表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/109

接触――復讐者と猟犬

 喫茶店の名前は、入口の硝子のドアの上に、金色の箔で、書かれていた。箔の半分は、剥がれていた。剥がれた箔の下から、木の地肌が、覗いていた。


 奥のブースの席に、織部千景が、先に、座っていた。


 テーブルの上に、紙の束が、伏せて、置かれている。束の厚さは、一センチほどだった。一センチの紙の中に、灰谷透真のこの一年の行動記録が、詰まっていた。


 サイフォンの泡立つ音が、奥のカウンターから、聞こえている。


 入口のドアが、開いた。


 入ってきたのは、四十代の男だった。痩せた体。目だけが、鋭かった。スーツは、量販店の、紺色の、何の特徴もないスーツだった。何の特徴もないスーツの中に、鋭い目だけが、不自然に、光っていた。


 真壁蓮司。


 警視庁生活安全部の、特殊対策室の、室長補佐。肩書きは地味だった。地味な肩書きの奥で、Loss症候群を、半年間、ひとりで、追い続けてきた男だった。


 真壁は、織部の向かいの席に、座った。座る動作が、警察官の動作だった。店内を一度だけ見回してから座る。背中を壁に預けない。椅子の脚を引かない。全部が、訓練の癖だった。


「織部千景さん、ですね」


「ええ」


「真壁です」


 二人の間に、サイフォンコーヒーが、二つ、置かれた。置いたウェイターが去ったあと、木製のテーブルの傷が、二人の間の沈黙の上に、残った。


 傷の形は、長い年月の爪痕に、似ていた。


「……単刀直入に」


 真壁は、コーヒーに口をつけなかった。


「あなたの仲間が集めた、灰谷透真に関する情報を、見せていただきたい」


 織部は、右手でテーブルの上の紙束を、真壁のほうへ、ゆっくりと、滑らせた。滑らせる指の先が、紙の表面を、弦を撫でるように、触れていた。


「こちらも単刀直入に聞くわ。真壁さん、あなたは警察として来てるの? それとも、個人として?」


 真壁の目が、一瞬、止まった。


 止まった目の奥で、真壁蓮司という男の中の、二つの声が、ぶつかった。一つは、法の番人としての声だった。もう一つは、Loss症候群の被害者リストを半年間読み続けた男の、もっと暗い場所から出る声だった。


「……どちらでもあります」


 真壁は、紙束の表紙を、開いた。


 開いた一枚目に、灰谷透真の顔写真と、その下に、年表が、書かれていた。年表の左の列に日付。右の列に、Loss症候群の発症者名。二つの列の間に、灰谷との接触記録が、赤い線で、結ばれていた。


 赤い線は、十四本あった。


 十四本の赤い線が、全部、灰谷透真という一つの名前に、集束していた。集束した赤い線の中心に、灰谷の顔写真が、白黒で、写っていた。白黒の写真の中の灰谷は、何の特徴もない三十二歳の男に、見えた。



  ◇



 氷室奏が、タブレットの画面越しに、オンラインで、参加していた。


 画面の中の氷室の顔は、青白かった。青白い顔の上に、眼鏡のレンズが、タブレットの光を反射していた。


「Loss症候群の発症者は、現在、確認できているだけで十四人。全員が、発症前三ヶ月以内に、灰谷透真と物理的な接触をしています」


 氷室の声は、研究者の声だった。感情を排した、データの声だった。データの声で語られる内容が、データでは語りきれない重さを、持っていた。


「物理的な接触、というのは」


 真壁が、メモ帳にペンを走らせながら、聞いた。


「握手。肩を叩く。腕を掴む。全て、手のひら、もしくは手指の、直接接触です」


 氷室のペンが、タブレット越しに、グラフを指した。グラフの横軸に、接触後の経過日数。縦軸に、被害者の能力低下率。十四人分の曲線が、ほぼ同じ形で、急降下していた。


「接触後七十二時間以内に、対象の専門能力が、六十パーセント以上、低下しています。低下した能力は、一例も、回復していません」


 真壁のペンが、止まった。


「一例も」


「一例も」


 氷室は、繰り返した。繰り返した声の底に、かつて自分の思考速度が半分になった日の記憶が、薄く、震えていた。


 織部が、テーブルの上の紙束の三枚目を、開いた。三枚目には、被害者の職業と失った能力の一覧が、書かれていた。


 料理人。水墨画家。チェスのグランドマスター。フリーダイバー。ヴァイオリニスト。脳科学者。法学者。政治家秘書。


 そして、経営者。


 久我山悟。


 その名前の横に、発症日として、株主総会の日付が、書かれていた。


 真壁は、紙束を、最後のページまで、めくった。めくる指が、ページの途中で、一度、止まった。止まったページには、瀬川陽人の名前があった。職業欄に「漁師」。失った能力欄に「潜水技術・水中感覚」。接触状況欄に「手を握られた」。


 真壁の脳裏に、半年前、最初にこの事件に気づいた日のことが、蘇った。交番に来た若い女性ピアニストが、泣きながら、「ある日突然、弾けなくなった」と言った日のことだった。あの日から、真壁は、Loss症候群という、どの法律にも該当しない犯罪を、追い始めた。


 法律に該当しない。


 それが、真壁を最も苦しめている壁だった。灰谷透真が才能を奪っている。データは、それを示していた。しかし、才能の窃盗という罪は、日本の刑法に、存在しなかった。窃盗罪は有体物にしか適用されない。傷害罪は身体の損傷を要件とする。脳の機能低下は、外傷がない限り、傷害に該当するか、争いがあった。


 真壁は、紙束を、テーブルの上に、静かに、戻した。


 戻した紙束の上に、自分の両手を、置いた。置いた手のひらの中に、法では裁けない犯罪の重さが、十四人分、乗っていた。



  ◇



 喫茶店の外に出たとき、新宿の夜のネオンが、二人の顔を、色とりどりに、照らした。


 行き交う人々の靴音が、冬の乾いた歩道に、反射していた。


 真壁は、喫茶店のドアが閉まったあと、織部に、一つだけ、聞いた。


「織部さん。あなたたちは、灰谷透真を追い詰めて、そのあと、どうするつもりですか」


 織部は、マフラーを巻き直しながら、真壁の目を、まっすぐ、見た。


「奪われたものを返してもらう」


「返してもらう方法が、あるんですか」


「ないわ」


 織部の声は、静かだった。


「ないけど、あの男を自由にしておくわけにはいかない。私たちから奪ったものは返らなくても、これ以上の被害者を出すわけにはいかない」


 真壁は、冬の冷気の中で、自分の吐く息の白さを、一度だけ、見た。


「……もう一つだけ。あなたたちの中に、灰谷透真に対する殺意は、ありますか」


 織部の右手の指が、マフラーの端で、弦を弾く形に、動いた。動いたあと、止まった。


「殺意はない。瀬川にも、安藤にも、確認したわ。私たちが欲しいのは、復讐じゃない」


 止まった指の先で、冬の冷気が、肌を、刺した。刺した冷たさの中に、かつてヴァイオリンの弦を押さえていた指の腹の、硬い角質の記憶が、まだ、残っていた。


「自分の人生を、返してほしいだけよ」


 新宿の雑踏が、二人の間を、流れていった。流れていく人々の中に、才能を持った人間と、才能を失った人間が、誰にも区別されないまま、混ざっていた。


 真壁は、頭を一度だけ下げて、雑踏の中に、消えた。


 消えていく背中を、織部は、しばらく、見ていた。見ている右手の指が、また、弦を弾く形に、動いた。弾けない弦の振動を、指の腹だけが、まだ、覚えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ