珍獣の召喚と、冷徹なるファクトチェック
僕は、アリアが僕との縁談を断った「衝撃の真相」をようやく理解した。
彼女はあの夜の約束を、僕が呆れるほど誠実に守ろうとしてくれていたのだ。ただ、出会い方が衝撃的すぎたのと、僕が自分の名前を名乗っていなかったせいで、肝心の婚約相手が目の前の男(僕)だと気づいていなかっただけ。……いや、こんな不条理なすれ違いの喜劇があるだろうか。
今思えば、彼女は一度も僕を名前で呼んでいなかった。僕だって、夜会の庭園で出会った彼女のあまりの愛らしさに緊張していたし、実習での完璧な医療トークに浮かれていた。まさか僕の素性を知らなかったなんて、どこまでも都合の良い勘違い(大ポカ)をかましていたのだ。
よし、これは僕のミスだ。失われた絆と信頼を取り戻すためにも、まずはこの広大な邸宅の案内にかこつけて、彼女と距離を縮めることにしよう。
「あ、あの……小侯爵様。その、この屋敷に来たご挨拶をしたいのですが……」
「分かりました。両親が戻り次第、執務室に行きましょう。僕らは婚約者同士になるのですから、アリアとお呼びしても?」
「はい……もちろんです」
「では、アリア。僕に名誉挽回の機会を頂けませんか? 両親と会う前に、この邸宅を僕直々に案内したいのですが……」
「そ、そんなっ、小侯爵様にこれ以上お手を煩わせるわけには……」
「!? ―― あ、あの……手が」
逃がさないとばかりに僕がその小さな手を包み込み、真っ直ぐに見つめると、相変わらずこの手の熱烈なアプローチに免疫のない彼女は、リンゴのように真っ赤になった顔を背けて、蚊の泣くような声で条件を出してきた。
「い、妹も……一緒であれば……っ」
その内容は僕にとって極めて不服と言わざるを得なかったが、まあ、エリシアも一応「婚約者候補(仮)」という大義名分でここに来ている。アリアも、僕と二人きりになるよりは、あの性悪でも身内がいた方が緊張が和らぐのかも知れない。
「……仕方ありませんね。貴女の頼みとあらば、そう致しましょう」
こうして、僕は二人を伴ってヴァルツァー邸を回ることになった。
――だが、先に言っておく。ここで妹を召喚したことは、アリアにとって何の救いにも、ブレーキにもならなかった。それどころか、彼女の胃壁を破壊するだけの自爆特攻となったのだ。
「わぁぁ、大きいお屋敷ー!! お庭も広いし、見てレオンハルト様、噴水まであるのね!」
「ねえねえ、あちらはバラ園かしら!? 私、バラってだーい好きなんですの!」
温室を出た瞬間、エリシア嬢はキラキラと(知性の感じられない)目を輝かせ、落ち着きなくあちこちを指差して騒ぎ始めた。あろうことか僕の袖をぐいぐいと引っ張り、遠慮なくその身体を寄せてくる。
淑女の品格? 歩行の作法? そんなものは彼女の辞書には存在しないらしい。
高位貴族の邸宅を観光名所か何かと勘違いしているその挙動に、僕は内心で冷徹に彼女の精神年齢と認知機能を「診断」していた。
(なるほど、刺激に対する自制心が著しく欠如している。周囲の状況(TPO)を把握する能力も壊滅的だ。これが『社交界の至宝』とは、グレインフィール伯爵家の誇大広告にも程があるな)
僕は貴族の鉄面皮を崩さないまま、何のためらいもなく、張り付いてくるエリシアの腕を物理的に、かつスマートに引き剥がした。
「申し訳ありません。少々距離が近すぎます、離れていただけますか」
だが、僕の氷点下の塩対応など気にも留めないエリシア嬢の暴走ぶりに、隣を歩くアリアは完全に顔面蒼白となり、今にもショックで卒倒しそうなほど震えていた。
「しょ、小侯爵様……っ、本当に、本当に申し訳ありません……っ! こんなはずでは……っ。い、妹もきっと、慣れない環境に戸惑って、興奮しているのだと思います……っ!」
「ふふ、気にすることはありませんよ、アリア」
(何故なら彼女は貴方の『おまけ』であって、我が家の中ではただの背景、あるいは移動する有機物程度の扱いだから。すでに僕の婚約者レースからは書類選考の段階で除外されている。どれだけ騒ごうが僕の心は微動だにしないよ)
しかし、何事にも限度というものがある。
「ねえねえレオンハルト様! 廊下もすっごく長いのね! 迷子になりそう!」
「天井、高くなーい? ここで身内の舞踏会とかやったら絶対楽しいわよ!」
きゃっきゃと大声を上げ、大理石の廊下を跳ねるように進むエリシア嬢。
その下品な歩行グラつき具合に、アリアの目は完全に恐怖に染まっていた。彼女自身が幼少期からどれほど厳格な淑女教育を叩き込まれてきた本物の才女であるかが、この妹の異常性によって、奇しくもより鮮明に浮き彫りになっていく。
(アリア、君がこんな珍獣を僕の妻に推薦するのは、いくらなんでも無理があると思わないかい?)
隣のアリアの胃に穴が空く前に、少し釘を刺しておこう。僕は歩みを止め、完璧な微笑みを湛えたまま、エリシアに視線を落とした。
「……随分と元気ですね。エリシア嬢は、侯爵邸への花嫁修業ではなく、我が領地へピクニックにでも来られたみたいだ」
最大級の皮肉。高位貴族の間では「身の程を知れ」と同義の言葉だ。
並の令嬢なら恥ずかしさで顔を赤らめて引き下がる場面だが――やはり、彼女は僕の想像の斜め上を爆走していた。
「えー? だって、本当に楽しいんですもの!」
(……ダメだ、この個体、言語的暗喩が一切通用しない……ッ!)
「エリシアッ! あ、本当に……もうやめて……っ!!」
通じない妹の代わりに、アリアがその無礼の重圧をすべて受け止め、顔を真っ青にして過呼吸気味に言葉を詰まらせている。彼女のまともな貴族としての理性が、妹の醜態によって限界を迎えていた。
(マズい、このままではアリアの精神が崩壊する)
これ以上案内を続けたら、妹の奇行によるストレスでアリアが物理的に倒れてしまうと確信した僕は、邸内ツアーを秒速で切り上げる決意をした。
「……よし、少し歩いて喉が渇きましたね。案内はここまでにして、あそこの東屋で休憩がてら、美味しいお茶でも飲みましょう」
ハキハキとそう告げながら、僕はアリアの胃薬(即効性のもの)を手配するために、背後の使用人へ冷徹な目配せを送るのだった。




