逃亡計画の崩壊、純白の包囲網
そして迎えた、レオンハルト様の二十歳の誕生祭当日。
ヴァルツァー侯爵家の広大な屋敷には、早朝から国中の王公貴族や重鎮たちの馬車が次々と押し寄せ、主役のレオンハルト様はもちろん、使用人たちも慌ただしい対応に追われていた。
私はそんな喧騒の裏で、東部へ持っていくための全ての荷物を大きめのバッグに詰め込み、それをクローゼットの奥深くへと隠した。
(よし……みんながパーティーに夢中になっている隙に、このバッグを持って裏口から、手配したあの馬車に飛び乗れば完璧よ……!)
静かに闘志を燃やしていた私だったが、そこへ、全く予期していなかった最大の誤算(事態)がやってきた。
トントン、と部屋の扉が叩かれ、溢れんばかりの侍女たちが雪崩れ込んできたのだ。
「アリア様、本日のお支度をお手伝いさせていただきます……!」
「えっ……!? あ、あの、結構です! 自分のことは自分でできますので……っ」
「いいえ! 小侯爵様から『アリアを世界で一番美しく磨き上げろ』と、直々に厳命されておりますので!」
問答無用で取り押さえられ、私は冷や汗をかいた。
これまでは日陰の存在として侍女の立ち入りを断り、当日も目立たない服で自分で準備して逃げるつもりだったのだ。それが、一体どうしてこんなことに。
入念な湯浴みを施され、最高級のローズオイルで全身をマッサージされ、肌を極上にとろけるように磨き上げられていく。
(どうしよう……。マッサージが終わっても、私には夜会に出るようなまともなドレスなんてないし、身につける宝石だってないわ。一体どうやって誤魔化せば……っ)
心臓がバックンバックンと破裂しそうな音を立てていた、その時だった。
侍女たちがうやうやしく恭礼し、部屋に運び込んできた「ドレス」を見た瞬間、私は言葉を失った。
「あ、あの……これは……?」
そこに遮られていたのは、最高級のシルクと繊細なレースをふんだんに使い、眩いばかりの純白に仕立てられた──どう見ても、夜会用ではなく『ウエディングドレス』そのものだった。
(ま、まるで花嫁衣装……。いやいや、そんなまさか……!? いくらなんでも、そんな都合のいい勘違いがあるわけが……。ああ、そうか! エリシアとの婚約発表のサプライズ演出のために、双子の私に『エリシアの身代わり(ダミー)』として同じドレスを着せて、会場を驚かせる役目をやらせるんだわ!)
ドレスのサイズが私の身体にミリ単位で寸分の狂いもなく吸い付くようにぴったりなのも、双子だから当然だと自分を納得させる。ここで「着ない」と拒絶してしまえば、ドレスを持っていないことがバレて実家に送り返されてしまう。私は気が気ではないまま、まな板の上の鯉状態で着替えさせられた。
さらに、鏡の前に座らされた私の胸元や髪に、次々とあてがわれていく指輪、イヤリング、ダイヤモンドのネックレス。
(……あ。これ、昨日、宝石店でレオンハルト様が『これと、これと、これ』って買い占めていた一連のセット……!?)
目の前で起こっている衝撃の事実に脳の処理が追いつかない。あれよあれよという間に髪を美しくアップにセットされ、国中のどの貴族令嬢よりも完璧で、神々しいほどの花嫁姿が完成してしまった。
磨き上げられた素晴らしい完成度に不覚にも感動してしまうが、私の心中はそれ以上に複雑で、大パニックだった。
(こ、これ……コルセットの紐が後ろで複雑に編み込まれてて、自分一人じゃ絶対に脱げないよね……!? ど、どうしよう……まさか、このドレスを着たまま大荷物を持って、夜逃げ用の定期馬車に飛び乗るわけにはいかないのに……っ!!)
計画が根本から大崩壊し、ガタガタと震えていると、部屋の扉が静かに開いた。
コンコン。
「ど、どうぞ……」
私が恐る恐る扉の方を見ると、そこには──私のドレスと対になるような、純白の、息を呑むほど高貴なタキシードに身を包んだレオンハルト様が立っていた。
「失礼します、アリア」
ゆっくりと私に歩み寄り、真っ直ぐにこちらを見据える琥珀色の瞳。
その精悍な佇まい。ただでさえこの世の者とは思えない美貌が、さらに美に磨きをかけ、世界中の美をすべて味方につけたかのように麗しいレオンハルト様が、私の手を取った。
そして、その白い手の甲に、深く、熱い口づけを落とす。
「──アリア。本当に、綺麗だ。世界で一番、僕の隣に相応しい」
「あ、ありがとうございます……っ? 小侯爵様も、その、大変お綺麗です……」
あまりの眩しさに顔を真っ赤に染め上げる私。けれど、彼が私の腰に手を回し、逃がさないようにぴったりと密着してきたため、私は慌てて距離を取ろうとした。
「あの、小侯爵様……っ、手が近いです……」
私の言葉を、彼はそっと自分の指一本を私の唇にあてがって制し、底知れない、けれど最高に甘やかな笑みを浮かべた。
「レオン、です。……どうか、今日という特別な日くらいは、僕をその名前で呼んでくれませんか?」
目の前の凄まじい美貌と執着のオーラに圧され、私は消え入りそうな声で、けれど必死に彼に訴えかけた。
「……素敵なドレスを、ダイヤモンドを、ありがとうございます……レ、レオン様。しかしながら、あの、この状況は一体……なぜ私がこの格好を……?」
続けて、自分が『エリシアの身代わりのダミー人形』として何をすればいいのか状況を確認したい私を──彼は完全に置き去りにした。
捕らえた小鳥を二度と放さないと言わんばかりに、私の手をがっちりと恋人繋ぎで握り締め、そのまま部屋の外へと連れ出したのだ。
「いけない。主役が遅れては、ご来賓の方々を待たせてしまいます。さあ、僕たちの運命の会場へ、急ぎましょうか」
「えっ、ちょっと、レオン様……っ!? お話を聞いてください……!」
クローゼットに隠した夜逃げバッグのことなど一ミリも気にしていないレオンハルト様に引かれ、私はウエディングドレスの裾を翻しながら、大歓声の響くパーティー会場へと、文字通り「引きずり出されて」いくのだった──。




