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才能略奪者の成り上がり――触れるだけで相手の才能を奪える俺、日本経済の頂点まで駆け上がる  作者: ぽんぽこライフ


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狩人と獲物――逮捕状の夜

 開けたドアの向こうに、真壁蓮司が立っていた。コートの襟を立てた姿が、玄関の照明に照らされていた。真壁のコートから、冬の外気の匂いが流れ込んだ。マンションの暖房との温度差が、玄関の空気に境界線を引いた。


「灰谷透真さんですね。警視庁の真壁です。あなたの周辺で起きていることについて、話を聞きたい」


 真壁の声は、平静だった。平静な声の中に、刑事の鋼のような芯があった。


 灰谷の中の全ての才能が、真壁を分析した。河野の危機管理能力が「令状はない。任意だ。拒否できる」と計算した。鶴見の法律知識が「玄関先で帰すのが最善」と判断した。久我山の経営判断力が「対話して情報を引き出せ」と提案した。


 三つの才能が、三つの結論を出した。三つの結論の中から、灰谷は、久我山の判断を選んだ。選んだ理由は、灰谷自身にもわからなかった。


「どうぞ。中へ」


 灰谷は、真壁をリビングに通した。



  ◇



 リビングのソファに、二人は向かい合って座った。


 二人の間に、ローテーブルがあった。テーブルの上に、灰谷がコーヒーを二杯、置いた。真壁は、コーヒーに口をつけなかった。口をつけないことで、真壁は、対話ではなく尋問であることを示していた。


 窓の外に、東京の夜景が広がっていた。夜景が二人のシルエットを、ガラスに切り取っていた。


「灰谷さん。Loss症候群という言葉をご存じですか」


「テレビで見たことがある」


「テレビで見ただけですか」


「そうだ」


 灰谷の声は、冷静だった。冷静さは、久我山の胆力と三条院の交渉術の合成だった。


 真壁は、コートの内ポケットから、一枚の写真を取り出した。写真は、瀬川陽人の現役時代のものだった。水泳のゴーグルを額に上げた瀬川が、プールサイドで笑っていた。


「この人物を知っていますか」


「知らない」


「瀬川陽人。元競泳日本代表。三ヶ月前から、水泳の才能を完全に失っています」


 灰谷の目が、写真の上を滑った。滑った目の奥で、瀬川の才能が、帰巣反応を起こした。反応は微かだった。微かだったが、灰谷の右手の指が、テーブルの下で、一瞬だけ震えた。


 真壁は、その震えを見ていた。


「灰谷さん。あなたの話し方は、面白い」


「何が面白い」


「今の受け答えの口調は、本郷誠一に似ている。営業トーク力に定評があった本郷さんと、ほぼ同じ話し方だ」


 灰谷の口が、閉じた。


「でも分析の仕方は、宮園春人に近い。将棋棋士が盤面を読む時の、あの独特の論理構造。あなたの思考にも、それが見える」


 灰谷の背中が、ソファの背もたれに押しつけられた。押しつけた力は、灰谷自身のものではなかった。体が、無意識に、真壁から距離を取ろうとしていた。


「それから、経営判断の速さは久我山悟に似ている。交渉の間合いの取り方は三条院家の流儀に近い。不思議ですね。これだけ多くの人の特徴を、一人の人間が持っている」


 真壁の目が、灰谷の目を射抜いた。射抜いた目の中に、七年間の捜査の全てが、凝縮されていた。


 灰谷の中の全ての才能が、パニックを起こした。パニックの中で、久我山の判断力が「沈黙しろ」と叫び、鶴見の法律知識が「弁護士を呼べ」と指示し、河野の危機管理能力が「会話を打ち切れ」と命令した。三つの命令が同時に発火し、灰谷の口が、三つの言葉を同時に言おうとして、何も言えなかった。


 何も言えない灰谷を、真壁は、見ていた。


「灰谷さん。今、何人分の声が、あなたの中で話していますか」


 灰谷の顔が、凍りついた。


 凍った顔の中で、灰谷の目が、初めて、真壁の恐ろしさを理解した。真壁は、異能を知っていた。知った上で、灰谷の反応を、引き出そうとしていた。刑事の尋問術ではなかった。灰谷という怪物を理解した上での、精密な心理的解剖だった。


 真壁の目の中に、灰谷は、何かを見た。見たものは、怒りではなかった。軽蔑でもなかった。真壁の目の中にあったのは、理解だった。灰谷が何をしてきたかを理解し、なぜそうしたかを理解し、その上で、止めなければならないと決めている目だった。


 理解されることが、灰谷には、恐ろしかった。奪った才能で武装した灰谷を、真壁は、武装の下にいる本来の灰谷透真を、見ていた。


「帰ってくれ」


 灰谷の声は、掠れていた。掠れた声は、どの才能のものでもなかった。灰谷透真自身の、かつての弱い声だった。声の中に、埼玉のワンルームで一人でいた男の震えが、残っていた。


「任意同行を拒否する。令状がなければ、これ以上の会話は拒否する」


 真壁は、立ち上がった。立ち上がった真壁のコートの裾が、ソファの肘掛けを掠めた。


「わかりました。今日は帰ります」


 真壁は、玄関に向かった。向かいながら、一度だけ、振り返った。振り返った真壁の目が、灰谷を見た。


「近いうちにまた来ます。今度は令状を持って」


 ドアが閉まった。閉まったドアの重い音が、リビングに反響した。反響が消えた後、灰谷の体が、ドアに背をつけて、崩れ落ちた。崩れ落ちた体が、玄関の床の上に座り込んだ。座り込んだ体の中で、十七の才能が、恐怖に震えていた。


 恐怖は、才能たちのものだった。灰谷透真自身は、恐怖すら感じる余裕を失っていた。失った余裕の底で、スマートフォンの画面が光っていた。光っている画面には、さっき送った返信が表示されていた。


 「明日、あの公園で」


 明日。明日が来るのかどうか、灰谷にはわからなかった。令状が来れば、明日は来ない。来なければ、朝比奈に会える。会えたとして、何を話すのか。何を話せるのか。灰谷透真として話せる言葉が、まだ残っているのか。


 灰谷は、玄関の床の上で、膝を抱えた。抱えた膝の上に、額を乗せた。額の下で、目を閉じた。閉じた瞼の裏に、十七人分の記憶が、走り続けていた。走り続ける記憶の中に、灰谷透真の記憶だけが、消えかけていた。



  ◇



 同じ夜。東京地方検察庁。


 検察官は、デスクの上の書類を読み終えた。読み終えた書類は、真壁が提出した逮捕状請求書類だった。書類の厚さは、八センチだった。


 検察官は、眼鏡を外した。外した眼鏡のレンズを、ハンカチで拭いた。拭いた後で、かけ直した。かけ直した眼鏡の奥の目が、書類の最終ページを見た。


 最終ページに、真壁蓮司の署名があった。署名の下に、氷室奏の分析報告書の要約が添付されていた。


 検察官は、ペンを取った。取ったペンで、書類の承認欄に、署名した。


 署名が完了した瞬間に、検察官は、時計を見た。午後十一時四十五分だった。


 逮捕状は、翌朝、裁判官に請求される。裁判官が認可すれば、灰谷透真への逮捕状が発付される。


 検察官は、デスクの電話を取った。電話の相手は、真壁だった。


「真壁さん。書類は承認した。明朝、裁判官に請求する」


 電話の向こうで、真壁の声が、一瞬だけ、震えた。震えは感謝ではなかった。覚悟だった。


「ありがとうございます」


 電話が切れた。


 検察庁の窓から、東京の夜景が見えた。夜景の中に、灰谷のタワーマンションの灯りが、小さく、光っていた。光は、明日にはもう、消えているかもしれなかった。

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