19
数十年後。
メセトラ王国。
巨大河イシュアの流れは変わらない。
王都も変わった。
白い石畳。
巨大下水路。
公共浴場。
整備された市場。
今や“清潔文明メセトラ”は世界の常識になりつつあった。
子供は歯を磨く。
兵士は手を洗う。
商人は水を煮沸する。
周辺国家ですら真似を始めている。
そして。
その元凶は今日も元気だった。
◆
「のだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
王都中央広場。
銀髪の男が発狂していた。
「誰なのだぁ!!
魚の内臓そのまま放置したやつぅぅぅ!!」
バチバチバチ!!
黒霊火が走る。
ゴミだけ燃える。
臭いだけ消える。
市場の人々は慣れた顔だった。
「ああ、今日魚の日か」
「機嫌悪いな」
「近づくなよ、巻き込まれるぞ」
銀髪。
黒衣。
変わらぬ美貌。
死神レイ。
数十年経っても。
一切変わらなかった。
肌も。
髪も。
顔も。
まるで時が止まっている。
その異様さに、今や誰も疑問を持たない。
皆こう言う。
『魔王様だから』
便利な言葉だった。
◆
一方。
王城最上階。
女王ネフェルセトは静かに鏡を見ていた。
「…………」
沈黙。
鏡の中には。
確かにまだ美しい女がいる。
だが。
もう若くはない。
目元。
口元。
首。
少しずつ。
確実に。
時が刻まれている。
「……」
女王は静かに髪へ触れた。
黒髪には、少し白が混ざり始めていた。
かつて“太陽神の化身”と呼ばれた絶世の美貌。
それも今は。
老いを隠しきれない。
侍女長が静かに入ってくる。
「陛下」
「何だ」
「……今日は」
侍女長が少し困った顔をする。
「魔王様が、また市場で発狂されています」
女王は少し笑った。
「いつものことだ」
「魚臭いそうです」
「そうか」
女王は窓を見る。
遠く。
市場の方から。
「洗うのだぁぁぁぁ!!!」
いつもの絶叫。
昔と変わらない。
本当に。
一切変わらない。
「……」
女王は目を伏せた。
自分は変わった。
周囲も変わった。
だが。
レイだけは。
昔と同じまま。
変わらず、
騒がしく、
意味不明で、
綺麗好きで。
永遠にそこにいる。
◆
王都では。
最近こんな噂が流れていた。
『魔王様、本当に神なんじゃないか』
『いや死神だろ』
『でも死神ってもっと怖いんじゃ』
『十分怖いぞ』
皆が知っていた。
レイは変わらない。
何十年経っても。
新しく生まれた子供たちですら、同じ顔のレイを見て育つ。
その異様さに。
王都民はもう慣れてしまった。
◆
夕方。
王城庭園。
女王ネフェルセトは一人で歩いていた。
風が吹く。
最近、少し疲れやすい。
歩く速度も遅くなった。
その時。
「のだぁ?」
聞き慣れた声。
振り向くと。
レイがいた。
市場帰りらしい。
黒マントを翻し、銀髪を揺らしながらこちらを見る。
そして。
昔と全く同じ顔。
「…………」
女王は少しだけ苦笑した。
「何だその顔は」
「のだっ?」
「変わらぬな、お前は」
レイは首を傾げた。
「変わる必要ないのだぁ」
即答だった。
「死神なのだぁ?」
「……そうだな」
女王は静かに笑った。
昔は腹が立った。
だが今は。
少し羨ましい。
その永遠が。
レイは女王を見つめる。
「のだぁ?」
「何だ」
「疲れてるのだぁ?」
女王は少し止まった。
「……老いたのだ」
レイは数秒黙った。
「ふぅん」
反応が薄い。
昔からそうだ。
レイは“美貌”そのものにはそこまで興味がない。
清潔かどうかの方が大事。
レイは女王へ近づいた。
「のだっ」
女王の髪を持ち上げる。
「……おい」
「白いの増えたのだぁ」
「……そうだな」
「でも綺麗なのだぁ」
女王が止まった。
レイは本当に普通に言った。
「ちゃんと手入れしてるのだぁ」
それだけ。
昔みたいに。
当たり前のように。
女王は少しだけ目を細めた。
「……お前は」
「のだ?」
「昔から、そこだけは変わらんな」
「?」
「余の顔より、髪の手入れしか見ておらぬ」
「重要なのだぁ」
レイは真剣だった。
「髪は放置すると傷むのだぁ」
「……」
女王は小さく笑った。
多分。
この男は永遠に変わらない。
誰が老いても。
誰が死んでも。
ずっと。
あのまま。
意味不明なことを叫びながら掃除している。
少し寂しくて。
少し安心した。
その時。
レイが急に真顔になる。
「のだぁ」
「何だ」
「最近、寝具ちゃんと洗ってるのだぁ?」
女王の笑顔が消えた。
「……侍女長」
「はい」
「逃げるぞ」
「はい陛下」
「待つのだぁぁぁ!!!
確認するのだぁぁぁ!!!」
夕暮れの庭園に。
数十年前と変わらない女王の悲鳴が響いた。




