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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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狩られる猟犬――黒田恭介の危機

 黒の、セダン。ナンバープレートは、品川ナンバーだった。運転席に、人影が、見えるときと、見えないときがあった。見えないときは、車だけが、街路樹の下に、停まっていた。


 黒田は、二階の寝室の窓から、そのセダンを、見ていた。


 見ている目の奥に、三枚の写真の記憶が、まだ、焼きついていた。娘の校門。妻のスーパーマーケット。自分の事務所の入口。三枚の写真が、見えない角度から撮られていた、ということは、見えない場所に、カメラが、あった、ということだった。カメラがあった、ということは、人が、いた、ということだった。


 黒田は、窓のカーテンを、閉めた。


 閉めたカーテンの裏で、自分のスマートフォンの画面を、見た。画面の中に、記事の拡散数が、表示されていた。公開から四日目。閲覧数は、八十万を超えていた。八十万の閲覧の中に、コメントが、三千件以上、ついていた。


 三千件のコメントの温度は、初日より、変わっていた。初日は「やっぱり」と「根拠が弱い」が半々だった。四日目は、「黒田恭介は誰に金をもらっている」「陰謀論ブロガーの売名」「灰谷透真を名誉毀損で訴えるべき」という声が、急激に、増えていた。


 増え方が、自然ではなかった。


 黒田は、三ヶ月間、ネットの言論空間を観察し続けてきたフリージャーナリストだった。自然な批判と、組織的な批判の違いは、文体のパターンで見分けられた。組織的な批判は、同じ時間帯に、似たフレーズで、大量に投稿される。今、黒田の記事についている批判の三割は、その特徴を、持っていた。


 灰谷が、動いた。


 黒田は、そう、判断した。判断したあと、コメント欄の組織的批判のパターンを持つアカウントを、三十個、抽出した。三十個のうち、二十二個が、記事公開の前日に作成されていた。前日に作成、ということは、記事が出ることを事前に知っていた人間がいた、ということだった。


 黒田の記事は、公開直前まで、自分のサーバーにしか保存していなかった。だとすれば、灰谷側は、黒田の存在を別のルートで掴んでいた。株主総会の報道席で灰谷と目が合った。あの瞬間から、灰谷は、黒田を追わせていたのだろう。


 追われていたのは、黒田のほうだった。記事を書いている間、ずっと。


 黒田は、カーテンの隙間から、もう一度、黒いセダンを見た。セダンの運転席に、今度は、人影が、見えた。人影は、黒田の寝室の窓を、見上げてはいなかった。見上げていないのに、見られている、という感覚が、黒田の肩甲骨の間を、這い上がった。



  ◇



 翌朝。黒田は、警視庁の入口で、真壁蓮司と、合流した。


 真壁は、黒田の顔を、一目見て、四日分の睡眠不足を、読み取った。


「黒田さん。まず、家族の安全を」


「妻と娘は、昨日、妻の実家に、送りました」


「いつまで」


「分かりません」


 黒田の声は、平坦だった。平坦さの奥に、妻の「いつ帰れるの」という声と、七歳の娘の「お父さん、いつ帰ってくるの?」という声が、まだ、残っていた。


 真壁は、黒田を、特殊対策室のデスクに、案内した。


 蛍光灯の無機質な光の下で、二人は、向かい合った。


「黒田さんの記事。読みました」


「ありがとうございます」


「八千字の中に、状況証拠は揃っている。ただ、物理的証拠がない。これでは起訴できない」


「分かっています」


「分かった上で、公開した」


「はい」


 真壁は、ペンを、テーブルの上に、置いた。置いたペンの先が、テーブルの上で、真壁の影を、小さく、指していた。


「あなたの情報と、私たちの捜査データを、突合させてください。あなたが集めた被害者の証言は、私たちにはないものです」


 黒田は、鞄の中から、USBメモリを、一つ、取り出した。


「三ヶ月分の取材データです。被害者十四人中、八人に直接取材しています。音声データと、書き起こしと、時系列表」


 真壁は、USBメモリを、受け取った。受け取る手の動きが、証拠品を扱う警察官の動きだった。


「黒田さん。一つだけ、確認させてください」


「何でしょうか」


「この先、あなた自身の身の安全は、保証できません。正式な捜査対象ではない以上、警察が護衛をつけることは、難しい。それでも、続けますか」


 黒田は、真壁の目を、まっすぐ、見た。


 見た目の中に、引き出しの奥の、七歳の娘の桜の写真の笑顔が、映っていた。


「続けます」


 声は、短かった。短さの中に、退けない人間の、一番静かな覚悟が、入っていた。


 真壁は、黒田の目を、しばらく、見返していた。見返している目の中で、真壁自身の中にある、法の番人としての声と、法では裁けない犯罪に直面した男の声が、また、ぶつかった。法の番人の声は、「民間人を危険に晒すな」と言った。もう一つの声は、「この男の情報がなければ、灰谷には辿り着けない」と言った。


「分かりました。できる限りの安全対策は、こちらで考えます」


 できる限り。


 その三文字が、どこまでの範囲を指すのか、真壁自身にも、分からなかった。分からないまま、真壁は、黒田から受け取ったUSBメモリを、自分のデスクの鍵付きの引き出しに、しまった。


 しまった引き出しの鍵を回す音が、蛍光灯の下で、小さく、鳴った。



  ◇



 夜。黒田は、神保町の事務所に、一人で、戻っていた。


 三台のモニターの電源を入れた。一台に記事のコメント欄。一台に取材メモのファイル。一台に、真壁から送られてきた、捜査チームの分析データ。


 分析データの中に、一つ、黒田が知らなかった新しい情報が、あった。


 灰谷透真の過去の経歴の中に、七年前の、ある会社の内部記録が、添付されていた。記録によると、灰谷が入社一年目に、同じ部署の先輩社員が、突然、仕事の能力を失い、退職している。退職の理由は、「適応障害」と記録されていた。


 七年前。


 黒田は、椅子の背にもたれて、モニターの前で、その日付を、しばらく、見ていた。見ている目が、日付の数字の上で、動かなかった。


 七年前ということは、灰谷が二十五歳のときだ。二十五歳の灰谷が、すでに、誰かの才能を奪っていた可能性がある。黒田が追っていた十四人の被害者よりも、ずっと前に。


 黒田の背筋を、冷たいものが、走った。


「こいつは、もっと前から……七年も前から、やっていたのか」


 モニターの画面の光が、黒田の顔を、青白く、照らしていた。照らされた顔の上を、七年分の被害者の影が、薄く、流れた。


 黒田は、新しいファイルを、開いた。ファイルの名前は、「追加取材リスト」。


 リストの一行目に、その七年前の退職者の名前を、打ち込んだ。打ち込む指が、キーボードの上で、三ヶ月分の睡眠不足と、娘の「いつ帰ってくるの?」の声の重さで、わずかに、鈍かった。


 鈍い指で、黒田は、打ち続けた。打ち続けながら、引き出しの奥の、桜の下の娘の写真の笑顔を、頭の中で、思い浮かべた。思い浮かべた笑顔に、校門の望遠レンズの写真が、重なった。重なった二枚の間の距離を、黒田は、指を止めずに、測っていた。


 距離は、娘の笑顔を守るために必要な、すべての覚悟の重さと、同じだった。同じ重さを背負ったまま、黒田は、明日もまた、この事務所に来るだろう。

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