12
数年後。
メセトラ王国。
かつて“黄金と砂の国”と呼ばれたその文明は、今や周辺諸国から別の意味で恐れられていた。
――清潔すぎる。
異常なほどに。
「…………」
国境を越えてきた商人たちはまず絶句する。
道が綺麗。
臭くない。
下水が流れている。
市場に蠅が少ない。
井戸水が透明。
しかも。
人間まで妙に清潔。
「なんだこの国……」
「怖い……」
旅人たちは震えた。
子供ですら歯を磨いている。
兵士が手洗いしている。
貴族の屋敷から悪臭がしない。
あり得なかった。
この時代では。
そして。
その全ての元凶が――。
「のだぁあああああ!!!
そこぉ!!
埃溜まってるのだぁあああ!!!」
今日も発狂していた。
銀髪。
黒衣。
黒翼。
現在、“黒き衛生魔王”と呼ばれている男。
レイである。
王都中央大通り。
レイは黒い霊火を撒き散らしながら道路掃除をしていた。
ゴォォォォ!!
霊火が石畳を走る。
汚れだけが燃え、
菌だけが消え、
ゴミだけが消滅していく。
もはや神業だった。
通行人たちは慣れた顔で避けていく。
「お、今日も始まったな」
「西区の掃除日か」
「近づくなよ、殺されるぞ」
実際そうだった。
レイの掃除中に邪魔をすると死ぬ。
比喩ではない。
昔。
反発した神官が言った。
『神聖なる砂を消すとは何事か!』
するとレイが真顔で。
『菌なのだぁ』
と言いながら軽く払った。
神官は壁を突き抜けて消えた。
死んではいない。
だが三ヶ月入院した。
それ以降。
王国では。
『掃除中の魔王には近づくな』
が絶対法則になった。
「のだぁぁぁぁ!!
この市場の魚臭いのだぁぁぁ!!」
「今日の魔王、魚ゾーン入ったぞ」
「終わったな……」
魚商人たちが青ざめる。
だが逃げる暇はない。
レイが黒霧のように移動した。
「冷却!!
洗浄!!
排水!!
あと蠅ァァァァ!!」
ドゴォォォォ!!
市場の裏に巨大排水路が生まれる。
周囲の国の商人たちは目を剥いた。
「なんだあの魔法……」
「国一つで使う術じゃないぞ……」
そう。
メセトラ王国は今。
周辺諸国と明確に違っていた。
疫病が少ない。
腐臭が少ない。
平均寿命が長い。
兵士の生存率が高い。
傷口の洗浄概念すらある。
結果。
国力が急上昇していた。
もちろん。
反発勢力は大量にいた。
神官。
保守貴族。
伝統主義者。
皆が怒っていた。
「何故毎日風呂に入らねばならんのだ!!」
「香油文化への冒涜だ!!」
「神聖な香りを否定する気か!!」
だが。
彼らはもうレイ本人には言わない。
絶対に。
何故なら。
一回でも掃除中のレイに近づくと。
「のだぁ?」
レイが振り向く。
「……汚いのだぁ」
終わり。
その瞬間。
超高圧霊力が飛んでくる。
そして壁に埋まる。
なので現在。
反発勢力は全員、女王ネフェルセトのところへ泣きついていた。
王城・謁見の間。
「陛下ぁ!!」
老貴族が涙目で叫ぶ。
「また魔王が我が屋敷の使用人を丸刈りにしましたぞ!!」
「理由は」
「“髪が臭かった”と!!」
「……そうか」
女王は疲れた顔で頷いた。
最近ずっとこれだった。
「陛下!!」
今度は神官。
「神殿の香油を“腐った花汁”呼ばわりされました!!」
「……そうか」
「しかも神像を洗い始めましたぞ!!」
「……そうか」
女王はもう感情が死んでいた。
慣れてしまった。
その時。
遠くから絶叫が響く。
「のだぁぁぁぁぁ!!!!
誰なのだぁ!!
下水に肉捨てたやつぅぅぅ!!」
全員が静かになった。
神官が青ざめる。
「ひっ……」
女王は淡々と言った。
「行け」
「えっ」
「犯人なら自分で言え」
「無理ですぞ!!!!」
当然だった。
誰も掃除中のレイには近づきたくない。
何故なら。
今のレイは特に危険だった。
最近、スラム改善を始めてから発狂頻度が上がっている。
失神も増えた。
その分、掃除への執念が強まっていた。
「のだぁぁぁぁ!!!
下水は神聖なのだぁぁぁぁ!!」
外から怒号。
そして。
ドゴォォォォン!!
遠くで建物が一つ吹き飛んだ。
神官たちが震える。
「……あれ、死んだのでは」
「いや」
女王は冷静だった。
「多分“軽くどかした”だけだ」
慣れ過ぎていた。
すると。
侍女が小走りでやってくる。
「陛下……」
「何だ」
「北方の使節団が到着しました」
「通せ」
北方国家の大使たちが入ってくる。
そして。
王都の様子を見た彼らは明らかに困惑していた。
「…………」
「…………」
最後に代表が小声で聞いた。
「……あの」
「何だ」
「本当に“魔王”が国を支配しているのですか」
女王は少し考えた。
確かにレイは恐ろしい。
理不尽。
超強い。
意味不明。
だが。
国は以前より遥かに豊かだった。
病人も減った。
飢饉時の腐敗も減った。
死者も減った。
女王は静かに答える。
「……半分はそうだな」
「半分?」
「残り半分は……」
その時。
遠くからまた絶叫。
「歯磨けなのだぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
兵士たちの悲鳴。
「嫌ぁぁぁぁぁ!!!」
女王は遠い目をした。
「……衛生の化身だ」
使節団は誰一人理解できなかった。




