深緑の箱庭、絶対防衛包囲網の完成
アリアの拒絶の言葉は、最後まで今にも消え入りそうなほど儚く、悲痛な響きを帯びていた。
その声を鼓膜に受けながら、僕は冷徹に彼女を観察する。――やはり、僕を嫌って断っているとはどうしても思えない。あの夜、僕の腕の中で確かに僕を求め、恥じらいながらも薬草の未来を共に語ってくれた彼女が、好きでもない相手との婚姻を避けるためとはいえ、これほど自らを切り刻むような悲しそうな顔をするはずがないのだ。
(クソッ……僕が彼女とゆっくりと話し合う機会を持てないまま、この場に及んだのは致命的な間違いだった……)
脳天を殴られたようなショックを受け、胸の奥でどす黒い独占欲が暴れ狂いそうになるのを、僕は超人的な理性で抑え込む。ここで僕が感情を爆発させれば、彼女を怯えさせ、伯爵夫妻に警戒されるだけだ。
僕の天才と称される頭脳は、即座にギチギチと音を立てて回転を始め、事態を打開すべく猛スピードで最適解を弾き出し始める。当然、このまま引き下がるつもりも、あのエリシアなどという珍獣を我が家に迎え入れるつもりも、毛頭ない。
僕の視線の引きつりに気づいた父は、さすが長年修羅場を潜り抜けてきた当主というべきか、僕の目の奥にある「執着と決意」の炎を正確に読み取り、早々に極上の助け舟を出してくれた。
「なるほど……。アリア嬢の控えめな申し分はよく分かった。では、当事者であるレオンハルト、お前はどう思うかね?」
父の振りに、僕は静かに、けれど逃げ道を完全に塞ぐような重い声を響かせた。彼女に半ば振られた形になろうとも、僕の選択が変わることは万に一つもない。
「私は本日、ほぼ初めてアリア嬢にお会いいたしました。……正直に申し上げますと、今この場で、どちらが我が家の次期夫人に相応しいかを決めるのは、あまりにも早計かと存じます。ですから――お互いの本質と本心を深く知るための、相応の機会をいただけないでしょうか」
(お父様、お母様。このまま一度持ち帰り、彼女と話をさせてください。我が家の圧倒的な権力をここで行使します。僕がもう一度、必ず彼女を説得してみせますから)
僕は両親に向けて、鋭いアイコンタクトで必死のサインを送る。
僕の真意――「アリアを合法的に実家から引き離し、我が家で保護する」という意図を完璧に汲み取った父は、不敵な笑みを浮かべて伯爵夫妻に向き直った。その目はすでに、悪辣な寄生虫を駆除する医師のそれに変わっていた。
「では、こうしてはどうだ。しばらくの間、お二人を我がヴァルツァー侯爵家でお預かりしよう。知っての通り、我が家は医療と福祉、そして領民の健康維持に全力を注いでいる家系だ。口先だけの教養や、取り繕った淑女の強弁だけでは、真の器量は測れない。アークレインや他の家系も見守る中、こちらでの実践的な生活を共にしながら、お二人の本当の人となりを見極めさせてもらう。……エリシア嬢の能力はもちろん、アリア嬢、貴女にも今しばらく我が家の『試練』にお付き合いいただけないだろうか?」
(――素晴らしい。我が父ながら、恐ろしいほどに見事な包囲戦略だ)
僕は内心で快哉を叫んだ。実際の医療や薬草管理の現場に引きずり込めば、嫌でも二人の能力差は白日の下に晒される。実地試験をするまでもないが、エリシアに己の無能さを思い知らせ、自ら婚姻を諦めさせるのにもこれ以上ない策だ。何より、あの家にいたままでは、アリアを蝕む環境の毒を特定することも、彼女の悪評の出所を突き止めることもできない。我が敷地内に二人を囲い込んでしまえば、事実確認など赤子の手をひねるより容易い。
ヴァルツァー家との縁談を何が何でも取り付けたい伯爵夫妻は「願ってもない機会!」とばかりに浅ましく目を輝かせ、婚約に前向きだったはずなのに何故か急に顔を引きつらせるエリシア。そして、アリアもまた、深く深く頭を垂れてこの提案を受け入れるしかなかった。
「つ、謹んでお受けいたします。未熟な身ではございますが、侯爵閣下のご期待に沿えるよう、尽力いたします。どうぞよろしくお願いいたします……」
彼女は幼少期から完璧な淑女のマナーを叩き込まれた本物の才女だ。高位貴族の最高峰であるヴァルツァー侯爵当主直々の提案を、一令嬢の身で断れるはずもない。
少し強引に彼女の逃げ道を塞ぐ形になってしまったが、今回ばかりは僕の過保護ゆえの暴挙を許してほしい。
この場で僕がさらに次期侯爵としての権力を行使し、強引にアリアを僕の婚約者に指名することも、もちろん容易い。だが――それでは彼女の意に反したまま、ただの義務として婚姻を推し進めてしまうことになる。それでは彼女を傷つけてきた、あの傲慢な家族と何も変わらない。
僕は、彼女に心からの同意を得て、本当に幸せに満ちた笑顔で我が家に嫁入りしてほしいのだ。
そのためにも、僕はまず、これほどまでに輝かしい本物の才女である彼女を我が家で正しく評価する場をつくり、そして彼女を貶めてきたエリシア、そしてそれに加担したあの裏切り者の教師・グレイスの悪事をすべて白日の下に晒し、跡形もなく断罪してやる。
アリア、僕の腕の中に無理やり連れ込んだ以上、もう君をあの地獄のような実家には返さない。
この『合同花嫁修業』は、君を縛るすべての呪いを僕が一つ残らず粉砕するための、極めて計画的な第一歩なのだから。
これで、僕の愛するアリアが我が家にやってくるという「絶対防衛包囲網」は、当初の計画通りに完成した。
あとは我が家の敷地内で、誰の目も気にすることなく、ゆっくりと時間をかけて彼女との絆を深めていけばいい。
けれど――。僕の胸の奥には、依然として冷たい霧のような疑問が残り続けていた。
あの夜、確かに僕のプロポーズを恥じらいながらも受け入れてくれた彼女が、どうして今日、これほど悲痛な面持ちで僕との縁談を辞退したがり、妹に譲ろうとしたのか。
我が家という箱庭に彼女を優しく閉じ込めたあと、僕はその涙の理由と矛盾を、彼女を傷つけることなく聞き出すことができるのだろうか。
怯える小鳥を優しく追い詰めるような、狂おしいほどの独占欲を仮面(鉄面皮)の裏に隠し、僕は青ざめるアリアに向けて、どこまでも甘やかで冷徹な、完璧な微笑みを贈った。




