15
メセトラ王国・大謁見殿。
巨大な石柱。
金箔の壁画。
磨き抜かれた白い床。
そして。
――清潔。
それが他国の使節たちをもっとも震え上がらせていた。
「…………」
「…………」
北方連合の外交官たちは無言で周囲を見回す。
臭くない。
信じられないほど。
大国の宮殿というのは本来、
香油と汗と酒と人混みの臭気が混ざる。
だが。
この王城は違った。
風が通る。
空気が軽い。
床に埃一つない。
「……本当に同じ時代の文明か?」
小声で呟く使節。
さらに。
玉座に座る女王ネフェルセト。
黒曜石のような瞳。
艶のある黒髪。
透き通った褐色肌。
以前よりさらに美しかった。
理由は単純。
レイが毎日発狂しながら管理しているからである。
『ちゃんと寝るのだぁ!!』
『野菜食えなのだぁ!!』
『髪乾かすのだぁ!!』
もはや美容係だった。
もちろんレイ本人にその認識はない。
ただ“汚くなるのが嫌”なだけである。
女王は静かに使節たちを見下ろした。
「メセトラは諸国との交易を歓迎する」
優雅。
完璧。
使節たちは息を呑む。
最近。
周辺国家ではこう囁かれていた。
――メセトラは神に愛されている。
何故なら。
疫病が減った。
兵士が死なない。
街が臭くない。
王族が異様に美しい。
もはや宗教レベルだった。
女王はそれを理解していた。
そして。
利用していた。
「……」
ネフェルセトは静かにワイングラスを傾ける。
周囲の反応を見る。
恐怖。
羨望。
憧れ。
以前より確実に外交優位が増していた。
そしてその裏にいるのは。
銀髪の狂人。
あの意味不明な衛生魔王。
女王は内心でため息をついた。
(……本当に、何なのだあれは)
その時。
遠くから悲鳴。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
使節たちがビクッとする。
女王だけが無表情だった。
「気にするな」
「い、今のは……?」
「掃除だ」
「掃除?」
さらに絶叫。
「嫌なのだぁぁぁ!!
なんなのだぁこの菌の巣窟ぅぅぅ!!!」
使節たちは青ざめた。
「ま、魔物では……」
「違う」
女王は淡々と言う。
「衛生担当だ」
「衛生担当???」
一方その頃。
王都中央治療院。
そこは現在、地獄だった。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
レイが発狂していた。
原因。
病人。
「臭いのだぁ!!
膿んでるのだぁ!!
なんで放置したのだぁ!!」
治療師たちが震える。
「だ、だって傷薬高くて……」
「洗えなのだぁぁぁ!!」
黒霊火が病室を走る。
菌だけ焼却。
床浄化。
空気浄化。
だが。
レイの精神は限界だった。
「うぅっ……」
ベッドの病人が苦しそうに咳き込む。
「げほっ……」
「のだぁぁぁぁ!!!
飛ばすななのだぁぁぁ!!!」
レイ、後退。
だが。
病人の横に積まれた布団を見た瞬間。
「…………」
停止。
薄汚れた布。
汗染み。
血。
湿気。
「…………」
レイの瞳から光が消えた。
「のだぁ……」
ドサッ。
失神。
治療院全体が静まり返る。
「また倒れた……」
「今月何回目だ?」
「病院来るたび倒れてない?」
治療師たちが慣れた手つきでレイを運ぶ。
「毛布どうする?」
「新しいの持ってこい」
「前回、古い毛布見て二回目失神したからな」
その時。
レイがピクッと起きた。
「のだっ……!?」
「起きた!」
レイは周囲を見回す。
そして。
自分にかけられた布団を見た。
「…………」
沈黙。
治療師たちが察する。
「あっ」
「待て」
「それ新しいぞ!」
レイは震える指で布団を摘まんだ。
「のだぁ……?」
「洗った!!」
「ちゃんと洗ったから!!」
「…………」
レイは数秒見つめ。
「……本当なのだぁ?」
「本当だ!」
「…………」
レイは少し安心した。
「のだぁ……」
だが次の瞬間。
隣の病人が咳をした。
「げほっ」
「のだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
レイ再失神。
「倒れたァーーーーーッ!!」
治療師たちが頭を抱える。
「なんなんだこいつ!!」
「病院適性ゼロすぎる!!」
そして夕方。
この報告は当然、女王の元へ届いた。
侍女長が疲れた顔で言う。
「……魔王様、また失神されたそうです」
女王はワインを飲みながら聞いた。
「今回は何だ」
「病人です」
「いつものだな」
「あと布団」
女王は静かに目を閉じた。
「……そうか」
もう驚かない。
最近では。
レイが失神すると、
『ああ、またか』
で済まされるようになっていた。
侍女長が困惑した顔で聞く。
「……陛下」
「何だ」
「何故あの方、病院に行くのでしょう」
女王は少し考えた。
レイは病人が嫌いだ。
怖がる。
臭いと言う。
失神する。
なのに。
放置しない。
掃除する。
治療環境を整える。
水を浄化する。
意味不明だった。
女王は小さく呟く。
「……多分」
「?」
「放置した方が、もっと嫌なのだろう」
侍女長は苦笑した。
「本当に変な魔王ですね」
女王は窓の外を見る。
遠く。
夕日に照らされた王都は、美しかった。
清潔で、
静かで、
風が通る。
そしてどこかで。
「のだぁぁぁぁ!!
その包帯ちゃんと洗うのだぁぁぁ!!!」
今日も銀髪の狂人が発狂していた。




