本物の光
「はぁ……ロベルト。それについては、我が家からも謝罪しなければならないな」
重々しく息を吐き、これまでの花嫁修業期間中に裏で起きていた事実を告白したのは、アルベルト侯爵だった。
「我が侯爵家で医療実習を行った際、最初、私たちはグレイスの主導でカリキュラムを組ませていた。だが、私たちはその現場で、とんでもないものを目撃したのだ。……彼女が、アリアちゃんの書いた完璧な臨床カルテを強引に奪い取り、その名前を『エリシア』に書き換えていた瞬間をな」
「な、何ですって……!?」
伯爵夫妻は、初めて突きつけられる衝撃の事実に目を見張り、ガタガタと震えるグレイスを凝視した。さらに、セレナ侯爵夫人が冷徹な追及の刃を重ねる。
「グレイス。貴女、私たちにこう報告していたわね。『私が主導しておりますから問題ありません』『実習の成果はすべてエリシア嬢の実力です』と。私たちが貴女の指導を直接、隠れて監視しているなどと夢にも思わず、本性をさらけ出して……まるで道化のピエロね。よくも我が家を長年、欺き続けてくれたものね」
「お、奥様……っ、それは、その……!」
「怒りを通り越して、呆れ果てたよ。我がヴァルツァー家が目をかけていた十歳の子供の論文を奪い、己の保身と欲のために我がものとして発表するような卑怯者が、まさか身内から生まれるとはな。グレイス。お前の医師免許を即座に剥奪し、国家憲兵へ引き渡す。生涯、ヴァルツァー家に関わる一切の土地からの追放処分とする。二度と私たちの前に顔を見せるな」
「も、申し訳ございません、侯爵様!! ですが、私はエリシア嬢に『秘密をばらされたくなければ協力しろ』と脅されていたのです! どうか、どうかお許しを……っ!」
「はぁ!? わたくしがいつ脅したっていうのよ! あの論文をわたくしのものとして公表したのは間違いなくグレイス先生です!こんな時に自分だけ逃げようたってそうはいかないわ!」
大広間の中心で、醜く罪を擦り付け合い、怒鳴り散らすエリシアとグレイス。その高貴な夜会にはあまりにも不釣り合いな泥仕合が、社交界の重鎮たちの目にこれ以上ない醜態として晒されていく。
「侯爵様! 私たちは、娘のエリシアとグレイス先生に騙されていた被害者なのです! アリアがこれほどの才女だと知っていれば、我々だって当然、この縁談をアリアで進めておりました! 我々には医学の専門知識などないのです! 論文をどちらが書いたかなど、凡人の我々に判断できるわけがないではありませんか!」
「そうですよ! 我々は貴方方が信頼して派遣されたグレイス先生の証言だからこそ、信じたのですわ! それなのに、ヴァルツァー家から一方的に断絶されるなど、あまりにも理不尽で厳しい処置ではありませんか!」
伯爵夫妻は、自分たちの「無知」を盾にして、必死に侯爵様に食い下がった。確かに、医学の知識がない人間からすれば、家庭教師の言葉を信じるしかなかったという言い訳は一見、筋が通っているようにも思える。
だが──狡猾なレオンハルト様と侯爵家にしてみれば、その往生際の悪い言い訳すらも、あらかじめ織り込み済みの茶番に過ぎなかった。
「では、エリシア嬢」
レオンハルト様が、冷徹な声音で割り込んだ。
「君がそこまで『自分が書いた』と言い張るのなら、その画期的な薬草事業を発案した際の話を聞かせてくれないか?」
突然壇上から話を振られたエリシアは、一瞬怯んだものの、必死に脳内で読んできた論文の記憶を漁り、それらしいエピソードを語り始めた。
「も、もちろんですわ……っ。わたくしは常に、病に苦しむ患者様のことを第一に考え、風邪によく効く特効薬を開発したいと思い、研究に取り組みましたの。……体内に入り込んだ悪い菌に効果的な薬草に目をつけ、その、様々な効能効果を実験して、導き出しましたわ!」
曖昧で、具体性を欠いた薄っぺらな表現。エリシアは必死に論文の文言をなぞっているようだったが、侯爵様が求めている「本質」を、何一つ理解できていない回答内容だった。
「──アリアちゃん。いや、グレインフィール伯爵家が誇る『真の才女』として、今度は君に乞おう」
アルベルト様とセレナ様が、真っ直ぐに私に向けて、慈愛に満ちた温かい視線を投げかけた。
「あの薬草事業を作り出した、本当のきっかけを、私たちに教えてくれないか?」
お二人は、いつもの優しい微笑みで私を見ていた。今まで、私の言葉なんて誰も信じてくれない、誰も聞いてくれないと、暗い独房の中で諦めていた。だが、傍らで私の腰を強く抱き締め、安心させるように背中をトントンと叩いてくれるレオンハルト様の体温に背中を押され、私はついに、涙を浮かべながらも、はっきりとその発見にいたる経緯を口にした。
「私は……」
声を震わせながらも、言葉を紡ぐ。
「私は、侯爵様からいただいた一冊の古書、『稀少薬事と本草綱目』を読み、ある一つの植物に目をつけました。──『ストボー』と呼ばれるその野草は、我が領地の裏山に古くから自生していたもので、私はそれを乾燥させ、お茶として日常的に飲んでいたのです。すると、冬の極寒の時期、エリシアや周囲の使用人たちが次々と酷い風邪を引いて寝込む中、私だけが一度も体調を崩さず、健康なままでした。そこで、もしかしたらこの植物には、人々の免疫系を劇的に助け、病の症状を初期段階で抑え込む未知の効果があるのではないかと仮説を立てたのです」
大広間が、静まり返る。私の拙い、けれど確かな熱を帯びた言葉に、誰もが息を呑んで聞き入っていた。
「風邪などの異物が侵入すると、人間の身体は元々、体温を上げて体内の細菌を死滅させる機能が備わっています。ですが、免疫力の低い子供や高齢者、元々の体質が弱い方々は、その回復までに長い時間がかかり、命を落とすこともあります。しかし、ストボーの成分は細菌と接触した瞬間、局所的に熱を発して菌の増殖を即座に食い止めるのです。我が領地では長らく原因不明の伝染病の後遺症で、免疫系統の弱い方々が多く暮らしていましたから、その効果を実証する環境としては、大変不謹慎ながら好都合ではありました。一部の南の集落の方々は、私の拙い研究に非常に協力的に応じてくださり……実験の結果、ストボーを服用した患者様の熱は明らかに引きが早く、かつ、懸念される副作用などの危険な症状が出ないことが完全に証明されたのです。私は、これをなるべく自然体のままで、安価に皆様の元へお届けできるように、独自の栽培方法を──」
「良く分かった。ありがとう、アリアちゃん」
私の説明を優しく遮り、アルベルト様はこれ以上ないほど不敵で、勝利を確信した笑みを浮かべた。
対照的に、私の両親とエリシアは、まるでこの世の終わりを見たかのような、絶望的な顔で立ち尽くしている。
「どうだろうか、ロベルト、マルティナ夫人。今の彼女の話を聞くのに、専門的な医学の知識など必要あっただろうか? どちらが本物で、どちらがその論文を書いたのかなど……こうして、たった一つ『きっかけ』を質問するだけで、誰の目にも瞬時に判断ができる。──そうは思わないか?」
「あ……あ、あ……」
父も、母も、もはや一言の弁明の言葉すら紡げなかった。
付け焼き刃の嘘を並べたエリシアと、現地の患者たちと泥にまみれ、自らの実体験として知識を血肉にしていた私。
その決定的な「差」を見せつけられ、両親は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、二度と立ち上がることはできなかった──。




