泥沼に咲く偽りの薔薇
そして作戦当日──ノア、およびキースが共同主催する、初夏のお茶会の日の朝だった。
「えっ!!? どうしてレオンハルト様は一緒に行ってくださらないのですか!?」
私が不参加であることを告げた瞬間、エリシア嬢はこれ以上ないほど露骨に不満げな声を漏らした。だが、私が彼女を伴って公の場に出れば、それは即ち、彼女を未来のヴァルツァー侯爵夫人として認めるという最悪の既成事実になってしまう。死んでも行くわけがない。
「申し訳ありません。急遽、領地に関する重要な執務が入ってしまい、どうしても参加が叶いません。……ですが、ノアとキースが、エリシア嬢に心から喜んでもらえるような『特別な席』を用意して待っているそうですよ。ぜひ、僕の代わりに楽しんできてください」
「ノア様と、キース様が……わたくしのために……? まあ! それでしたら仕方がありませんわね、わたくし、喜んで行って参りますわ!」
(……一瞬で機嫌を直したな。なんてチョロいんだ)
エリシア嬢の顔に、下卑た期待がありありとこみ上げている。高位貴族の美男子二人に挟まれて言い寄られる、甘い夢でも見ているのだろう。彼女は態度を手のひらを返すようにガラリと変え、極彩色のドレスの裾を翻して馬車に乗り、一人お茶会へと繰り出した。
──これが、彼女の終わりの始まりだとも知らずに。
「──へっ!?」
会場であるリーヴェル辺境伯家の壮麗な庭園に到着した瞬間、エリシア嬢は歓迎の挨拶も忘れて、間抜けな声を漏らした。
お茶会の主役であるはずのノアとキースの傍らには、それぞれ、王都でも名高い高貴な婚約者たる令嬢たちが、完璧な淑女の笑みを浮かべてがっちりと陣取っていたからだ。
「あら……。今日は、お二人ともご一緒なんですのね?」
エリシア嬢の声は笑顔を作っているものの、完全に引き攣っており、明らかに期待外れだという不満と苛立ちを隠せていない。二人のどちらかを籠絡し、恋の奴隷にする気満々だったのだろう。
「ごめんね、エリシア嬢」
ノアが酷く困ったふりをして、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「僕らは主催側だからさ。形式上、どうしても婚約者と一緒じゃないと社交界の手前、格好がつかなくてね。でも安心してほしい、ちゃんとエリシア嬢のために、とびきり極上の特別席を用意してあるよ」
「ええ。俺が厳選した、君にぴったりのお勧めメンバーが集まる席さ」
キースが極上の笑みで引き合わせた席──そこには、辺境伯や有力侯爵家には一歩及ばないものの、地方の裕福な子爵家や男爵家といった、流行に疎く、都会の華やかな噂に飢えている若い青年貴族たちが群がっていた。
「は、初めまして……! グレインフィール家の若き才女様とお話しできるなんて、僕たち光栄です!」
「ぜひ、僕たちの席へ! 貴女のような美しい方のお話を聞かせてください!」
最初はあからさまに不満そうだったエリシア嬢だったが、純朴な青年貴族たちから一斉に熱い視線と賞賛を向けられ、囲まれた途端、みるみるうちに頬を緩めていった。
ヴァルツァー侯爵邸での退屈な勉強(干されていた時間)から解放され、チヤホヤと無条件の褒め言葉を浴びる、彼女にとっての最高のご馳走。
「エリシア様は、本当に華やかだ。まるで王都に咲き誇る一輪の薔薇のようだ!」
「まぁ……ふふ、お上手ですのね。ヴァルツァー家での修業は厳しくて本当に退屈でしたから……皆様のような素敵な殿方に囲まれて、わたくし救われましたわ」
すっかり調子を取り戻し、お酒も入っていない段階から、早くも傲慢な本性を現し始めたエリシア嬢。
ここが彼女の輝かしい社交界の「頂点」であり、同時に──取り返しのつかない破滅へと転がり落ちるスタートラインだった。
青年たちを従えて逆ハーレム状態になり、すっかり全能感に酔いしれたエリシア嬢の暴走は、ノアたちの予想を遥かに超えていた。
彼女は「少し疲れてしまいましたわ」と思わせぶりに青年たちを誘っては、何度も何度も庭園の休憩室を占領し、男たちと共に姿を消した。その節操のない破廉恥な行動は、純朴だった青年たちの幻滅を誘い、周囲の貴族たちから「……何だあの女は」と白い目で見られ始める。
だが、極め付けは会の終盤だった。
自分がノアとキースに無視されているのが我慢ならなくなったエリシア嬢は、ついに二人の横を奪おうと、ノアの婚約者である侯爵令息の元へと歩み寄り、扇で口元を隠しながら傲慢に言い放ったのだ。
「まぁ、リーヴェル辺境伯様のような将来有望なお方の隣に立つには、少々華やかさに欠ける退屈なドレスですのね? 伯爵領の薬草事業を任されているこのわたくしなら、もっと彼の隣に相応しい彩りを添えられますのに。……身の程を弁えられた方がよろしいのではなくて?」
あまりにも不躾なマウント。
だが、その傲慢な暴言を、ノアの婚約者は待っていましたとばかりに冷ややかに見下ろした。
「──まぁ。ヴァルツァー家の婚約者候補としてお世話になっておきながら、厚かましくも他の婚約者がいる令息に手を出そうだなんて田舎の泥棒猫が、どの口でおっしゃるのかしら?」
「なっ……なんですって!?」
「私の婚約者に色目を使い、あまつさえ数々の男たちを休憩室に連れ込んで我が家の庭を汚した不貞な女が……! 泥棒の分際で、私に指図しないで頂戴!」
「この……っ、行き遅れの分際で生意気な……ッ!」
激昂したエリシア嬢は、あろうことかテーブルの上の菓子を掴んで投げつけ、さらに側にあった赤ワインのグラスを奪い、婚約者令嬢に向けて勢いよくぶちぶけた。
──パシャアァッ!!!
真っ赤な液体が令嬢のドレス、そして周囲の敷物に飛び散る。
庭園中が、最悪の悲鳴と静寂に包まれた。
「……まぁ、なんて野蛮なこと」
ワインをかけられた令嬢は、汚れたドレスを見つめながらも、ニヤリと冷酷に微笑んだ。その背後から、ノアとキースが冷徹な足取りで姿を現す。
「僕の静かなお茶会で、僕の大切な婚約者になんて事をしてくれたんだ、エリシア嬢」
「決定席だな。……お茶会で口論になり、食べ物をぶつけ、ワインをひっかけた。さらに数多の男との不貞行為。──すべて、一言の弁明の余地もない『事実』として、この場の全員が目撃した」
ノアの冷え切った眼鏡の奥の瞳と、キースの侮蔑に満ちた視線。
その瞬間、エリシア嬢は自分が青年たちからも完全に孤立し、会場のすべての貴族から「狂った悪女」として見られていることにようやく気づき、顔を青ざめさせた。
((……なんて、ちょろいんだ))
遠巻きにその一部始終を完璧に記録していたノアとキースの心の声が、綺麗にハモる。
二人はその哀れなピエロを冷徹に見送り、互いに目を合わせて、小さく拳を重ねた。
「これで、アリア嬢を貶めた全ての悪評の『真の主』が証明された。……さあ、レオン。お前の大舞台(断罪劇)の準備は、完璧に整ったぞ」
すべては私の愛しいアリアの憂いを晴らし、偽りの才女を地獄へ叩き落とすための、完璧なお膳立てだったのだ──。




