18
メセトラ王国。
かつては“黄金と砂の国”。
今では周辺国家からこう呼ばれていた。
――“清潔すぎる国家”。
最初は賞賛だった。
臭くない。
病気が少ない。
街が綺麗。
食料腐敗が少ない。
誰もが羨んだ。
だが。
数年もすると。
問題が発生し始めた。
大量に。
◆
「のだぁぁぁぁぁ!!!
土足で入るななのだぁぁぁ!!!」
今日も王城で絶叫が響く。
原因。
外国使節団。
北方騎士団の一人が泥靴のまま入ろうとした。
結果。
レイが反応した。
「菌なのだぁぁぁ!!!」
ドゴォォォォン!!
騎士、壁に埋まる。
「ぎゃあああ!!」
使節団が青ざめた。
「こ、この国怖い!!」
現在。
メセトラ王国との外交で最も重要なのは。
軍事でも金でもなく。
――衛生講習だった。
入国前に三日。
風呂。
洗髪。
歯磨き指導。
さらに。
爪検査。
口臭確認。
衣服洗浄。
そして。
『魔王を刺激しないための注意事項』
まで配布される。
各国使節は泣いていた。
「何故外交前に歯を見せねばならんのだ!!」
「うるさいのだぁ!!
虫歯は兵器なのだぁ!!」
レイは本気だった。
◆
問題は外交だけではない。
国民も変わってしまった。
「お前、昨日風呂入ってないだろ」
「は!?入ったし!!」
「でもちょっと臭うぞ」
「うわっ最低!!」
王都民たちの衛生観念が異様に高騰したのである。
昔なら気にしなかったことを、
皆が気にする。
結果。
夫婦喧嘩の理由が変わった。
『浮気』
『金』
『酒』
ではなく。
『口臭』
で離婚騒動が起きる。
「あなた最近歯磨き雑なのよ!!」
「仕事で疲れてるんだ!!」
「だからって臭っていい理由にならないわ!!」
レイ文明の弊害だった。
◆
さらに。
神殿。
昔の神官たちは香油と儀式で誤魔化していた。
だが今。
「神官長様」
「何だ」
「脇が臭います」
「…………」
権威が死んだ。
清潔概念の普及によって。
“神聖な香り”という誤魔化しが通じなくなったのである。
しかも。
レイが容赦なく言う。
『臭いのだぁ』
終わり。
それだけで神官の威厳が消滅する。
◆
軍隊も変わった。
「整列!!」
現在、メセトラ軍の朝は。
歯磨きから始まる。
しかも。
レイが抜き打ちで来る。
「のだぁ?」
兵士たちが震える。
「み、磨きました!!」
「舌は?」
「えっ」
「舌は?」
地獄だった。
しかも。
最近では兵士同士で。
「お前、汗臭いぞ」
「昨日鎧洗ってないだろ」
と言い合う。
結果。
メセトラ軍は異様に統率された。
臭い兵士が減ったのである。
だが。
同時に。
他国兵士を嫌がるようになった。
「うわっ、北方兵臭っ」
「近づくなよ」
「鎧何年洗ってないんだあれ」
国際問題寸前だった。
◆
そして。
最大の弊害。
――国民のメンタル。
「……最近、生きづらい」
パン屋の男が呟く。
「ちょっと汗かいただけで気になる……」
「わかる……」
メセトラ人たちは。
“清潔”に慣れすぎた。
昔は平気だった臭いが気になる。
汚れが怖い。
結果。
王都民たちは最近、やたらと風呂に入る。
香草石鹸が爆売れ。
歯磨き粉が高級品化。
洗濯業が超発展。
そして。
他国へ行った商人たちが。
「無理だ……
臭すぎる……」
帰ってくる。
完全にレイ汚染だった。
◆
王城。
女王ネフェルセトは報告書を読んでいた。
「……」
内容。
『南方国家との交易悪化』
理由。
『メセトラ商人が臭いを理由に宿で発狂』
女王は静かに額を押さえた。
「……またか」
侍女長も疲れた顔である。
「最近増えております……」
「うむ」
「“あの国臭いから嫌だ”という苦情が」
女王は遠い目をした。
完全にレイの影響だった。
そして。
最悪なことに。
衛生面では実際メセトラの方が上なのだ。
だから国民も自信満々になる。
「……文明とは何なのだろうな」
女王がボソッと呟く。
すると。
遠くから絶叫。
「のだぁぁぁぁぁ!!!
誰なのだぁ!!
台所に生肉放置したやつぅぅぅ!!!」
ドゴォォォォン!!
何かが吹き飛ぶ音。
侍女長がため息をついた。
「……元凶は今日も元気ですね」
「うむ」
女王は窓の外を見る。
王都は美しい。
清潔で、
病が少なく、
水が流れる。
だが同時に。
国民全員がちょっと潔癖になっていた。
その時。
侍女長が小声で聞く。
「……陛下は」
「?」
「昔の王都と、今の王都。どちらがお好きですか」
女王は少し考えた。
昔の王都は自由だった。
臭く、
病人も多く、
泥だらけ。
だが活気はあった。
今の王都は綺麗だ。
健康的だ。
でも皆、少し神経質になった。
女王は静かに答える。
「……今の方が好きだ」
「やはり」
「少なくとも」
女王は遠くを見る。
「昔より、民が死なぬ」
侍女長は頷いた。
すると。
突然、扉が開く。
バァン!!
「のだぁぁぁぁぁ!!!」
レイだった。
髪ボサボサ。
黒マント。
発狂顔。
「陛下ぁぁぁ!!!
この国最近ちょっと油断してるのだぁ!!」
「何だ急に」
「台所が汚かったのだぁ!!」
女王はため息をついた。
「……また始まったか」
レイは真剣だった。
「文明は一日にして腐敗するのだぁ!!」
「格言みたいに言うな」
「掃除を怠るななのだぁ!!」
そして。
レイは女王をジッと見た。
「…………」
女王の背筋が僅かに凍る。
(まさか)
「のだぁ?」
「……何だ」
「髪、ちょっと乾燥してるのだぁ」
女王、硬直。
「今から洗うのだぁ!!」
「嫌だ」
「行くのだぁ!!」
「嫌だと言っている!!」
王城中に女王の悲鳴が響いた。




