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深夜。
メセトラ王国・西兵舎。
昼間は荒々しい兵士たちで騒がしい場所だったが、今は静まり返っていた。
……いや。
本来なら静かだった。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
絶叫が響くまでは。
バチバチバチバチ!!
青白い霊火が兵舎中を走る。
兵士たちの寝台。
毛布。
床。
鎧。
あらゆるものから黒い塵が浮かび上がり、空中で燃やされていく。
兵士たちは廊下の隅で震えていた。
「また始まった……」
「夜中に急に掃除始めるの怖すぎる……」
「なんで魔王が寝具洗浄してるんだよ……」
その中心で。
銀髪の男――元死神、現・自称魔王レイが、鬼の形相で寝台を睨んでいた。
「のだぁぁぁぁ!!
なんなのだぁこの汗染みぃぃぃ!!!
寝ながら腐敗してるのだぁ!?」
兵士たちが傷ついた顔になる。
「人間なんだから汗くらいかくだろ……」
「臭いのだぁ!!」
レイは叫びながら霊力を叩き込んだ。
ゴォォォォ!!
黒い霊火が寝台を包む。
なのに燃えない。
汚れだけが消えていく。
兵士たちはドン引きしていた。
「毎回思うけど、技術だけは神なんだよな……」
「なんでその能力を征服じゃなく掃除に使うんだ……」
レイは涙目だった。
「嫌なのだぁ……
嫌なのだぁ……
吾輩、もう限界なのだぁ……」
ポスン。
レイは綺麗になった寝台に座り込んだ。
黒翼は小さく萎れている。
いつもの傍若無人さが妙に薄かった。
「のだぁ……」
兵士たちは顔を見合わせた。
「……珍しいな」
「なんか弱ってる?」
レイはボソボソ呟き始めた。
「最悪なのだぁ……」
「何がだ」
「吾輩、死なないのだぁ……」
空気が止まった。
兵士たちが眉をひそめる。
「……は?」
レイは虚ろな目で天井を見上げていた。
「死神だから当然なのだぁ……
寿命なんて最初からほぼ無限なのだぁ……」
「…………」
「追放するなら寿命も吸い取れなのだぁ……
冥界のお馬鹿なのだぁ……」
兵士たちは困惑した。
普通、人は永遠の命を欲しがる。
王ですら求める。
神官たちは不老を夢見る。
なのに。
レイは本気で絶望していた。
「こんな世界で永遠に生きるのだぁ?」
レイは震えていた。
「汗!!!
口臭!!!
埃!!!
腐った歯!!!
泥!!
下水!!
家畜!!
うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
兵士たちが微妙な顔になる。
「なんか……」
「こいつにとって人間界って本当に地獄なんだな……」
レイはガリガリ頭を掻いた。
「しかもぉ……
人間、すぐ死ぬのだぁ……」
「……」
「吾輩だけ残るのだぁ……
嫌なのだぁ……面倒なのだぁ……」
兵士たちは静かになった。
レイは寿命が見える。
それは皆もう知っていた。
街ですれ違うだけで、
「のだぁ?お主あと二年なのだぁ?」
とか言うので最悪だった。
しかも当たる。
恐ろしく当たる。
最初は誰も信じなかった。
だが。
予言された者は本当に死ぬ。
事故。
病。
老衰。
絶対に外れない。
今や王国では、
『銀髪魔王に寿命を聞くな』
が暗黙の了解になっていた。
レイはボソボソ続ける。
「女王もぉ……
あと六十年くらいなのだぁ……」
兵士たちが凍りついた。
「お、おい」
「その話題は……」
レイは気にしていなかった。
「短いのだぁ……
人間、短すぎるのだぁ……」
その声は妙に静かだった。
「すぐ死ぬくせにぃ……
毎日ギャーギャーしてぇ……
恋愛してぇ……
争ってぇ……
汗かいてぇ……」
「最後だけ悪口だろ」
「うるさいのだぁ!!」
レイはキレた。
「嫌なのだぁ!!
吾輩、永遠にこんな世界で生きるの嫌なのだぁ!!」
バンバン床を叩く。
「冥界帰りたいのだぁ!!
空気綺麗だったのだぁ!!
みんな死んでるから腐敗しないのだぁ!!
最高だったのだぁ!!」
「死の世界をそんな評価する奴初めて見たぞ……」
その時だった。
「……ならば」
静かな女の声。
兵士たちが一斉に跪く。
「陛下!」
そこにいたのは。
夜着姿の女王ネフェルセトだった。
長い黒髪を下ろしている。
以前より艶がある。
レイが毎日洗わせているからである。
レイは嫌そうな顔をした。
「のだぁ……
ちゃんと歯磨いたのだぁ?」
第一声がそれだった。
女王のこめかみに青筋が浮く。
「磨いた」
「本当なのだぁ?」
「三回確認された」
「うむ」
レイは少し安心した。
女王は静かにレイを見る。
「……お前」
「本当に永遠に生きるのか」
「のだぁ」
「老いないのか」
「たぶん」
「病にもならぬのか」
「ほぼならないのだぁ」
女王は黙った。
兵士たちも静かだった。
永遠。
それは人間には想像できない時間。
だが。
レイはそれを幸福と思っていなかった。
「のだぁ……」
レイは綺麗になった寝台にゴロンと転がった。
「罰ゲームなのだぁ……
絶対冥界の連中、笑ってるのだぁ……」
女王はしばらく黙っていたが、やがて小さく口を開いた。
「……余は」
「のだ?」
「少し羨ましい」
兵士たちが驚いた顔になる。
女王は遠くを見るように呟く。
「王は死ぬ」
「国も滅びる」
「美も老いる」
「のだぁ」
「だが、お前は残るのだな」
レイは数秒黙った。
そして。
「嫌なのだぁ」
即答だった。
「えっ」
「全然羨ましくないのだぁ」
レイは本気で嫌そうな顔をした。
「ずっと掃除なのだぁ?
永遠に人間の口臭と戦うのだぁ?
地獄なのだぁ?」
兵士たちがまた傷ついた。
「そこまで言うか普通……」
レイは天井を見ながら呟く。
「吾輩、別に永遠に生きたいわけじゃないのだぁ……
ただぁ……
周りが汚いのが嫌なのだぁ……」
静寂。
女王はレイを見つめた。
この男は。
権力に興味がない。
富にも興味が薄い。
不老不死ですら執着がない。
ただ。
周囲が不潔なのが本気で嫌。
それだけで王国を恐怖に陥れている。
「……意味がわからぬ」
「よく言われるのだぁ」
レイは毛布にくるまった。
「のだぁ……
もう嫌なのだぁ……
次は下水掃除なのだぁ……」
兵士たちは震えた。
「ま、まさか」
「明日……」
レイは死んだ目で呟いた。
「全国下水革命なのだぁ……」
兵士たちは全員、静かに泣いた。




