14 女王回
夜。
王城最上階。
女王ネフェルセトの私室。
窓の外では、巨大河イシュアが月光を反射して静かに流れていた。
風は涼しい。
王都も、以前より遥かに静かだった。
下水が整い、
腐臭が減り、
病人も減った。
街は変わった。
だが。
「…………」
女王ネフェルセトは、一人、静かに座っていた。
無表情。
いつも通り。
完璧な女王の顔。
侍女が見れば、
『今夜も美しい』
と言っただろう。
だが。
誰もいない部屋で。
女王はゆっくり目を閉じた。
「……そうか」
小さな声。
昼間の会話が頭に残っていた。
『生き物無理なのだぁ』
『肉体怖いのだぁ』
『人間嫌なのだぁ』
レイは本気だった。
それがわかった。
だからこそ。
妙に胸に残った。
「……」
女王は窓際へ歩く。
黒髪が揺れる。
昔より軽い。
レイが徹底的に洗わせたからだ。
最初は屈辱だった。
王である自分が、
意味不明な男に「汚い」と怒鳴られ、
風呂へ連行され、
歯を確認される。
本来なら許されない。
だが。
今では。
その異様な男がいない王城を想像すると、妙に静かすぎる気がした。
「……余も馬鹿だな」
小さく呟く。
レイは誰に対しても同じだ。
貴族も。
兵士も。
神官も。
全員に「臭い」と言う。
女王だけ特別ではない。
むしろ。
“人間そのもの”が苦手なのだ。
死神だから。
魂だけの存在だから。
「……」
女王は鏡を見る。
そこには、美しい女がいた。
褐色の肌。
整った顔。
艶のある黒髪。
世界中の男が称賛した。
神殿は神の化身と歌った。
だが。
あの銀髪男は。
『目の下にクマあるのだぁ?』
『髪洗えてないのだぁ』
『歯磨いたのだぁ?』
そんなことしか言わない。
女王は少しだけ笑った。
「……変な男だ」
だが。
胸の奥が少し重かった。
別に。
恋ではない。
……たぶん。
ただ。
自分を見ているようで、
実は“人間”としてしか見ていない。
その距離感が。
妙に寂しかった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「陛下」
「入れ」
侍女長が入ってきた。
「……どうされました?」
「何がだ」
「少し、お疲れに見えます」
女王は即答した。
「気のせいだ」
完璧な声音。
だが侍女長は長年仕えている。
わかってしまう。
「……魔王の件ですか」
女王の指が僅かに止まった。
「……」
「陛下」
「何でもない」
侍女長は静かに近づく。
「陛下は、最近よく笑われます」
「……そうか?」
「はい」
女王は少し驚いた顔をした。
「前よりも」
「……」
「人間らしくなられました」
女王は黙った。
人間らしい。
昔の彼女は、神殿が作った“太陽の女王”だった。
常に完璧。
常に美しく。
常に神聖。
弱みなど許されなかった。
だが。
レイはそんなものを一切見ない。
『汚い』
『寝不足』
『臭い』
『歯磨け』
本当に最低である。
なのに。
妙に気楽だった。
女王は窓の外を見る。
遠く。
王都のどこかで。
「のだぁぁぁぁ!!!
誰なのだぁ!!
生ゴミ放置したやつぅぅぅ!!!」
いつもの絶叫。
侍女長が苦笑した。
「今夜も元気ですね……」
「……そうだな」
女王は少しだけ目を細めた。
すると侍女長が、恐る恐る聞く。
「……陛下は」
「?」
「魔王様のことを、どう思われていますか」
女王は沈黙した。
数秒。
静かに答える。
「……わからぬ」
本心だった。
恐ろしい。
理不尽。
意味不明。
超強い。
だが。
不思議と。
彼がいると、王都が生きている気がする。
「ただ……」
「はい」
「もう少し」
女王は河を見つめた。
「……人間を嫌わぬでいてくれれば、と思う」
侍女長は静かに目を伏せた。
女王は顔に出さない。
絶対に。
王だから。
だが。
あの“恋愛などあり得ない”という絶叫は。
思った以上に胸に刺さっていた。




