偽りの才女の終焉
「──まぁ、では、我が家主催のお茶会でお客様と口論になり、あろうことか食べ物をぶつけ、お茶をひっかけた粗野な女は……アリア嬢ではなく、エリシア嬢だったのね」
「社交界を裏でかき乱し、男を侍らせて休憩室に連れ込んでいたのは、あの腹黒い妹の方だったのか」
「私の婚約者に、夜会の度に卑しく色目を使っていたのも……すべて、あの女だったの?」
大広間のあちこちから、氷のように冷ややかな蔑みの声がエリシアに浴びせられる。今や形勢は完全に逆転し、会場の全ての貴族たちがエリシアを「稀代の悪女」として白眼視していた。
「エ、エリシア……お前、私に黙って裏で何という不貞を……っ」
ロベルト伯爵は、今まで知る由もなかった実の娘の醜聞の数々に、顔を屈辱と驚愕で歪めた。
「この……愚か者がっ!!」
激しい破裂音とともに、父の手がエリシアの頬を裂いた。
「キャァッ!」
悲鳴を上げて床に無様に崩れ落ちるエリシア。
「ヴァルツァー小侯爵様という至高の婚約者がありながら、他の男どもにその身を安安と差し出すなど……! 我がグレインフィール家にそんな下劣な娘を育てた覚えはないぞ! 何だってそんな致命的な愚行を犯したんだ!!」
「そんな……っ、わたくしは、ほんの少し男たちを転がして遊んでいただけですわ! 決して、皆様と一線を超えるような身体の関係などありませんもの……っ!」
「結婚もしていない男女が密室で二人きりになった、その事実自体が致命的な不貞なのよ!」
今度はマルティナ夫人が、我が身の保身のために実の娘を怒鳴りつけた。
「このような下らぬ醜聞を広められたから、貴方は破談にされたのよ! 自分がどれほど一族に泥を塗ったのか、まだ分からないの!?」
つい数分前まで「我が家の誇る才女」と持ち上げていた両親が、形勢が悪くなった途端、エリシア一人をすべての悪者のように扱い、生贄として差し出そうとしている。その醜悪な身内の擦り付け合いに、エリシアは床に這いつくばったまま、恐怖でガタガタと震え上がっていた。
そんな哀れな三人の茶番を、レオンハルト様は冷ややかな、酷く退屈そうな目で見下ろしていた。
「伯爵夫人。貴方は何か致命的な勘違いをされているようですね。私はそのような社交界の醜聞の有無に限らず──最初から、エリシア嬢などという無能と結婚する気など、爪の先ほどもありませんでしたよ」
「えっ……!?」
夫人が息を呑む。しかし、ここで引き下がれば一族は文字通り路頭に迷うのだ。夫人は狂ったように藁をも掴む思いで、最後の切り札を叫んだ。
「で、ですが、小侯爵様……っ! ヴァルツァー侯爵家は代々、医療の発展に携わる偉大なる家系。その資質を求めて、貴方は未来の妻の選定に悩んでいらしたはずですわ! お言葉ですが、グレインフィール家の『才女』として医学の頭角を現し、あの画期的な論文を書いたのは間違いなくエリシアです! あの論文をアリアが盗み、我が家の名誉を不当に告発したのだと証言したのは──他ならぬ、侯爵家から我が家に派遣されていた高貴な家庭教師、グレイス先生なのですから! エリシアの類稀なる才能は、彼女がこの場で完全に証明してくださいますわ!!」
夫人が勝ち誇ったように腕を伸ばした先。
会場のすべての視線が、来賓席の隅で魂が抜けたように座り込んでいた一人の女性──家庭教師グレイスへと一斉に向けられた。
「グレイス先生、そうですね!? 貴女が、はっきりと皆様に真実を伝えて頂戴!」
「──っ!!」
名前を呼ばれた瞬間、グレイスの顔面から全ての血の気が引き、土気色へと変わった。
「グレイス、間違いないな……。お前が二度も、私と妻に直接証言したのだ。あの論文はエリシアの成果だと」
ロベルト伯爵もまた、最後の希望を託すようにグレイスを強い目で睨みつけた。
「わ、私は……っ、それは……あ、あの……」
グレイスは唇をガタガタと震わせ、視線を泳がせるだけで、一言も言葉を発することができない。そのあまりの動揺ぶりに、伯爵夫妻の顔に焦りが浮かぶ。
「何故、黙っているのですか! 貴方が一番よく知っているはずでしょう! エリシアが涙ながらに貴方に訴えたのではないですか! 自分の論文をアリアに盗まれ、アリアの名で侯爵家に勝手に送られたと……!」
「先生、貴方が私たちに言ったのよ! エリシア様こそが本物の才女であると、この緻密な筆跡も、論文の先進的な組み立て方も、間違いなくエリシア様のものだと確信していると……! まさか、今更私たちを裏切るつもりなの!?」
伯爵夫妻の怒号のような追及が響く。
だが、小心者のグレイスは完全に恐怖で縮こまり、ただ涙を浮かべて声を詰まらせるだけだった。
なぜなら、彼女の正面──壇上の上で、当代一の権力者であるアルベルト侯爵が、すべてを見透かした絶対的な威厳を以て、彼女を冷酷に見下ろしていたからだ。
「グレイス。……我がヴァルツァー家の名を背負う教育者でありながら、はっきりと答えなさい」
地を這うようなアルベルト様の重厚な声が、彼女の残った理性を完全に粉砕した。
「ここで私に対し、再び『偽りの証言』を吐くことも、このまま黙秘して罪を逃れることも、絶対に許さない。すべてを白日の下に晒す必要がある。……早く答えなさい。あの論文を書いたのは、一体誰だ?」
「こ、侯爵様……ッ、う、あぁ……っ!」
グレイスは恐怖のあまり過呼吸になり、全身を激しく震わせながら涙をボロボロと零した。
彼女は自分の保身が何よりも最優先な、極めて小心な人間だ。ここで伯爵家に義理立てして偽証罪に問われ、ヴァルツァー侯爵家を敵に回せば、自分の首が物理的に飛ぶことなど、火を見るより明らかだった。
限界を迎えたグレイスは、ついに床に膝をつき、泣き叫びながら元雇い主を盛大に裏切った。
「申し訳ございません、侯爵様!! すべて、すべて嘘でございます!! 私は、グレインフィール伯爵夫妻に大金を積まれ、逆らえば教育界から追放すると脅されていたのです……っ! あの画期的な医療論文を書いたのは、エリシア嬢ではございません! エリシア嬢は、医学の基礎すら一文字も理解できない哀れな無能です!!」
「な──何だと……ッ!?」
伯爵が絶叫する。
「あの驚異的な論文を、夜も寝ずに、たった一人で書き上げた本物の天才は──アリア様です!! 私は、伯爵夫妻に命じられるまま、アリア様の部屋からその論文の束を盗み出し、エリシア嬢の名前に書き換えさせて侯爵家に提出いたしました……っ! 私が二度もついた嘘は、すべて伯爵家に強要されたものでございます! どうか、どうか私をお許しください……っ!!」
大広間に、グレイスの懺悔と、伯爵家のすべての『嘘』が完全に崩壊する音が響き渡った。
逃げ場など、最初からどこにもなかったのだ。
あまりにも完璧に、あまりにも残酷に暴かれた実家の悪事の全貌。
私は、隣に立つレオンハルト様を見た。彼は、実家が完全に破滅したその光景を眺めながら、私の腰を抱く手にさらに愛おしそうな力を込め──「これで、全部君のものだ」と、底知れない、極上の美しい微笑みを私に投げかけるのだった──。




