仮面の亀裂、静かなる不信
真夜中、僕たち家族は、任務から戻ったばかりのグレイスを執務室に呼び出し、探りを入れていた。
重苦しい沈黙が流れる中、お父様が静かに口を開く。
「グレイス……夜分遅くにすまないね。単刀直入に聞くが、グレインフィール伯爵家の双子の様子はどうだ?」
お父様の淡々とした問いに、グレイスはどこか落ち着かない様子で、取り繕うように話し始めた。
「は、はい……エリシア嬢は実に見事なご令嬢でございます。毎度、私の講義を熱心に聴いてくださり、その才気には目を見張るものがあります。……ですが、残念ながら姉のアリア嬢は、お体が非常に弱く、なかなか授業にも参加できない始末でして……私も最近は長くお顔を拝見しておりません。次期侯爵夫人としては、教養の面でも、健康面でも、少々問題ありかと存じます……」
彼女はもともと気が弱い。言葉を選んで僕たちを納得させようとしているが、その声はわずかに震えていた。視線こそ逸らさないものの、自信のなさを隠すように、妙に喉の奥に言葉を溜め、考え込みながら小さな声で紡いでいる。その不自然な「間」が、僕の胸に確かな疑念と不快感を植え付けていった。
そこへ、母が机の上に一冊の古びた冊子を置いた。それは、5年前にグレイスが我が家に提出した研究論文だった。
「貴方のこの論文、改めて読ませてもらったわ。伯爵家で家庭教師をしながら、実に面白い薬学理論を書き上げたわね」
母の言葉に、グレイスの顔から一気に血の気が引いた。
「あ、それは……私も、エリシア様の素晴らしい着眼点に感化されまして……」
「おかしいわね」
母の冷徹な声が、グレイスの言い訳を鋭く遮る。
「感化された、ですって? 臨床医として怪我や病気の処置に当たってきた貴方が、ある日突然、専門外の『薬学』でこれほどの成果を上げるなんてね。……どうやって家庭教師の激務をこなしながら、これほど畑違いの分野に取り組むことになったの? 具体的なアプローチを教えてくれるかしら?」
「そ、それは……私も医者と言っても、研究者の一人ですから……常に意識して、最先端の勉強は続けているのですよ」
言っていることの辻褄は合う。だが、アリア嬢は本当にただの病弱なのだろうか。焦りを隠すように言葉を選び直す彼女の態度には、明らかに「隠し事」の陰が張り付いている。
「お母様、僕にもその論文を見せてください……」
手渡された冊子を捲り、その内容を注視した瞬間、僕の指先がピきりと凍りついた。
新薬の開発、および成分の抽出に関する論文。確かに、これまで調剤の専門教育を受けていない臨床医のグレイスが書くには、あまりにも不自然なほど専門的だ。何より――。
(……この文体、そして多角的な視野から逆算していく思考のプロセス……)
これらは以前、父から見せられた、あの「グレインフィールの才女」の薬草栽培事業に関する公式論文と、あまりにも、あまりにも酷似していた。まるで、同じ人間の脳から出力された生き写しではないか。
(エリシア嬢のものではない。そして、グレイスのものでもない。だとしたら、これを書いたのは――)
僕の疑念は、ここで確信へと変わった。
グレインフィール伯爵家も、この家庭教師グレイスも、アリア嬢という存在を何が何でも僕たちの目から隠したがっている。そこには、僕たちの想像を絶する歪な欺瞞が隠されているはずだ。
僕はあえて微笑みを浮かべ、さらに鎌をかけた。
「それほどお体が弱いのでしたら、僕が直接、アリア嬢の容態を診に伺いましょう。我がヴァルツァーの最新医療を用いれば、彼女の体調も回復させられるはずです。具体的にどのような症状なのですか?」
僕の申し出に、グレイスは途端に狼狽し、早口で手を振った。
「い、いえ……! 小侯爵様のお手を煩わせるほどのことはございません! 元々の根深い持病なものですから、高名な医学をもってしても、どうにもならない不治の類なのです……っ。彼女に無理をさせないよう、今後は私もより一層気配りを取り計らい、遠隔でも勉強を続けさせますから、どうぞご安心ください!」
必死になって僕の訪問を拒絶するグレイス。その哀れなほどの狼狽ぶりを見て、父と母も完全に全てを察したのだろう。
二人は静かに視線を交わし、僕にも「今はこれ以上踏み込むな」と目で合図を送ってきた。ここで力任せにグレイスを問い詰めても、伯爵家と口裏を合わせられ、決定的な証拠を隠滅される恐れがある。まずは彼女を安心させ、泳がせた状態で裏の事実を徹底的に追及する方が賢明だ。
「分かった……。体の弱い令嬢に無理をさせるわけにもいかないからね。引き続き、伯爵家で彼女たちの教育を任せるよ」
父がいつもの温厚な声を出して微笑むと、グレイスはあからさまに安堵の息を漏らした。
「はい、お任せください……。では、失礼いたします」
そうしてグレイスは綺麗な、けれどどこか急いたお辞儀をし、逃げるように執務室を去っていった。
パタン、と重厚な扉が閉まった瞬間、室内の空気は一変した。
僕たち家族の瞳には、一切の笑みが消え失せていた。
「レオン、お前が気づいたことは?」
お父様の低い問いに、僕は論文を机に置き、冷徹に言い放った。
「グレイスの論文と、グレインフィールの事業論文……執筆者は同一人物です。そして、その本物の才女は今、国境の辺境で平民の治療に当たっている。……お父様、お母様、僕に時間をください。必ず、全ての化けの皮を剥ぎ取ってみせます」
「ええ、徹底的に調べなさい。ヴァルツァーの名にかけて、我が家を愚弄した罪は重いわよ」
母の言葉に頷きながら、僕の胸には、未だ見ぬアリア嬢への狂おしいほどの興味と、彼女を縛り付ける嘘の鎖を全て叩き壊してやりたいという、激しい執着が渦巻いていた。




