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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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復讐者の弓

 テーブルの向かいに、瀬川陽人が座っていた。瀬川の横に、安藤圭吾がいた。場所は品川の、真壁が選んだ、窓のない会議室だった。


 写真は裏返しだった。


「準備はいいですか」


 真壁の声は、抑えられていた。


 瀬川が頷いた。安藤も頷いた。


 真壁は、写真を表に返した。


 灰谷透真の顔が、テーブルの上に現れた。


 瀬川の体が、微かに震えた。震えは、一秒で止まった。止まった後の瀬川の目は、乾いていた。


「この男だ」


 瀬川の声は、静かだった。


「間違いない。慈善イベントで握手した男。この目だ。この目を、俺は忘れていない」


 安藤が、写真を手に取った。


「俺もだ。ジムで握手した男。灰谷透真。この顔だ」


 真壁は、二人の証言を手帳に書いた。書いた後で、スマートフォンを取り出した。


「宮園さんに、今からビデオ通話をかけます」


 画面に、病室の宮園の顔が映った。宮園は痩せていた。目の下の隈が深かった。


「宮園さん。真壁です。写真を画面に映します」


 真壁は、灰谷の写真をカメラにかざした。


 画面の中の宮園の目が、大きくなった。大きくなった目から、光が消えた。


「この人です。銭湯で、肩に触れた人です。顔は——はっきりとは覚えていませんでしたが、この目は覚えています。この目だけが、光っていた」


 真壁は頷いた。三人目。


 ビデオ通話を切った。


 部屋のドアが、ノックされた。


「入ってください」


 ドアが開いた。織部千景が入ってきた。織部は、黒いワンピースを着ていた。化粧は薄かった。薄い化粧の下の顔は、穏やかだった。穏やかさの奥に、何かが煮えていた。


「織部さん。ありがとうございます」


「いいえ」


 織部は、テーブルの前に立った。立ったまま、テーブルの上の写真を見た。


 織部の目が、写真の中の灰谷を捉えた。


「この人です。サロンで握手した人です」


 四人。四人全員が、同じ顔を指した。


 真壁は、手帳を閉じた。


「ありがとうございます。全員の証言を確認しました。灰谷透真。この男が、全員の接触対象です」


 部屋の中が、静まった。静まった中で、空調の音だけが低く鳴っていた。


 瀬川が口を開いた。


「真壁さん。これで、逮捕できるんですか」


 真壁は、瀬川を見た。見た目の中に、正直な答えがあった。


「できません。まだ」


「まだ」


「握手しただけでは犯罪になりません。才能を奪うという行為を法的に定義する方法がない。物的証拠もない。証言だけでは、逮捕状は出せません」


 瀬川の拳が、テーブルの上で握られた。


「じゃあ、何のために——」


「出発点です。これが出発点です。四人の証言で灰谷を特定した。次に、灰谷の行動を監視し、新たな被害者が出るのを防ぐ。同時に、法的な枠組みを作る」


「枠組みを作っている間に、あの男は新しい獲物を探す」


 瀬川の声に、怒りがあった。怒りは、引退会見の日の涙とは別のものだった。涙は絶望から来た。怒りは、決意から来た。


 真壁は答えなかった。答えない代わりに、織部を見た。


 織部は、椅子に座っていた。座ったまま、テーブルの上の灰谷の写真を、じっと見ていた。


「織部さん」


「はい」


「被害者側の動きを、私に伝えてください。あなた方が独自に動くのを止めることはしません。しかし、暴走すれば、灰谷を追い詰める前に、こちらの手が縛られます」


 織部は頷いた。


「分かっています。暴走はしません」


 織部は立ち上がった。立ち上がった織部の背筋は真っ直ぐだった。


「真壁さん。法で裁けないなら、まず社会的に追い詰める。その方針に、賛成です。私たちにも、できることがあります」


「どんなことですか」


 織部は、瀬川と安藤を見た。二人の目を、順番に見た。


「あの人を止められるのは、同じように全てを失った私たちだけです。警察には法の限界がある。ジャーナリストには取材の限界がある。でも、被害者には——被害者には、怒りがあります。怒りは、法律より強い」


 瀬川が、織部を見た。見た目の中に、共鳴があった。


 安藤が頷いた。


「俺たちは、灰谷の次の動きを先に読む。サロンの参加者、久我山グループの役員、政界の人間。灰谷がまだ手を出していない人間のリストを作る。その人間たちに、先に警告する」


 織部は微笑んだ。微笑みは穏やかだった。穏やかな微笑みの下に、鉄の意志があった。


「それが、復讐者の会の最初の仕事です」


 真壁は、四人を見た。四人の目の中に、それぞれの怒りがあった。怒りの形は四人とも違っていた。瀬川の怒りは炎だった。安藤の怒りは鉄だった。宮園の怒りは沈黙だった。織部の怒りは弦の張力だった。


 四つの怒りが、一つの名前に向いていた。



  ◇



 同じ日の夜。


 帝国ホテルの最上階のバーで、灰谷透真は、東京の夜景を見下ろしていた。


 バーカウンターの椅子に座って、ウイスキーを飲んでいた。ウイスキーの味は、料亭の名人の味覚が、自動的に分解していた。ピート香の強さ。麦芽の甘さ。樽の木の渋み。全てが、数値として認識された。


 数値として認識された味は、美味くなかった。美味さは、数値の外にあった。数値の外にあるものを、俺はまだ持っていなかった。


 窓の外の東京が、光の格子として広がっていた。格子の一つ一つが、利権と政策と人脈の交差点だった。梶原と桐生秘書官と三条院議員の才能が、俺の目を通して、東京の地図を権力の地形図に変えていた。


 俺にはその資格がある。


 そう思った。思ったことは自然だった。自然であることが、半年前の灰谷透真には不可能なことだった。半年前の俺は「俺なんかが」と言う人間だった。今の俺は「俺にはその資格がある」と言う人間だった。


 窓の外の光を見ながら、三条院の政治力で捜査を妨害する計画を、宮園の思考力と三条院議員の交渉力で組み立てていた。審議会の委員を一人。国会議員を二人。警察庁のOBを一人。四つの圧力で、特殊対策室の動きを封じる。


 計画は完成していた。明日から実行する。


 ウイスキーを飲み干した。グラスをカウンターに置いた。置いた音が、バーの中に小さく響いた。


 バーを出て、エレベーターに乗った。エレベーターの中の鏡に、俺の顔が映った。映った顔は、灰谷透真の顔ではなかった。灰谷透真の顔がどんな顔だったか、もう思い出せなかった。


 エレベーターのドアが開いた。ロビーに出た。


 ロビーの、柱の影に、一人の女性が立っていた。黒いコートを着た女性。髪を後ろで束ねた女性。穏やかな顔の女性。


 織部千景。


 俺は、織部を認識しなかった。認識しなかったのではなく、ロビーの人間の一人として流しただけだった。三条院のサロンで握手した女性の顔を、俺はもう覚えていなかった。喰った才能は覚えていた。才能を持っていた人間の顔は、忘れていた。


 灰谷透真は、帝国ホテルの正面玄関から出た。


 出ていく灰谷の背中を、織部千景は、柱の影から見ていた。


 織部のスマートフォンが光った。画面に、瀬川へのメッセージが表示されていた。指が、三文字を打った。


 『見つけた。ここにいる』


 送信した。


 織部は、灰谷が消えた方向を見た。見ながら、呟いた。


「音が聞こえるのに、音楽が聞こえない。この地獄を、あの人にも味わわせる」


 声は、ロビーの喧噪に消えた。消えた声の中に、弦を最大まで引き絞った弓の張力が、震えていた。

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