追い出しました。
つまりは、その程度の人間なのです。
見た目も平凡だし、話もそこまで上手くないし、
人を引きつけるものなど、何一つ持ち合わせていません。
なのに。あなたはなぜ、そんな私に、優しくしてくださるのですか?
こんな時、人の姿をしていれば、涙が浮かんでくるのだろうが、
猫の私にそれはなかった。
だけれど、胸からこみ上げてくる熱い感情は、まさしく、それと同等のものだった。
「どうしたのですか?ポラリス。嫌、でしたか?」
心配そうに語りかけるルドルフ様に、私は首をふり「ニャー」と答えた。
返事をしたような態度に、一瞬彼は驚いたようだった。
が、すぐに目を細め「よかった」と安堵の息を漏らした。
「できればずっと、一緒にいたいものですね。ポラリス」
そう言って優しく抱きしめられる。
心が少しずつ解けていく。ルドルフ様の体温が、とても心地よかった。
初の長編連載です。
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