虚飾の調教、凍てつく檻のプリマドンナ
高熱から回復した私の独房に、案の定、ハイエナのような招かざる客が訪れた。
「お久しぶりですわ、お姉様」
鉄格子の向こうから現れたのは、美しく着飾った妹のエリシアと、あの忌まわしい家庭教師のグレイスだった。二人の手には、私が診療所で命を削って書き上げていた、あの未完成の論文が握られていた。
「ねぇ、これの続きを早く書き上げてくださらない? わたくしの、完璧な縁談のために……」
「……」
私はベッドに腰掛けたまま、二人の存在を完全に無視した。
これまでに父から散々殴られ、蹴られたのだ。今さらこの二人に何をされようが、私の心は1ミリも動かない。無視されたことに激昂したエリシアが、私の髪を乱暴に引っ張り、耳元で脅しの言葉を吐き散らす。見ない間に、その美しい顔はすっかり醜い悪意に染まりきっていた。
「ねぇ、書いてって言っているのが聞こえないの!? またお父様に、死ぬ直前まで躾けてもらいたいの!?」
床に倒れ伏したまま、掠れた声で、だが明確に拒絶を告げる。
その瞬間、私の頭上から見下ろしていたエリシアの顔が、見る見るうちに屈辱と怒りで醜く強張っていった。
直後、逆上したエリシアによって散々顔を叩かれ、グレイスの手で無理やり腕を強く掴まれて床に押しつけられる。薄暗い独房の床に擦れた肌から、じわりと新しい内出血が広がっていく。けれど、幼少期から父に振るわれた理不尽な暴力に比べれば、こんなもの蚊に刺されたようなものだった。痛みに涙を流すことすら、今の私にはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
それどころか、私はズキズキと痛む頬のまま、二人を心底見下すように、くすくすと喉を鳴らしてあざ笑っていた。
「……ッ、何がおかしいのよ、この泥棒狐……!」
「ふふ、だって……おかしいでしょう? 命を救うはずの医者という高潔な存在が、自分たちの欲と名誉のために、こうして目の前で怪我人を作り出しているのですもの。これほど滑稽な笑い話が、他にあるかしら?」
私の冷ややかな嘲笑を浴びて、エリシアとグレイス先生が揃って息を呑むのが分かった。
いくら最高位の医師の家系に嫁ごうと、いくらその取り巻きとしてお零れに預かろうと、この者たちの本質はただの浅ましい略奪者だ。本物の医療の尊さなど塵ほども理解していない。
どれだけ私を叩き、罵り、その肉体を傷つけようとも、私の頭脳(知恵)とプライドだけは、この泥塗れの檻の中にいる誰にも奪えはしない。腫れ上がった唇の端を歪め、私は怯える二人に向かって、さらに深く、愉悦に満ちた冷笑を向け続けた。
「……これ以上、この狂人に言葉を尽くしても無駄なようですね」
グレイスが冷ややかに、諦めたように告げた。するとエリシアは、手元に残された私の未完成の論文を見つめ、邪悪な笑みを浮かべた。
「あ、そうですわ! これを『書きかけの最新論文』ということで、このままレオンハルト様に見せたらどうかしら?」
「なるほど……! 素晴らしい名案です、エリシア嬢。研究というものは、途中で高い壁にぶつかって挫折することもあります。未完の天才論文として侯爵家に提示すれば、あなたの計り知れない知的苦悩として、かえって高く評価されるでしょう」
元より、この無能な二人には論文の続きなど一行たりとも書けないのだ。自分たちの無知を隠すための都合のいい言い訳を見つけ、二人は満足げに頷き合った。
「ふん、用済みね。こんな汚くて気味の悪いところ、二度と来るんじゃなかったわ!」
吐き捨てて去っていく足音を、私はただ冷ややかに見送った。
――こうして、王城での夜会に向けた「着せ替え人形」の調教が始まった。
私は独房の中で、村で培った医学の知識を総動員し、自分の身体の傷を密かに、そして急速に治療していった。
夜会が近づくと、エリシアのついでとして、私にもドレスが新調される。
鏡の前に並ばされた双子は、あまりにも対照的だった。過酷な独房生活と高熱でやせ細り、青白い私に対して、貴族の淑女として贅沢に、大切に育てられたエリシアは抜群のプロポーションを誇っている。一目でどちらが「愛されているか」が分かる残酷な対比だった。
だが、対外的なマナーやダンスの講義の時だけは、私はあの暗い独房から出ることが許された。
5年間、平民として過ごしていたブランクを埋めるため、凄まじい密度のスパルタ教育が施される。だが、私の脳はかつてアリアとして身につけた完璧な品格と格式を、恐ろしいほどの速度で「再現」していった。付け焼き刃ではない、本物の血統が持つ教養が、私の身体に吸い付くように戻っていく。
侯爵家との対面に向け、伯爵家の不審を完全に払拭するため、私は外見だけを徹底的に磨き上げられた。
髪は高級なオイルで艶やかに梳かされ、肌は泥パックで一点の曇りもない白磁へと整えられ、指先まで完璧な淑女の所作が叩き込まれる。
だが、これは私を人間として扱うためではない。すべては侯爵家の不信を買い、私を「無能な引き立て役」として使い潰した後、どこかの貴族へ高く売り払うための、浅ましい愚策に過ぎなかった。
「はぁ……」
鏡の中に映る、息を呑むほど美しく仕上がっていく自分の姿を見つめながら、私は絶望に満ちたため息を漏らした。
どれほど美しく着飾られようとも、私の心は、この地下の独房の温度と共に、どこまでも冷たく、冷たく、凍りついていく。
温かい村の診療所、私を「聖女」と呼んでくれた優しい人々、共に戦った騎士たち――あの日々は、すべて遠い幻になってしまった。
(……でも、まだ終わっていないわ)
私は鏡の中の自分の、完全に光の消えた新緑色の瞳の奥を見つめる。
この華やかな茶番を演じきり、泥棒たちの油断を誘う。そして、いつか必ず訪れるであろう一瞬の隙を突き、この地獄を永遠に脱出するための逃走計画を、私は脳内で綿密に、冷酷に練り上げ続けていた。




