狂気のティータイムと、無自覚な医療無双
「本当に大丈夫ですか? 僕に遠慮することはないんですよ?」
少し、いや、もの凄く残念そうな顔をして、なおも僕の部屋での濃密な治療(過保護な愛の処方)を提案してくるレオンハルト様。その後ろでは、鋭い視線を光らせるセレナ様と、鬼の形相でこちらを呪い殺そうとしているエリシアが立っている。私は背中にじっとりと冷や汗を流しながら、頭皮の痛みを気合いでねじ伏せるしかなかった。
「いえ、そこまで酷くはありませんから……。自然に治りますので、お気になさらないでください」
そうして、私はレオンハルト様に引き攣り気味の笑顔を作って返した。僕の部屋への連行を免れたことに安堵していると、セレナ様が優雅に手を叩き、ここを訪ねてきた本題を口にした。
「アリア嬢が大丈夫というのなら、みんなでお茶にしましょう。この屋敷に来てから、勉強ばかりで大変だったでしょう? 本日の実習は急遽お休みにして、ゆっくりと4人で語りたいわ」
その言葉に、誰よりも瞳を輝かせたのはエリシアだった。
「はいっ、お義母様! 喜んでお供いたしますわ!」
エリシアは先ほど「嘘つき」として理詰めで糾弾されたばかりだというのに、もう脅威のメンタルで気持ちの切り替えを完了させていた。その顔には、「お茶会なら私の勝ちね」と言わんばかりに鼻を高々とそびやかし、私を勝ち誇った目で見つめてくる。いかにも社交界での立ち回りが自慢の彼女らしい、浅はかで清々しいほどの態度だ。
私はズキズキと痛む頭皮を隠しながら、そんな妹の後に続き、茶会の会場である侯爵家の広大な温室(ガラス張りの巨大植物園)へと足を運んだ。
――だが、ここでエリシアの想像を遥かに超える、ヴァルツァー侯爵家による「第二の洗礼」が始まった。
豪奢な白磁の円卓を囲み、最高級のダージリンが注がれる。エリシアが自慢の社交トーク(王都のドレスの流行など)を繰り広げようと、得意げに口を開きかけた――まさにその瞬間だった。
「ところでお母様。最近、王都の流行病に対して広く流通し始めている『アセトアミノフェン系解熱剤』の新型調合法ですが……。どうやら過剰摂取による肝機能への重篤な毒性(急性肝不全)が、一部の医療現場で問題視されているそうですね」
レオンハルト様が、極めて優雅にスコーンにクロテッドクリームを塗りながら、お茶会には到底不釣り合いな「ガチの臨床医学トピック」を笑顔で放り込んだ。セレナ様もまた、上品に紅茶を嗜みながら、それに美しく微笑み返す。
「ええ、私も先週の論文を読んだわ。あの解熱剤は、基礎疾患のない若い患者には劇的な効果を示すけれど、代謝経路を考慮すると確かに人によっては猛毒になり得るわね。使用時の用法用量には、極めて慎重な注意が必要だわ」
さすがは王国の医療を裏で牛耳るヴァルツァー侯爵家。
お茶会の話題が、最初から最後まで一般人には理解不能な「超専門的な医療トーク」のみに集約され、エリシアの出る幕などミリ単位も残されていなかったのだ。
先ほどまでドヤ顔をしていたエリシアは、一瞬きょとんとした顔をしてから、完全に置いてけぼりにされて曖昧な引きつった笑みを浮かべた。
「ええと……、すごく、難しいお話をしておられるのですね……?」
当然、話題に入ることすらできない。社交自慢の妹も、ドレスや香油、観劇の話ならともかく、肝機能だの代謝経路だのと言われては、間に割って入る隙など微塵もない。
私は隣で、完全に気配を消して温室のマネキンに徹していようかと思った。――けれど、これが「花嫁修業」の一環であるならば、ここでグレインフィール伯爵家の令嬢として何も発言しないわけにはいかない。少しでも我が家の教育水準(といっても私しか勉強していないけれど)を証明し、実家の名誉を守らなくては。
私はそっと、静かに、けれど迷いのない明瞭な声で、親子の異次元トークに言葉を添えた。
「――お話の途中、大変失礼いたします。確かその解熱剤は、過剰摂取によって体内の抗酸化物質である『グルタチオン』が枯渇し、有害な代謝産物が肝細胞を直接破壊してしまうのですよね。特に、体格の小さいお子様や、栄養状態の悪い方、あるいは潜在的な肝疾患のある方は注意が必要だと伺いました。まだ小児への安全な用法用量が確立されていないのも、臨床においては非常に難しい点です。お二人は、傘下の診療所の医師たちに、今後どのようなガイドラインを出されるご予定なのですか?」
流暢に、かつ極めて正確な医学用語で紡がれた私の言葉に、レオンハルト様とセレナ様のお二人同時に、ピタリとお茶を飲む動きを止めた。
(……し、しまった。何か、専門的な知識で間違ったことを言ってしまったかしら……っ!? 最高教授陣の前で知ったかぶりをしてしまったかも……!)
そして、二人は驚愕に目を見開いたまま、恐ろしいほどの熱量を孕んだ目で私をじっと凝視してきた。
「まぁ……! アリア嬢、貴女、あの最新の医療論文にまで目を通されていたのね。しかも機序まで完璧に把握しているなんて……。素晴らしいわ!」
(良かった……! 反応は悪くないみたい。怒られなくて本当に良かった……)
私が内心で安堵の冷汗を流していると、自分の自慢のフィールド(お茶会)を完全に姉に奪われ、さらに圧倒的な知性の差を見せつけられたエリシアが、顔を般若のように真っ赤にして、必死に話を逸らそうとキンキン声で割り込んできた。
「レ、レオンハルト様! こちらのレモンタルト、王都で今すっごく評判なんですのよ!? さぁ、あーんして差し上げますわ!」
「お、お義母様! 最近流行りの、東方から伝わった最高級の香油についてはご存知でして!? 髪が見違えるほど艶やかになりますの!」
必死に医療以外の話題に話を逸らそうと、なりふり構わず声を張り上げるエリシア。
しかし、一度「本物の知性と気品を兼ね備えた才女」の輝きを目撃してしまった侯爵親子の関心を、エリシアの安っぽい世間話が惹きつけることなど、もう二度とできなかった。
「ありがとう、エリシア嬢。タルトは自分で食べられるから置いておいてくれ。……それよりアリア、君の言う通りだ。まさにそのガイドラインの策定について、お母様と議論していたところでね。君の意見もぜひ聞かせてほしい」
二人の温かい、そして「こいつは本物だ」という確信に満ちた瞳は、哀れな妹を完全にスルー(背景扱い)して、真っ直ぐに私だけを見つめていた。
背後で、エリシアの「ぎぎぎ……っ」という奥歯を噛み締める呪詛のような音が温室に響く。
妹を助けるつもりで発言したはずが、結果として妹の無知をさらに引き立て、そのプライドを完全に消し炭にしてしまったことに気づいた私は、別の意味で胃がキリキリと痛み出すのを覚えるのだった。




