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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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はじめての拍手

「あの、俺で、いいんですか」


「お前しかいねえだろ」


 本郷は吐き捨てるように言った。本当なら村上か、せいぜい佐野あたりが回ってくる役目だった。本郷が自分でやらなくなったのは、最近、言葉が出てこないからだ。誰にも言わないが、誰もが知っていた。


「じゃあ、俺、やります」


 机の上に資料の束を置いたとき、指先がほのかに熱を帯びた。ああ、これだ、と思った。もう、この熱は俺の親しい感覚になっていた。



  ◇



 会議室のプロジェクターの白い光を浴びながら、俺は最初の一文を発した。


「結論から申し上げます。本件は、三つの理由から、うちが引き受けるべき案件です」


 自分の声だとは思えない声だった。


 低く、落ち着いていて、語尾に迷いがない。呼吸と呼吸の間に、ほんの半拍の余白を置く――この半拍が、聞き手の意識を「ここから大事な話が来る」と勝手に切り替えさせる。本郷が二十年かけて磨いた間だ。


 俺の指は、リモコンのボタンの位置を迷わなかった。公園で奪った資料センスが、スライドを一枚ずつ、いちばん自然な順番でめくっていった。一枚目には結論と数字。二枚目には論点三つ。三枚目以降に、それぞれの展開。色は三色。フォントは二種類。余白が多い。いかにも見やすかった。


 部長が前のめりになった。


 俺はそれを、視界の端で、確かに感じ取った。


 部屋の空気というのは、意識の角度で分かるものらしい。俺は今、生まれて初めて、部屋の空気を読むほうではなく、作るほうに回っていた。



  ◇



「灰谷。お前、見違えたな」


 プレゼンが終わったあと、部長がそう言って俺の肩を軽く叩いた。俺は反射的に「ありがとうございます」と頭を下げたが、内心では別のことを考えていた。


 ――いま、部長から何か、流れてきたか?


 流れてこなかった。


 一瞬の接触では、奪えない何かがあるのかもしれない。あるいは、相手の才能の「主幹」ではない部分には、俺の能力は反応しないのかもしれない。そんな仮説が、勝手に頭の中に組み上がっていく。本郷のときも、公園の男のときも、俺はただ驚くだけだったのに、今の俺は、もう仕様書を書こうとしている。


 同僚たちの目の高さが、変わっていた。


 昨日までは、俺の顔の斜め下あたりで泳いでいた目線が、今日は俺の目に正面から合ってくる。村上すら、妙に丁寧な口調で「灰谷さん、あの三枚目のグラフのデータ元、今度教えてもらえます?」と聞いてきた。俺は生まれて初めて「あとでメールしときますよ」と大人っぽく返した。


 透明人間の扉が、ゆっくりと開いて、俺は外に出ていた。



  ◇



 会社を出たとき、もう日は傾いていた。


 地下鉄の入口の手前で、誰かが俺の名前を呼んだ。


「灰谷くん」


 朝比奈だった。


 経理部のビルから出てきたところらしい。薄手のカーディガンを腕にかけて、少し走るような歩きで近づいてくる。丸眼鏡の奥の目が、夕日を受けて、少し細くなっていた。


「お疲れさま。今日、部長がほめてたって、フロアじゅうに伝わってるよ」


「ああ、……まあ」


「ねえ、ちょっとだけ歩かない? 駅、一駅先まで」


 俺は頷いた。断る理由がなかった。


 夕暮れの街路樹の影が、歩道に細長く伸びていた。俺と朝比奈の影も、並んで、同じくらいの速さで延びていった。


「すごいね、灰谷くん。プレゼン、私も経理部から見に行きたかったくらい」


「大したことないって」


「大したことあるよ。私、嬉しい」


 朝比奈は前を向いたまま、そう言った。嬉しい、の「し」の音が、少しだけ柔らかかった。俺はその音を聞いて、胸の奥が、妙な痛み方をした。温かさとも、気まずさとも違う痛み。


「でもさ」


 彼女は続けた。


「急に変わったね」


 「急に変わった」という一言の中には、彼女が聞きたがっている何かと、聞きたくない何かが両方入っていた。俺は一瞬、どう答えるか迷って、笑ってごまかした。


「いやいや。急じゃないよ。ずっと、こうなりたかっただけ」


「ならよかった」


 朝比奈はそれ以上、訊かなかった。言葉の選び方が、いつもと少しだけ違った。


 駅の改札が見えた。


「じゃ、また明日」


「うん。お疲れさま、灰谷くん」


 彼女は手を振って、反対側のホームへ降りていった。俺はしばらく、彼女の背中を見送っていた。



  ◇



 家に帰って、俺は洗面所の鏡の前で、ネクタイを緩めた。


 鏡の中の男は、一週間前よりも、少し背筋が伸びていた。肩の位置が違う。目の位置が違う。別人、とまでは言わない。でも、「同じ人間の、よそ行きの顔」というには、もう少し深く変わっている。


 俺は鏡に向かって、低くつぶやいた。


「ありがとうございます」


 それは、プレゼンを終えたあとの、あの「ありがとうございます」の練習のような声だった。一度、二度、三度。角度を変えて、何度か繰り返した。自分の声のいちばんいい響き方を、俺は初めて、気にしていた。



  ◇



 その頃、朝比奈は自宅のキッチンで、冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、足を止めていた。頭の中で、今日のプレゼンの言い回しの一つが、しつこくリピートしていた。


「結論から申し上げます」


「三つの理由から」


「うちが引き受けるべき案件です」


 ――この言い回し。


 朝比奈は、麦茶のコップを置いて、少しだけ眉をひそめた。経理の仕事柄、役員会議の議事録を読む機会は多い。この区切り方、この三つ割りの癖――どこかで聞いたことがある。


 しかも、一人だけだ。


 本郷さんの言い方だ。


 朝比奈は手帳を取り出した。頁をめくり、新しい余白に、日付と、こう書いた。


 ――灰谷くんの変化。プレゼン、本郷さんの言い回し。


 手帳を閉じたあと、彼女はしばらく椅子の背にもたれて、天井を見た。眼鏡を外して、目頭を揉んだ。


「……考えすぎだよね」


 そう口に出してみても、手帳はゴミ箱には入れなかった。

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