希望の先導者、最愛の影を追って
僕はキースと共に、広い会場の中を彷徨うように歩き回っていた。だが、王都の流行なのか、アリア嬢と同じアッシュブラウンの髪色をした令嬢は思いのほか多く、ひしめき合う人混みのせいで、肝心のアリア嬢を見つけるのは至難の業だった。
「おい、レオン。アリア嬢って、あいつと同じ家で育ったんだろ? 双子の片割れがあんな凄まじい性格じゃ、姉の方がどうなっているか分かったもんじゃないぞ」
「……そうだな」
エリシア嬢の酷すぎる本性を見て、僕の胸の奥にくすぶる不安を、キースがズバリと指摘した。
同じ家、同じ両親、同じ遺伝子を持って生まれてきた双子。その上、彼女は5年近くもの間、貴族社会から隔離され、荒々しい辺境地で平民として生活していたのだ。ノアから「非の打ち所がない礼儀正しい令嬢」と聞いてはいたものの、あのエリシアの姿を見た後では、どうしても脳裏に不穏な雷が落ちたような疑念が過ってしまう。
いくら破格の医学知識を持っていたとしても、人間性があれと同類だったなら……僕は彼女を、魂の半身として尊敬し、愛することができるのだろうか。
期待が大きかった分、底知れない恐怖に足がすくみそうになった、その時だった。
「――レオン! キース! やっと見つけたぞ!」
華やかな雑音を割って、僕を呼ぶ懐かしい声が響いた。
アリア嬢の生存を僕に伝え、実際に現地で彼女の治療を目撃した最大の功労者、親友のノアだ。
振り返ると、ノアは自身の婚約者である令嬢を伴って、こちらへ歩いてくるところだった。ノアは彼女を壊れ物を扱うように大切そうにエスコートしており、いつもとは違う、どこか照れくさそうで幸福に満ちた顔をしている。先日、一緒に仕立てに行ったという彼女の美しいドレスには、ノアの瞳と同じ鮮やかな色彩が取り入れられていて、二人の深い絆が如実に伝わってきた。
そのあまりに眩しく微笑ましい「理想の婚約者」の姿が、さっきのエリシアとの最悪な遭遇を思い出させ、僕の心をますます暗い底へと落とし込んでいく。僕には、あんな幸せな未来は訪れないのではないか、と。
しかし、親友の口から飛び出したのは、僕の落胆をすべて吹き飛ばす、決定的な言葉だった。
「そういえばレオン、お前知っていたか!? 『リア先生』が、今この会場に来ているんだ! もう顔を合わせたか?」
「……え? ああ、いや……来ているのは把握しているが、会うのはこれからだ」
「なんだ、知っていたのか! 初めての正式な貴族の夜会だっていうのに、彼女、相変わらず言葉にできないほどの気品に溢れた、本当に素晴らしい令嬢だったよ。これから挨拶に行くなら、僕が直接案内して紹介するよ!」
嬉しそうに、そして誇らしそうに僕の婚約者候補の魅力を語るノア。
何度も「婚約者」という概念に失望させられてきた僕の胸の奥で、消えかかっていた期待の灯火が、今度こそ激しく燃え上がり始めた。
「……ノア、それは、本当かい……っ!? 本当に、彼女は……」
僕が思わず声を震わせて詰め寄ると、ノアは不思議そうに瞬きをした。
「なんだよ、急にどうしたんだ? 最初から言っただろう、彼女は過酷な戦場であっても、貴族の気品を一切隠せていない本物の淑女だって」
「いや、無理もないさ。レオンはさっき、あの『妹』の強烈な洗礼を受けたばかりなんだよ……」
僕の異常な食いつきを察して、キースが苦笑しながら弁明してくれる。ノアは「あぁ、なるほど」と深く納得したように頷くと、力強く僕の肩を叩いた。
「なるほどね。でも安心しろ、レオン。リア先生はそんな軽薄な妹君とは、文字通り『月とスッポン』、いや、天と地ほどの差がある。お前なら、一目見れば僕の言っている意味が分かるはずだ」
「……そうなのか?頼む、僕を彼女の元へ連れて行ってくれ」
もう、一刻の猶予も惜しかった。僕は半信半疑の不安を抱えつつも、それを遥かに上回る狂おしいほどの渇望に突き動かされていた。ノアは優しく婚約者の令嬢を一度下がらせると、「よし、ついて来い」と、僕たちを会場のさらに奥、喧騒から切り離された静寂の間へと案内し始めた。
ついに会える。僕の、本物の、魂の半身に。
僕はトクン、トクンと暴れる心臓を必死に抑えながら、ノアの背中を追って歩みを進めた。
────→────
ノアに先導され、少し開けた、喧騒から切り離された静かな会場の片隅に差し掛かった、その時。
人混みを割って、僕の視界に鮮烈に飛び込んできたのは――数人の令息令嬢たちに囲まれながら、控えめに、けれど圧倒的に優雅に談笑している、ひとりの少女の姿だった。
美しく、天に向かって真っ直ぐに伸びた背筋の立ち姿。
指先の最細部に至るまで完全に洗練された、丁寧で流れるような所作。
周囲の言葉に真摯に耳を傾け、慈しむように、優しく、控えめに微笑む、その極上の表情。
さきほど見た、あの下品に男の袖を掴んで媚びを売っていたエリシアとは、比べることすらおこがましい。これこそが、正真正銘、天と地ほどの差がある「本物の淑女」だ。
ノアが言っていた彼女の圧倒的な気品が、一瞬にして僕の胸を支配していたすべての不安を塵のように打ち消した。
(……間違いない。彼女が、僕のアリア嬢だ……!)
よく見れば、その美しい手は、他の令嬢たちのような滑らかなだけの手ではない。幾多の命を救い、泥塗れの戦場で必死に医療器具を握り続けてきた者特有の、わずかな「戦う医師の痕跡」が刻まれている。それすらも、僕には世界中のどんな宝石よりも美しく、愛おしく見えた。
彼女は周囲に細やかな気遣いを見せながら、やがて歓談を終えて一息つくように、壁際で大人しく休むために静かに歩き出す。
「……レオン。おい、レオンってば!」
「――あ、ごめん……何だい?」
僕は我を忘れ、生気が抜けたように彼女を凝視したまま、夢中になっていたらしい。
僕のあまりの変わりように、親友二人が「おいおい、見すぎだろ!?」と肩を揺らして笑いながら、呆れたように声をかけてきた。
「よし、リア先生は今ちょうど歓談を終えて、休憩に入ったみたいだな。彼女が一息ついた絶妙なタイミングを見計らって、一緒に行こう」
「ああ……! 頼む……」
隣のノアの言葉に強く頷きながら、僕は深く、深く胸に熱い息を溜め、呼吸を整えた。
口から暴れ出してしまいそうなほど、心臓の音がやけに大きく、ドクドクと不条理なまでの質量を持って体中に響き渡っている。
手のひらにじんわりと汗が滲むのを感じるなんて、僕の人生で初めての経験だった。
――いよいよだ。
僕はついに、僕がずっと、生まれながら待ち焦がれていた、本物の運命の婚約者と出会う。
君が隠され、奪われ、どれほどの地獄を彷徨っていたとしても。
もう、二度と離さない。
完璧な紳士の仮面を被り直しながら、僕は昏い情熱を瞳に宿し、彼女の元へと一歩を踏み出した。




