番外編:世界で一番愛しい檻
東の地への波乱に満ちた(そしてあまりにも熱かった)ハネムーンから、数年の月日が流れた──。
ヴァルツァー領へと帰還した私たちは、約束通り、ヴァルツァー侯爵家を支える最高の医療パートナーとして、共に国中の医療改革に邁進した。私の緻密なデータ分析と、レオン様の天才的な執刀・指揮能力が組み合わさった「ヴァルツァー小侯爵夫妻」の名は、今や国中で知らない者はいないほどの、畏敬と憧れの象徴となっていた。
実家にいた頃、暗い部屋で一人、自分が才女であることすら罪だと思って震えていた私は、もうどこにもいない。
私は今、愛する人の隣で、自らの知識で多くの民を救う、この上ない誇りと幸福の中にいた。
──そして、初夏を迎えたある輝かしい朝。
ヴァルツァー侯爵邸の、かつては二つの部屋を繋いでいたあのコネクティングドアが、今は完全に取り払われて一つの広い「家族の部屋」となった寝室に、細く、けれど力強い、天使のような産声が響き渡った。
「──お誕生です! 非常に元気な、美しいお嬢様ですよ!」
産婆の弾んだ声と共に、私の胸元へと、温かくて小さな、愛しい命の塊がそっと抱き寄せられた。
まだ開かない目で一生懸命に空気を吸い、小さな手をパタパタと動かしている我が子。その姿を見た瞬間、私の目からは、これまでの人生のすべてが報われたような、大粒の涙がとめどなく溢れ出してきた。
「アリア……! ああ、アリア、本当によく頑張ってくれた……っ!」
枕元で、ずっと私の手を壊れそうなほど強く握りしめていたレオン様が、声を震わせて私の額に何度も何度も口づけを落とした。
見上げれば、あのどんな病魔の脅威の前でも、どんな断罪の舞台の上でも、眉一つ動かさず冷徹に微笑んでいた「国家最高峰の天才医師」が──今や形振り構わず、子供のようにボロボロと涙を流して男泣きしている。
「レオン様……見てください。私たちの、赤ちゃんです……。とっても、可愛い女の子ですよ……」
「ええ……ええ、本当に、君にそっくりな、世界で一番美しい天使だ……っ」
レオン様は震える手で、そっと我が子の小さな小さな指先に触れた。すると、赤ちゃんは本能的に、レオン様の太い指をその小さな手のひらでギュッと、力強く握り返したのだ。
その瞬間、レオン様は息を呑み、そしてこれまでにないほど愛おしそうに、けれどどこか「降伏」したかのような苦笑を浮かべた。
「……参りましたね。僕は生涯、君という完璧な檻に捕らえられて生きていくと誓ったばかりなのに。今日からどうやら、もう一つ、絶対に抜け出せない最強の包囲網が加わってしまったようだ」
「ふふ、嬉しい誤算ですね、レオン様」
私が涙を拭いながら微笑むと、レオン様は愛おしさが限界を突破したように、私と、私たちの腕の中にいる小さな天使の二人を、その大きな身体で包み込むように、ぎゅっと優しく抱き締めた。
「初夜の日に言ったはずです。君が僕から離れて行こうなどと、一秒たりとも考えられなくなるように、僕の愛で完璧に縛り付けると。……これで約束は果たされました。君はもう、この子の母親として、そして僕の生涯唯一の伴侶として、僕の腕の中から一歩も出ることは許されませんよ、アリア」
彼の琥珀色の瞳の奥に宿る、どこまでも深くて、どこまでも暗く、けれど世界中の誰の愛よりも温かい、極上の独占欲と執着の炎。
かつては「恐ろしい」と震えたはずのその愛の重さが、今の私には、何よりも心地よくて、何よりも安全な、世界一幸福な檻だった。
「はい、レオン様。……もう、どこにも逃げません」
窓から差し込む初夏のうららかな光が、ベッドの上の私たち三人を、祝福するように優しく照らし出す。
かつて月夜に拾われた、虐げられていた偽りの才女は、稀代の天才策士の張り巡らせた「永遠の愛の包囲網」の中で──今度こそ本当に、世界で一番幸せな本物の花嫁、そして母親となったのだった。




