17
メセトラ王国・王城。
朝。
侍女たちが静かに女王ネフェルセトの身支度を整えていた。
鏡台。
金細工。
香草水。
以前と違うのは。
――香油が少ない。
そして。
髪が異様に綺麗。
艶があり、
重たすぎず、
風が通る。
昔の“神殿的な美しさ”ではなく、
もっと自然な美だった。
侍女たちは未だに慣れない。
何故なら。
その美の管理者が。
あの銀髪狂人だからである。
「…………」
女王は鏡を見ながら静かに息を吐いた。
「陛下?」
「……いや」
ネフェルセトは表情を崩さない。
崩さないが。
内心。
少しだけ緊張していた。
(今日は……来るだろうか)
最近。
レイは不定期で現れる。
そして。
『のだぁ?』
『髪洗ったのだぁ?』
『ちゃんと乾かしたのだぁ?』
と言いながら突然頭を確認し始める。
最悪だった。
女王としての威厳が死ぬ。
しかも。
レイは本当に容赦がない。
一度。
『少し香油強いのだぁ』
と言った直後。
そのまま風呂場へ連行された。
女王は人生で初めて。
王冠付きのまま引きずられた。
しかも侍女たちは止められない。
何故なら。
レイが強すぎるから。
「…………」
女王は静かに黒髪へ触れる。
今日は大丈夫なはず。
昨日洗った。
乾燥もした。
歯も磨いた。
完璧。
多分。
すると。
コンコン。
侍女長が入ってきた。
「陛下」
「何だ」
「魔王様が……」
女王の肩が僅かに跳ねた。
「……来たのか」
「いえ」
「?」
「失神されました」
沈黙。
「…………」
「…………」
「……またか」
侍女長は疲れた顔だった。
「本日は外国使節団の歓迎会だったのですが……」
「うむ」
「北方諸国の大使たちを見た瞬間」
「うむ」
「頭部を凝視されて」
「……うむ」
「“のだぁ……?”と呟いて」
「…………」
「そのまま倒れました」
女王は静かに目を閉じた。
頭痛がした。
「……理由は」
「恐らく」
侍女長は遠い目をした。
「髪です」
女王は天を仰いだ。
もう嫌だった。
一方その頃。
王城大広間。
「のだぁ……」
レイは長椅子の上で死んでいた。
真っ白。
魂抜けかけ。
周囲では使節団が困惑している。
「な、何なのだこの魔王は……」
「我々、歓迎されてないのか?」
神官が慌てて説明する。
「い、いやその……」
「多分、皆様の頭髪事情が……」
「は?」
レイは震える指で北方大使を指差した。
「のだぁ……」
「な、何だ」
「洗ってないのだぁ……」
北方大使の顔が引きつった。
「洗っている!!」
「嘘なのだぁ……」
レイは本気で絶望していた。
「油なのだぁ……
脂なのだぁ……
あとフケなのだぁ……」
北方使節団がザワつく。
「フケ?」
「何故見える!?」
レイは頭を抱えた。
「うぅ……
近づきたくないのだぁ……」
大使はちょっと傷ついた。
「そこまで言うか普通」
「だってぇ……
髪って大事なのだぁ……」
レイは泣きそうだった。
「なんで皆ちゃんと洗わないのだぁ……
怖いのだぁ……」
その時。
別の使節が笑った。
「ハハハ!
男なんぞ多少臭いくらいで――」
「のだぁぁぁぁぁ!!」
レイ絶叫。
「臭いって自覚あるのだぁぁぁ!!!
なんで平然としてるのだぁぁぁ!!!」
そして。
ドサッ。
再失神。
大広間が静まり返る。
「また倒れた……」
「メンタル弱すぎない?」
「いや多分価値観が違うんだよ……」
数十分後。
報告を受けた女王ネフェルセトは。
「……そうか」
静かに頷いた。
そして。
少しだけ安心していた。
(今日は来ないか……)
すると侍女長が微妙な顔で聞く。
「陛下」
「何だ」
「……魔王様に頭を洗われるの、そんなに嫌ですか?」
女王は即答できなかった。
「…………」
嫌だ。
屈辱だ。
王として終わっている。
なのに。
最近。
レイに「綺麗なのだぁ」と言われると、
少しだけ安心してしまう自分がいた。
女王は無表情のまま答える。
「……嫌に決まっている」
「ですが?」
「……」
侍女長はニヤニヤしている。
女王は顔を逸らした。
「……あやつは」
「加減を知らぬ」
「そこなんですね」
「突然連行する」
「怒鳴る」
「髪を引っ張る」
「でも最近、陛下の髪すごく綺麗ですよ」
女王は黙った。
それは否定できない。
侍女長はクスクス笑う。
「ですが安心しました」
「?」
「魔王様、ちゃんと陛下だけ特別扱いしてるわけじゃないんですね」
女王は少しだけ止まった。
確かに。
レイは誰に対しても同じだ。
外国人だろうが、
神官だろうが、
女王だろうが。
汚ければ発狂する。
つまり。
自分だけではない。
「……当然だ」
女王は静かに立ち上がる。
「むしろ、あやつに特別扱いなどされたくない」
「本当に?」
「本当だ」
だが。
その直後。
廊下の向こうから絶叫。
「のだぁぁぁぁぁ!!!
誰なのだぁ!!
客人用寝具を洗ってないやつぅぅぅ!!!」
女王と侍女長は顔を見合わせた。
そして。
「……今日は使節団が犠牲か」
「ですね」
少しだけ。
本当に少しだけ。
女王はホッとしていた。




