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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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復讐者の会――三つの刃

 六畳一間に、テーブルが一つ。テーブルの上に、百均で買ったホワイトボードシートが広げられていた。マーカーの匂いが、部屋に漂っていた。匂いは新しかった。瀬川が今朝、書いたばかりだった。


 安藤圭吾は、テーブルの前のクッションに座っていた。隣に織部千景が座っていた。向かいに瀬川陽人がいた。三人分の缶コーヒーがテーブルの端に並んでいたが、どの缶も既にぬるくなっていた。


 ホワイトボードの中央に、「灰谷透真」と書かれていた。その名前を取り囲むように、三つの矢印が伸びていた。


「戦略」


 織部が口を開いた。


「情報」


 織部の指が、ホワイトボードの左の矢印を指した。


「行動」


 右の矢印を指した。


「統率」


 下の矢印を指した。


「この三つが、私たちに必要なものです」


 織部は、缶コーヒーに手を伸ばした。伸ばして、やめた。


「情報——灰谷透真の過去、現在の行動パターン、被害者の全貌を把握すること。これは私が担当します。保険調査のルートと、音楽業界の人脈を使います」


 安藤は頷いた。織部の声には、指揮者がオーケストラに指示を出すときのような、静かな確信があった。


「行動——灰谷に接近し、情報を引き出し、証拠を集める実働部隊。安藤さん」


「俺か」


「あなたにはアスリートの人脈がある。灰谷がかつていた場所、会った人間を辿れるのは、あなたです」


 安藤は自分の拳を見た。かつてボールを蹴った足と同じように、今は拳を握ることしかできない手だった。しかし、握ることはできた。


「やる」


「瀬川さん」


 織部が瀬川を見た。


「あなたは、人を束ねてください。自助グループの被害者たちに声をかけ、協力者のネットワークを作る。あなたの言葉は、人を動かします。昨日の定例会で、それが分かりました」


 瀬川は何も言わなかった。何も言わずに、ホワイトボードの「灰谷透真」の文字を見ていた。見ている目の中に、炎と氷が同居していた。


「分かった」


 三つの役割が、三人の上に載った。載った瞬間、部屋の空気が変わった。被害者の集まりではなくなった。復讐者の会になった。



  ◇



 その日の夕方、安藤は渋谷のスポーツバーにいた。


 壁に掛かったテレビに、サッカー中継が映っていた。歓声が店の中に反響していた。画面の中の選手が右足を振り抜くのを、安藤は見た。見ただけだった。かつてなら、足首の角度と膝の入りで、シュートのコースが読めた。今は、ただの映像だった。


 カウンターの隣に、元チームメイトの藤井が座っていた。藤井とは同期入団で、安藤が引退した後も月に一度は酒を飲む仲だった。藤井はまだ現役だった。


「灰谷透真?」


 藤井が首を傾げた。


「いや、知らねえな。ジムの体験入会って言ったか。どこのジム?」


「青山のプレミアムフィットネス」


「あー、あそこか。うちのチームの何人かも通ってたな」


 安藤はビールのグラスを握った。握る指に、無意識に力が入った。


「藤井。その中で、最近、調子を崩した奴はいないか」


 藤井の目が、一瞬、動いた。


「……いる。一人。今シーズン、急に動きが悪くなった奴がいる。医者に行っても原因不明で」


 安藤の背筋に、冷たいものが走った。


「そいつの名前は」


「園田。園田啓介。ディフェンダーだ。去年までうちの主力だったのに、今年に入って急にパスの精度がガタ落ちした。本人も分からないって」


 安藤はグラスを置いた。置いたグラスの中で、ビールの泡が静かに消えていった。


 灰谷透真は、自分と安藤だけを狙ったのではない。もっと多くの人間から、もっと多くのものを、奪っていた。



  ◇



 翌日の昼。


 安藤のスマートフォンに、瀬川からメッセージが入った。


 『黒田恭介というルポライターから連絡があった。会いたいと言っている。前に取材を受けた男だ』


 安藤は覚えていた。半年前、Loss症候群の取材でスポーツ紙の元記者だという男が来た。黒田恭介。四十歳。禿げかけた頭と、鋭い目を持つ男だった。


 午後三時。駅前のファミリーレストランの奥の席に、四人が集まった。瀬川、安藤、織部、そして黒田恭介。


 黒田は、ノートパソコンを開いた。画面の青白い光が、黒田の顔を照らした。


「単刀直入に言います。俺は、Loss症候群の原因が人為的なものだと考えている。具体的には、特定の人物が被害者に直接接触し、何らかの方法で才能を奪っている、という仮説です」


 安藤は、瀬川と視線を交わした。


「根拠は」


 瀬川が聞いた。


「被害者のリストを時系列で並べると、発症前に共通の人物と接触している事例が複数見つかった。まだ三件だが、偶然にしては一致しすぎている」


 黒田の指が、パソコンの画面をスクロールした。ファミレスの雑踏が、白い騒音として四人の周りを包んでいた。その騒音の中で、四人の声だけが低く沈んでいた。


「黒田さん」


 織部が口を開いた。


「その『共通の人物』の名前を、ご存じですか」


 黒田は、織部を見た。


「まだ特定できていない。ただ、接触の場が限られている。スポーツジム、慈善イベント、業界パーティー。不特定多数が出入りする場所で、ターゲットに自然に接触できる人間。そういう行動パターンの人物を絞り込んでいる最中だ」


 安藤は、瀬川を見た。瀬川は微かに頷いた。


 黒田はまだ名前を知らない。しかし、同じ結論に向かって走っていた。合流するなら、今だった。



  ◇



 夕方、安藤は一人で、灰谷の元勤務先のビルの前に立っていた。


 オフィスビルの入口から、退社する社員たちが出てきていた。革靴の音が、アスファルトの上で鳴った。安藤は、ビルの向かいのコンビニの前で、缶コーヒーを飲みながら待っていた。


 藤井に頼んで、灰谷の元同僚の名前を聞き出していた。営業部の先輩だった男。灰谷が退職する前に最も近くにいた人間。


 退社する社員の流れの中から、その男が出てきた。安藤は声をかけた。


「すみません。灰谷透真さんのことで、少しお話を」


 男の顔が、一瞬、強張った。強張り方が、普通ではなかった。


「灰谷を——知っているんですか」


「はい」


 男は、周囲を見回した。声を落とした。唾を呑む音が、安藤の耳に届いた。


「あいつのことは、あまり話したくない」


「なぜですか」


「……怖いんです」


 男の目が、怯えていた。


「半年前まで、あいつは——何もできない男だった。営業成績は万年最下位。上司の本郷さんに毎日怒鳴られて、謝ってばかりいた。それが、ある日を境に、別人になった」


 安藤は、缶コーヒーの缶を握り潰しそうになった。


「別人?」


「声が変わった。目が変わった。会議で発言し始めた。提案が通り始めた。取引先を次々に落とし始めた。で、一ヶ月後には、久我山グループに引き抜かれて消えた。残されたのは——」


 男は、言葉を切った。切った後で、ビルの方を振り返った。


「残されたのは、本郷さんです。灰谷が変わった日から、本郷さんは逆に——何もできなくなった。営業トークが出てこない。資料が作れない。まるで、本郷さんの能力が灰谷に移ったみたいに」


 安藤の全身に、鳥肌が立った。


「まるで——じゃない。本当にそうだったんだ」


 男が安藤を見た。安藤の目の中にあるものを見て、男の顔から残りの血の気が引いた。


「あなたも——まさか——」


「ありがとうございます。これ以上は聞きません」


 安藤は頭を下げた。下げた頭の中で、パズルのピースが、また一つ嵌まった。嵌まるたびに、完成する絵の輪郭が鮮明になっていった。その絵は、一人の男が他人の上に立ち、他人の足元が崩れていく構図だった。


 安藤は、スマートフォンを取り出した。瀬川と織部に、同時にメッセージを送った。


 『灰谷透真は半年前まで無能だった。本郷という上司の能力が消えた日から、灰谷が別人になった。最初の被害者は本郷だ』


 送信した。送信した後、安藤は空を見上げた。空には星がなかった。東京の光が、星を隠していた。灰谷透真が奪った光で、誰かの星が消えていた。

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