表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/57

帝王学

 久我山グループの傘下の、ヘルスケア関連のビッグデータ解析の、社員二十九人の、まだ、若い会社だった。社員の平均年齢は、二十七歳。オフィスは、東京駅の八重洲口から徒歩三分の、新しいビルの八階の半フロア。窓の外には、丸の内の高層ビル群の上半分だけが、横に、ずらりと、並んで、見えた。


 俺の取締役就任の辞令は、久我山の、肉筆の決裁書、一枚で、出た。


 肉筆の決裁書を、初めて見たとき、俺は、その紙の角が、自分のスーツの内ポケットの中で、薄く、震えるのを、感じた。



  ◇



 最初の月の、最初の十日で、俺は、会社の、ぜんぶの、数字を、覚えた。


 ぜんぶ、というのは、誇張ではなかった。


 売上高、原価、販管費、四半期ごとの推移、契約先の業種別構成比、契約単価の中央値、解約率、社員一人当たりの売上高、その内訳、ぜんぶ。前社長の遠縁の男が、半年前まで、月次で出していた管理会計の数字も、PDFファイルの全ページを、俺の頭の中の水野の書庫の、いちばん見やすい棚に、ならべた。並べたあとで、結城の引き出しから、薄い、青い分析の線が、勝手に、棚の上を、走った。線の上に、いくつかの異常値が、薄く、光った。


 光ったうちの三つを、俺は、初日の役員報告で、久我山に、指摘した。


「会長、この三つの数字、たぶん、前社長のときに、やや、操作されてます。意図的にではなく、たぶん、無意識の、現実逃避で」


「ほう」


 久我山は、椅子の背もたれに、軽く、寄りかかった。


「どこを見て、そう言うた」


「直近の四半期の、解約理由のテキストデータの、形容詞の偏りです。本当に解約された理由よりも、社員が、自分たちの責任を、軽く感じられる方向に、要約されています。要約のクセが、半年で、徐々に、片方に寄っています」


 久我山は、しばらく、俺の顔を、見ていた。


 見たあと、ふっ、と、低く、笑った。


「あんた、ヘルスケアのデータ解析の素人やったやろ」


「素人、です」


「素人がな、初日に、そこまで言うたら、本物の素人や」


 久我山の指は、自分の机の引き出しを、ゆっくり、開けた。


 引き出しの中から、薄い、背表紙の柔らかい、自作の手帳のようなものを、出した。


「これな、ワシが、四十年前に、初めて、会社を買うたときに、自分で、作った手帳や。数字の読み方の、いちばん最初の二十ページだけ、書いてある。あんたに、貸す」


 俺は、両手で、その手帳を、受け取った。


 受け取った手帳の表紙の革に、四十年分の、誰かの手のひらの、薄い跡が、ふたつ、ぴたりと、ついていた。



  ◇



 二週目から、久我山は、俺を、会長室に、呼ぶ回数を、増やした。


 会長室は、グループの本社ビルの、十六階にあった。窓の向こうには、皇居の森の上半分が、見えた。森の上半分の色は、その季節、薄い茶色と、深い緑が、半々に、混ざっていた。


 久我山は、会長室の机の前ではなく、応接スペースの、低い椅子に、俺を、座らせた。


 座らせて、自分も、向かいに、座った。


 茶色のローテーブルの上に、白い湯呑みが、二つ、置かれた。


 茶を、ひと口、飲んでから、久我山は、いつもの低い声で、こう、言った。


「灰谷くん。今日はな、人の動かし方の話を、するわ」


「はい」


「いきなりな、結論から言うで。人をな、動かすのに、いちばん、要らんもんは、説得や。説得は、相手を、動かさへん。説得した瞬間にな、相手は、心の奥のほうに、ひと足、引きよる」


 久我山は、自分の右手の親指の腹で、湯呑みの縁を、軽く、叩いた。


 叩いたあと、俺の目を、まっすぐ、見た。


「人を、動かすのは、説得やない。場や」


「場、ですか」


「あんたが、相手より、ほんの半歩だけ、上の場所に、立ってる、いう状況を、作るんや。半歩や。一歩は、要らん。半歩でええ。半歩、上に立てば、相手は、勝手に、半歩、こっちに、寄ってくる」


 半歩、という言葉が、俺の頭の中の書庫の、新しい棚に、ぽとり、と、落ちた。


 落ちた瞬間、俺の中の、安藤の引き出しと、瀬川の引き出しが、二つとも、ふと、半歩、寄ってきた。



  ◇



 三週目に、俺は、会社の中の、いちばん古株の、四十代の主任を、一人、自分の部屋に、呼んだ。


 主任は、前社長時代から、解約率の悪化に、責任を感じて、半年、社内で、声を、潜めていた人だった。俺は、彼に、自分のデスクの、椅子を、向けて、ゆっくり、座らせた。


「主任。あなたの、解約理由のテキストの読み方、半年前までと、半年後で、ずいぶん、変わってますね」


「……はい」


「変わったのは、あなたが悪いのではなく、あなたの上の人が、変わってほしいと、無言で、頼んだからだ、ということを、僕は、もう、データで、知っています」


 主任の目元が、ほんの一瞬、揺れた。


「これから、半年だけ、僕の前では、半年前の読み方に、戻してみてください。半年経って、何か悪いことが起きたら、僕が、ぜんぶ、引き受けます」


 主任は、しばらく、自分の手の甲を、見ていた。


 見たあと、ゆっくりと、頷いた。


 頷いた頷きの中の、薄い、温かい湿りを、俺は、安藤の引き出しから流れてきた、人を見る目で、ちゃんと、確かめた。


 確かめたあと、俺は、主任に、薄い笑顔を、ひとつ、返した。


 笑顔の表面の温度と、俺の手のひらの中央の器の温度は、一度も、つながっていなかった。



  ◇



 四週目の終わり、四半期の業績の中間レビューで、俺は、会長室に、報告に行った。


 報告は、十五分で、終わった。


 数字の改善は、まだ、本格的には、来ていなかった。けれど、来る、という方向の、薄い、青い、分析の線は、もう、引かれていた。久我山は、俺の説明を、ぜんぶ、黙って、聞いた。聞き終わったあと、自分の机の上の、薄い、折りたたみ式のメモ帳に、一行だけ、何かを、書いた。


 書いたあと、立ち上がった。


 立ち上がった久我山は、応接スペースの窓のほうへ、ゆっくり、歩いていった。


 窓の前に、立った。


 窓越しに、皇居の森の、午後三時の光を、しばらく、見ていた。


 俺は、自分の椅子から、立ち上がらずに、その背中を、見ていた。



  ◇



 久我山の背中は、薄かった。


 薄いのに、その背中の真ん中の、肩甲骨の間のあたりに、四十年分の、何か、層になったものが、ぎゅ、と詰まっていた。詰まっているものの形は、俺の中の、結城の分析の引き出しからは、はっきりとは、見えなかった。けれど、その形が、俺の右の手のひらの中央の器の、底の見えない深さと、まったく同じ形をしている、ということを、俺の体は、わずかに、嗅ぎ取っていた。


 俺の右手の親指の付け根から、ふと、薄い、青い、線が、走った。


 走った線は、俺の意思と、関係なかった。


 俺の右手は、ふだんなら、出さない速度で、ふっ、と、半分、座面の脇から、持ち上がった。


 持ち上がった右手は、自分の前の、空気の中に、二十センチほど、進んだ。


 進んだ二十センチの先に、久我山の薄い背中の、肩甲骨の間が、あった。



  ◇



 俺の左手が、自分の右の手首を、ぎゅ、と掴んだ。


 掴んだ左手の指の腹の中で、右手の脈が、ふだんの倍の速さで、暴れていた。


 暴れている右手を、左手は、強引に、自分の膝の上に、戻した。


 戻したあと、俺は、自分の額に、薄い、冷たい汗が、ひと筋、伝うのを、感じた。


 久我山は、まだ、窓の外を、見ていた。


 俺の動きには、気づいていなかった。


 気づいていない久我山の背中の中央を、俺の右の手のひらの真ん中の器の縁が、薄く、舐めたがった。


 舐めたがった器の縁の上に、俺は、自分の中の、いちばん深いところから、声を、ひとつ、置いた。


 ――まだ、早い。


 その声は、「奪わない」では、なかった。


 「今は、まだ」だった。


 「今は、まだ」、の四文字を、自分の口の中で、もう一度、転がしたとき、俺の左手の握りの力が、ふと、ほんの一段、緩んだ。


 緩んだ瞬間、俺は、自分の中の、いちばん古い灰谷透真の輪郭が、また、薄く、削られていく音を、聞いた。


 音は、誰にも、聞こえなかった。


 会長室の、午後三時の、皇居の森の上半分の光だけが、その音を、薄く、見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ