10 死神の伝承
夜。
メセトラ王国・王都中央広場。
昼間は市場として賑わうそこでは、今夜、小さな祭りが開かれていた。
火皿の灯り。
笛の音。
葡萄酒。
踊る人々。
王都の民たちは束の間の休息を楽しんでいた。
そして広場の隅では。
「――だからねぇ」
老婆が子供たちに昔話を語っていた。
「死神に愛されると、魂を連れていかれるんだよ」
子供たちが目を丸くする。
「えーっ!」
「死神って恋するの!?」
「怖いー!」
老婆は頷いた。
「美しい死神ほど危ないんだよ。
夜に現れて、優しく微笑んで――」
その時だった。
「のだぁあああああああああああああ!?!?!?!?」
広場が揺れた。
全員が飛び上がる。
バァン!!
屋台が吹き飛んだ。
そこに立っていたのは。
銀髪。
黒衣。
異様に美形。
現在、王都で“黒き魔王”と呼ばれている男――レイだった。
だが今日は様子がおかしい。
顔色が死ぬほど悪い。
「な、何を妄言吐いてるのだぁあああああ!!?」
子供たちが悲鳴を上げた。
「魔王だぁ!!」
「違うのだぁ!!
今はそれどころじゃないのだぁ!!」
レイは老婆を指差した。
「死神が人間に惚れるぅ!?
命を持っていくぅ!?
あり得ないのだぁああああ!!!」
広場が静まり返る。
老婆が震えながら聞いた。
「な、何が……」
レイは本気で怒っていた。
「だいたいなのだぁ!!
人間ってぇ!!
お腹の中で堂々とうんこ飼ってるのだぞぉ!?」
広場が凍った。
「…………」
「…………」
「…………」
レイは止まらない。
「汗かく!!
臭い!!
腐る!!
病気になる!!
埃まみれ!!
雑菌まみれ!!
そのくせ恋愛するぅ!?
意味不明なのだぁ!!」
女たちが傷ついた顔になる。
「そこまで言わなくても……」
「死神の方が綺麗なのだぁ!!
清潔なのだぁ!!
あと美形なのだぁ!!」
そこだけ妙に自信満々だった。
「うむ!吾輩とか超美形なのだっ♡」
「そこは否定できないのが腹立つ……」
若い娘たちがヒソヒソ言う。
実際、レイは異様に顔が良かった。
人外じみた美貌。
銀髪。
黒翼。
だからこそ余計に、“死神伝説”っぽかった。
だがレイ本人は本気で嫌そうだった。
「うっ……」
急に顔を押さえる。
「想像しただけで気持ち悪いのだぁ……」
「えっ」
「死神が人間に惚れるぅ……?
生き物にぃ……?
おえっ……」
その場で吐きそうになる。
「お、おい大丈夫か!?」
「水持ってこい!!」
「触るななのだぁあああ!!」
レイはガタガタ震えながら後退した。
「無理なのだぁ……
吾輩、死神なのだぁ……
肉体持ち怖いのだぁ……」
人々は困惑した。
今までの魔王なら。
人間を見下すことはあっても。
“生物的に無理”みたいな反応はしなかった。
レイは本気で嫌がっている。
「魂だけなら綺麗なのだぁ……」
レイは虚ろな目で呟く。
「魂は腐らないのだぁ……
臭くないのだぁ……
汗かかないのだぁ……」
「なんか価値観が怖いな……」
兵士が小声で言う。
すると。
群衆の後ろから女王ネフェルセトが現れた。
「また騒ぎを起こしているのか」
人々が跪く。
「陛下!」
レイは女王を見て顔をしかめた。
「のだぁ……
ちゃんと歯磨いたのだぁ?」
「磨いた」
「舌は?」
「磨いた」
「うむ」
レイは少し落ち着いた。
最近の女王は本当に清潔だった。
髪も艶がある。
衣服も洗浄済み。
香油も控えめ。
レイ基準で“まだマシ”な存在になりつつある。
女王はため息をついた。
「で、何を騒いでいる」
レイは即座に叫んだ。
「死神が人間に惚れるとかいう妄言なのだぁ!!」
女王は一瞬沈黙した。
「……別に不思議ではないだろう」
「不思議なのだぁ!!」
「美しい死神なら」
「無理なのだぁ!!」
レイは本気で怒っていた。
「死神ってぇ!!
基本的に“腐らない存在”が好きなのだぁ!!
人間とか怖いのだぁ!!」
「怖い……?」
「急に血出す!!
病気なる!!
熱出す!!
あと虫湧く!!」
広場の空気が微妙になる。
子供たちは若干泣きそうだった。
レイはさらに続けた。
「吾輩がこの国滅ぼしてないのもぉ!!
別に慈悲じゃないのだぁ!!」
「えっ」
「追放されたから仕事じゃなくなっただけなのだぁ!!」
広場が凍る。
レイは腕組みした。
「冥界にいた頃はちゃんと刈ってたのだぁ」
「さらっと怖いこと言ったな今」
「でも今は無職だからぁ……
刈る理由ないのだぁ……」
恐ろしいほど合理的だった。
女王は頭を押さえた。
「……つまり」
「のだっ?」
「お前が人間を生かしている理由は」
「面倒だからなのだぁ」
民衆が青ざめた。
レイは本当に悪意が薄い。
だからこそ怖い。
「それにぃ……」
レイは少し考え込んだ。
「最近この国、前よりマシなのだぁ」
「……」
「下水も前より臭くないのだぁ」
民衆がザワつく。
「褒められた?」
「今、褒められた?」
レイは不満そうだった。
「まだ汚いけどぉ……
最初よりはマシなのだぁ……」
女王は小さく笑った。
「ならば、お前の掃除にも意味はあったな」
「のだっ♡」
レイはちょっと嬉しそうになった。
だが次の瞬間。
近くの酔っ払いがゲップした。
「ぶぇっ」
「のだぁああああああああ!!!!」
レイ絶叫。
「臭いのだぁあああああ!!!!
やっぱり人間嫌いなのだぁああああ!!!」
広場から全力疾走で逃げていく。
黒マントを翻しながら。
「吾輩は魂だけの存在が好きなのだぁあああ!!
生き物怖いのだぁああああ!!!!」
民衆は呆然としていた。
そして老婆がポツリと呟く。
「……あれ、本当に死神だったんだねぇ」
全員が静かに頷いた。




