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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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核心記事――黒田恭介の賭け

 止まっている時間は、もう、三十秒を、超えていた。


 三十秒の間に、黒田の頭の中を、三つの顔が、交互に、通り過ぎた。七歳の娘の笑顔。妻の、少し疲れた目。そして、神保町の事務所の壁に貼った、十四人のLoss症候群発症者の名前のリスト。


 十四人。


 十四人の人生が、一人の男によって、壊された。


 壊された人生を、黒田は、三ヶ月かけて、八千字にまとめた。八千字の中に、灰谷透真の名前を、実名で、書いた。実名を書く、ということは、黒田の人生を、書く前と書いた後に、二つに割る、ということだった。


 黒田は、息を、一度だけ、深く、吸った。


 吸った息の底に、娘の笑顔が、あった。


 笑顔を見ながら、黒田の人差し指が、ボタンを、押した。


 押した。


 画面が、一瞬、白く、なった。白くなったあと、記事のURLが、表示された。URLの文字列が、画面の中で、静かに、光った。


 光った瞬間から、黒田恭介の人生の後半が、始まった。



  ◇



 記事のタイトルは、こうだった。


 『才能捕食者の正体――灰谷透真と久我山グループの闇』


 公開から一時間で、SNSのタイムラインに、記事のリンクが、五百回、共有された。二時間で、三千回。四時間で、一万二千回。


 共有のたびに、コメントが、ついた。コメントの温度は、三種類に分かれた。「やっぱり」という追認の声。「根拠が弱い」という懐疑の声。「これが本当なら恐ろしい」という恐怖の声。三つの温度が、ネットの表面で、混ざりながら、広がっていった。


 黒田は、自分の事務所の三台のモニターの前で、拡散の数字を、見ていた。見ていた目の奥に、達成感は、なかった。達成感の代わりに、取り返しのつかないことをした人間の、静かな覚悟だけが、入っていた。


 電話が、鳴った。


 知らない番号だった。


 黒田は、電話に、出なかった。


 出なかった電話の着信音が、止んだあと、もう一度、別の番号から、鳴った。


 出なかった。


 三度目は、非通知だった。


 黒田は、スマートフォンの電源を、切った。切った画面が黒くなった。切ったあと、事務所の固定電話の受話器も、外した。



  ◇



 久我山グループ本社の十六階。


 灰谷透真の執務室のタブレットの画面に、黒田の記事が、表示されていた。


 灰谷は、記事を、最後まで、読んだ。読む速度は、久我山の読書速度と、同じ速度だった。一ページ四秒。四秒で、文章の構造と、証拠の強度と、世間への影響度を、同時に、計算した。


 計算の結果は、三つだった。


 ひとつ。証拠は、状況証拠のみ。物理的証拠は、ゼロ。


 ふたつ。記事の文体は、誠実だが、論理に飛躍がある。「才能を奪う」という表現自体が、オカルトと受け取られるリスクが高い。


 みっつ。しかし、十四人の被害者の接触記録の時系列的一致は、誰かが精査すれば、無視できない水準に達している。


 灰谷は、タブレットを、テーブルの上に、伏せた。


 伏せたあと、内線電話の受話器を、取り上げた。


「法務部の田所を」


 声は、低かった。低さの中に、怒りは、なかった。怒りの代わりに、久我山から奪った経営判断力が、冷静に、最適解を、計算していた。


 最適解は、黒田の信用を潰すことだった。記事そのものを消す必要はなかった。記事を書いた人間の信用さえ潰せば、八千字は、ネットの海の、無数の陰謀論のひとつに、沈む。


「田所。黒田恭介というフリージャーナリストの過去の記事を、全部、洗え。事実誤認があれば、そこを突く。なければ、私生活を調べろ」


 受話器の向こうで、田所が、一拍、黙った。黙った一拍の中に、法務部の人間が灰谷の指示に覚える、薄い恐怖の色が、入っていた。


「……承知しました」


 灰谷は、受話器を、置いた。


 置いた受話器の上に、自分の右手を、しばらく、載せていた。載せている手のひらの中央の器の底で、久我山の経営判断力が、淡々と、仕事をしていた。仕事の内容は、灰谷を守ることだった。久我山が四十年間かけて磨いた、危機管理の技術が、今、久我山を裏切った男の身を、守るために、動いていた。


 その皮肉を、灰谷は、皮肉とは感じなかった。感じない、ということの意味を、灰谷は、もう、考えなかった。


 窓の外の曇り空を、しばらく、見ていた。曇り空の灰色は、灰谷の目には、何の色にも見えなかった。色のない空の上を、久我山の大局観が、来週までの対応シナリオを、三通り、描いていた。


 三通りのシナリオの、どれにも、「謝罪」という選択肢は、なかった。謝罪、という概念が、灰谷の中から、いつのまにか、消えていた。消えた場所に、「最適化」という言葉だけが、冷たく、残っていた。



  ◇



 夜。黒田恭介の自宅マンションのエントランスで、黒田は、郵便受けの蓋を、開けた。


 中に、封筒が、一通、入っていた。


 封筒は、茶色だった。茶色の封筒の表に、何も書かれていなかった。宛名もなく、差出人もなく、切手もなかった。切手がない、ということは、誰かが直接、郵便受けに、投函した、ということだった。


 黒田の指が、封筒の口を、開けた。


 中から、写真が、三枚、出てきた。


 一枚目は、黒田の娘が、小学校の校門を出ていく写真だった。撮影角度は、校門の斜め向かいのビルの二階から。望遠レンズ。


 二枚目は、黒田の妻が、スーパーマーケットの入口に立っている写真だった。日付は、昨日。


 三枚目は、黒田自身が、今朝、事務所に入る瞬間の写真だった。


 三枚の写真の裏に、何も、書かれていなかった。


 何も書かれていない、ということが、文字で書くよりも、重い脅迫だった。


 黒田は、エントランスの蛍光灯の下で、三枚の写真を、しばらく、見ていた。見ている手が、震えていた。震えているのは、恐怖ではなかった。恐怖を通り越した場所にある、怒りだった。


 怒りの中に、七歳の娘の校門の写真が、いちばん重く、入っていた。


 黒田は、三枚の写真を、封筒に戻した。戻した封筒を、自分のコートのポケットに、入れた。


 入れたあと、黒田は、エントランスのガラスドアの向こうの夜の闇を、見た。闇の中に、誰かが立っているかもしれなかった。立っていないかもしれなかった。どちらか分からない闇が、黒田の日常を、もう、元には戻せない色に、染めていた。


 黒田は、エレベーターのボタンを、押した。


 押したあと、自分のスマートフォンの電源を、入れ直した。入れ直した画面に、不在着信が、二十三件、並んでいた。二十三件のうち、妻からの着信が、七件あった。


 黒田は、妻の番号を、押した。


 呼び出し音が、三回、鳴った。


「……恭介? 電話繋がらなくて、心配したのよ」


「すまん。急な取材で切ってた」


 嘘だった。嘘をつきながら、黒田は、ポケットの中の封筒の角が、腰骨に当たっているのを、感じていた。


「美鈴と、しばらく、お義母さんのところに行ってくれないか」


 妻の声が、止まった。


「……何か、あったの」


「何もない。仕事が立て込むから」


 二回目の嘘だった。嘘の数を、黒田は、数えていた。数えている数が、明日から、もっと増える予感だけが、エレベーターの箱の中の蛍光灯の下で、黒田の影を、揺らしていた。

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