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10/22

10:名付けられた猫

短髪ではあるが、後ろだけ伸ばしているのか、黒い糸で髪が結ばれている。

はだけたシャツの内側には、引き締まった胸板が覗いていた。


「……まだ、入って良いとは言っていませんよ」


ルドルフ様があきれたようにそう告げる。

が、彼はお構いなしに、結んだ髪を揺らしながらルドルフ様の傍らまで寄る。


「はーん。これが噂の猫ちゃんっすか」


そう言って、青年はルドルフ様と私を交互に見る。

そしてニヤリと微笑んだ、と思いきやその瞬間、私の首根っこを乱暴につまみ上げた。


「ニャッ!」と私は思わず声を上げる。


「何をするのですか、ウィル!!離してください!」


焦った様子でルドルフ様が立ち上がる。

が、ウィルと呼ばれたその青年は、お構いなしに私を自らの顔の前にぶら下げ、

品定めするように見つめた。


「何するのですか、じゃないっすよ。

メイド達が噂してましたよ?『あの残虐公が、猫を飼われた』って。

今、使用人達の間では、その理由が『虐待するため』なのか『贖罪のため』なのかで

意見が分かれています」


「何と言われようとも、私は気になりません」


そう言いながらルドルフ様は、奪うように私をウィル様から取り上げた。

その勢いで思わず私は「ニャッ」と再び声を上げる。


「あっ、すいません。大丈夫でしたか?」


ルドルフ様は慌てて私に謝罪した。

それを聞いたウィル様は、怪訝そうに眉を寄せる。


「家臣のみならず、猫にまで敬語っすか。なんつーか、もう、頭大丈夫っすか?」


「……癖なのです。仕方ないでしょう」


「それはわかってますけど」


ウィル様ははぁ~っと重いため息を付きながら、

窓の側にあるロッキングチェアにドカッと腰を下ろす。

そして太ももに肘をつき、ほおづえを付きながら続けた。


「今更ですけど、その敬語、なんとかなりませんか?

関係浅い家臣や使用人になら、まぁ分からないでもないですが、

俺はルド様と、そこそこ長い付き合いっすよ?

そんな顔なじみの友人にも敬語、ましてや猫にまで敬語って……。ねぇ?」


呆れたような視線をこちらに投げかけるウィル様に、ルドルフ様は背を向けた。


「……小言を言いに来たのではないのでしょう。要件はなんです?」


するとウィル様は、一瞬目を見開くも、気まずそうに口ごもり、うつむく。

が、再び顔を上げた彼は、真剣な面持ちで口を開いた。


「昨夜の、メアリ夫人処刑の件です。

最後まで立ち会いましたから。俺にはあなたに伝える責任があると思って、ね」


ルドルフ様の手に力がこもる。

彼はウィル様の方に振り返ると「それで?」と尋ねた。


「彼女は最後まで、無罪を主張していました。

が、すでに刑は確定しています。

そのまま、彼女は泣き叫びながら、最期を迎えました」


「ウィル、あなたの見解はどうなのですか?」


すると、ウィル様は少しの沈黙の後、こう言い切った。


「メアリ夫人は有罪で間違いないと思います。

あなたの判断は正しい。だが、その後ろには」


「大臣ですね」


ルドルフ様の冷たい声が響く。私は唾を飲み込んだ。


「えぇ。トレド大臣の仕業に違いありません。

彼はここ最近、メアリ夫人と頻繁に接触していました。

その頃から彼女の挙動がおかしくなったという情報もあります」


「何を吹き込んだのでしょう、彼は」


「さぁ……。メアリ夫人は、大臣については最期まで何も語りませんでしたから」


するとルドルフ様は、デスクの籠に私を入れ、ウィル様の座る椅子へと近づく。


「分かりました。引き続き調査をお願いします」


そして、「あなただけが頼りなのですから」と弱々しく続けた。

ウィル様は立ち上がると、ルドルフ様の肩に、ポンと手を置く。


「しけた面しないでくださいよ。ルド様。俺とあんたの仲でしょう?

俺、ことウィル・アーベルは、頼りになるあなたの忠臣です。

父の代から続くこの仲が、簡単に裂けるとお思いですか?」


そう言ってニッと笑うウィル様に、ルドルフ様は「かたじけないですね」と苦笑する。


「それに、あなただけ、なんて言わないでください。

皆があなたという人物を理解する日が、いつかは来る。

今は辛抱の時期です。お辛いでしょうが、お互いなんとか乗り越えていきましょう。

なぁ、ねこすけ?」


ウィル様がこちらに微笑みかける。

その視線で初めて、自分が「ねこすけ」と呼ばれたことに気がついた。


私は遅れながらも「……ニャー?」と返事をしてみた。


「……ねこすけ?」


ルドルフ様のいぶかしげな声。

が、ウィル様は「良い名でしょう?」と声を弾ませる。


「この猫は、雌ですよ?女性に『ねこすけ』はあまり……」


「じゃあ、なんという名前なんすか?」


そこで初めて、私は気がつく。

そういえば、猫になってからの私には、未だに名前がない。


ルドルフ様も同じことを思ったのか、

ハッとしたように目を見開きながらこちらを見つめる。


「名前が決まっていないのなら、ねこすけで」


「い、いや、今から一人で決めます。大丈夫です」


そう言いながらルドルフ様は、慌てた様子でウィル様の背中を押す。

まるで、勝手に名付けられるのを防ぐために、

部屋から追い出そうとしているかのようだ。


ウィル様はからかうように、「邪魔者は退散しろってことですか?」と苦笑する。

そして私に向かって「こんなご主人だが、よろしく頼むな」と、声をかけた。


扉が閉まった早々に、ルドルフ様はこちらへ駆け寄ってきた。


「色々と不快な思いをさせてしまいすいません。

彼は悪い者ではないのです。私の唯一の友人ともいえる家臣で、元大佐の息子なのです」


そう言うと彼は、デスクの前の椅子に座った。


「言われてみれば、そうでしたね。あなたの名前を、決めていませんでした」


「何が良いですか?」と尋ねられ、私は静かに考える。


本当の名はコレットだけれど、姿も変わってしまったし、

どうせならこの際、新しい名にしてもいいかもしれない。


花から名付けるのなら、ミモザの花が好きだ。

ハーブから取るのであれば、ユーカリはどうだろう。


なんて、つい浮かれて一瞬、色々と考えてしまったけれど、ふと、我に返る。


例え自分の希望が明確にあったとしても、

私はルドルフ様に、それを伝える手段がない。

ルドルフ様が「ねこすけ」と付ければ、私は「ねこすけ」なのだ。


そう思い、ほんの少し気落ちしていると、

ルドルフ様が「そういえば」と口を開く。


「あなたと会った日の夜は、星がとてもきれいでしたね。

あなたも不思議と、星をじっと眺めていた。なので」


そして彼は少し、首を横に傾ける。


「ポラリス、はどうでしょう?

北極星のことです。星なのに、いつも変わらぬ位置に居て、

私たちを導いてくれる。一人でも動じず、ずっと輝き続けている」


「良いと思いませんか?」と彼は私をのぞき込む。


ポラリス。星の、名前。


心臓が強く脈打ったのを感じる。

なんて素敵で、神々しい名前なのだろう。


しかし、私などには、もったいない名前ではないだろうか。

星の名を付けられるほど私は輝いてもいないし、明るくもない。不相応な気がする。


が、ルドルフ様は、戸惑う私とは裏腹に、嬉しそうにそっと、私を抱き上げた。


「ポラリス、うん、良い名だ。そうしましょう。

あなたにぴったりの、ふさわしい名ですよ」


そう言って私の瞳を見つめるルドルフ様の顔は、ほころんでいる。

その瞬間、なぜだか私は泣きそうになった。


ぴったりだ、なんておこがましいです。ルドルフ様。


私は、そんな大層な者ではないのです。


私は、魔術師の家系に生まれたにも関わらず、魔術が使えなかったのです。

それゆえに父に疎まれ、私の存在は公には隠されていました。


呪いで猫にされた時も、父は良い機会だといわんばかりに、私を追い出しました。

つまりは、その程度の人間なのです。


見た目も平凡だし、話もそこまで上手くないし、

人を引きつけるものなど、何一つ持ち合わせていません。


なのに。あなたはなぜ、そんな私に、優しくしてくださるのですか?


こんな時、人の姿をしていれば、涙が浮かんでくるのだろうが、

猫の私にそれはなかった。

だけれど、胸からこみ上げてくる熱い感情は、まさしく、それと同等のものだった。


「どうしたのですか?ポラリス。嫌、でしたか?」


心配そうに語りかけるルドルフ様に、私は首をふり「ニャー」と答えた。

返事をしたような態度に、一瞬彼は驚いたようだった。


が、すぐに目を細め「よかった」と安堵の息を漏らした。


「できればずっと、一緒にいたいものですね。ポラリス」


そう言って優しく抱きしめられる。


心が少しずつ解けていく。ルドルフ様の体温が、とても心地よかった。

初の長編連載です。


☆の評価等頂けると非常に励みになります。


今後ともよろしくお願いします。

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