4話 地球から来た人
――俺が考えていたのは、「帰れる」ということだ。
この世界、異瀬横は不思議なことだらけで秩序なんてどこにも見当たらなかった。ただ、この世界から帰った人間がいるというのだ。
「……ノーティーさん、帰り方を知ってますか」
「帰り方、ですか?」
彼はずい、と顔をこちらに近づけた。彼も牢記と同じように表情は全く見えない。しかし、そこに圧を感じた。
「は、はい……」
「本当にそれを聞きたいと?」
まずい。何かいけないことを聞いてしまっただろうか。こういう時、俺は保身に走ってしまう。相手の機嫌を損ねることは、コミュニケーションにおいて一番怖いことだ。
「あ、いや、駄目なら全然、いいんですけど……」
ノーティーは手を顎に当て、無数の手で俺を囲んだ。怖い。俺もチンピラみたいに窓から投げ出されるかもしれない。
「帰る方法、それは……」
「そ、それは……?」
「私も知りませんねえ」
(知らないのかよ!)
変に身構えたこの気持ちを返して欲しい。ノーティーは笑うばかりである。
「いや、いや、私も噂程度でしか知らない物で。異瀬横の人間なら皆知る話ですけどね。地球ユーザーがここを出たというのは」
「他に出た人間は?」
「いませんね。ええ、誰も」
希望が見えたような、絶望が深まったような。ただ、この世界では、俺という存在が特別だということを理解した。
それが喜ばしいことなのかはまだ分からない。
「ちょっと」
きい、と木製の扉が開いて鈴が鳴る。猫背の牢記が、頭のホログラムをジジと揺らしながらのしのしと入って来た。
「酷い。ヤツらと団子にして投げるなんて」
「つい、つい」
どすん、と年季の入ったソファに座った。クッションの隙間から埃が舞う。
「一道、オマエはどうするんだ?」
「え?」
「地球ユーザーは人目につきやすいですし、うちに来ますか? さっきお見せした通り、ここなら安全ですよ」
願ってもない提案だ。元よりこのホテルにどうにか滞在させてもらえないか考えていたので、向こうから言ってもらえてありがたい。
「ぜ、ぜひそうしたいです!あの、日本円でよければ」
財布を取り出して、中の5000円札を見せてアピールする。ノーティーはそれを見て首を傾げた。
「……ああ! 宿泊代ですか! いいですよ、それよりもやってほしいことがあるので」
「……やってほしいこと?」
なんとなく、「ホテルで働いて」と言われるのかと思った。住み込みで働く。なんらおかしくないことだ。
「俺にできることなら、あと死なないなら」
「そりゃ助かった! じゃ、ちょっと失礼しますね」
そう言うと、ノーティーは伸びる腕で俺を簡単に持ち上げた。困惑する俺を見て、牢記は手を振っている。
「え、ちょっと?」
ノーティーはホテルのあちこちに手を伸ばし、木の板やら鈴やら飴が入った入れ物やらを持って来た。
何が始まるのかと見守っていると、ノコギリやトンカチを持つ手も生えてきていた。一体何をどうするつもりなんだ。
トンカン、トンカンと物を作る音が響く。
俺は髪にくしを入れられたり、写真を撮られたり、服にコロコロをかけられたりした。もみくちゃにされて、なんだかさっぱりした。
身だしなみを勝手に綺麗にされると、出来上がった椅子に座らされた。いつの間にかデスクも用意されている。
銀のネームプレートさえ用意されていた。未知の言語で書かれているが、「地球ユーザー」と書かれていることが分かる。
(名前じゃないのかよ……。)
「あの、なんなんですか、これ」
「あなたの仕事スペースですよ」
ノーティーは上機嫌で言う。
「牢記、今までで一番の仕事をしましたね。地球ユーザーを連れて来てくれるなんて」
「……やらかしたかも。すまない」
牢記は目を逸らした。――目はないが、「検閲済」の字がずれたのだ。それ動くのか。
ノーティーの言葉に嫌な予感がした。俺、というよりも「地球ユーザー」であることを重視する仕事とは。
「さあ牢記、私は電子区域に行ってこれをコピーしてきます」
「え、何を……げ!」
ノーティーが持っていたのは、俺の写真が貼られたチラシ。「地球ユーザー ご依頼なんでもお応えします」と書かれている。申し訳程度の「死なない範囲で!」がやかましい。
「な、ななな、なんですかこれ!」
「さっきの暴漢を生かしてしまった以上、一道様の存在は公になります。なら今公表してもいいではないですか」
「全然そういうことじゃないですよ!」
俺が懸念しているのは「なんでもお応えしたします」だ。こんなの書いたらへんてこな依頼だって来るはずだ。
「地球ユーザーの需要は高い。すぐに依頼が殺到するだろうな」
「う、嘘……」
俺は帰りたいだけだ。異世界で何でも屋を開きたいわけじゃない。
「きっとイァドユーザーや嵐壇ユーザーあたりが押し寄せてきますよ! 儲かりまくり間違い無しですね!」
最初、ノーティーに抱いた印象は「冷静」とか「利発」だった。だが今ではどうだ、彼は信用できない化け物――人間である。脳筋の牢記の方がマシだ。
「ちょ、ちょっと待――」
「では行ってきます! ホテルを空けないで下さいね!」
ノーティーは無数の腕を伸ばして、扉――ではなく、天窓から外出した。オーナーがこんな簡単に自分のホテルを空けていいのか?
「はあ……」
勘弁してくれ。
ただでさえこっちはいきなりの異世界トリップに混乱しているのに、そこに謎の新事業も加えないで欲しい。
簡単な将来設計をしてみても、死ぬ以外の未来が不明瞭である。
それでも現実に帰ることを諦めたわけではない。全く持って。せっかくあんなに勉強して永和に受かったのに、新入生挨拶も聞かずにへんてこタウンで息絶えるなんてごめんだ。
「すご、ミスターが外出てるの久しぶりに見た」
牢記が天窓を見上げる。彼女は用心棒だと言っていたので、ホテルの従業員とはまた違うはずだ。
「あの、ホテルの方はいいんですか? こんないきなりデスクなんか作って」
「大丈夫だ。客はいない」
「え……あ、そうなんですか」
人の気配がしないと思ったが、まさか誰もいないとは。
「前まではもっといたけど、色々あって今はからっぽ」
「あ、今は、なんですね」
俺はこの瞬間、元の世界と同じような緊張感を心に宿していた。二人きり。共通の話題無し。もう一人の喋る方はしばらく帰ってこない。
口下手にとっての関所である。
何か話題はないか。何か、長続きしそうなもの。
「……あの、牢記、さん?」
「牢記でいい。堅苦しいから」
え、と声が漏れた。つまりタメ口で話せということか。
突然ではあるが、許可がないと馴れ馴れしくできないタイプなのでありがたい。
「あ、じゃあ、牢記。牢記はどういう世界から来たの?」
「私は檻島ユーザー。私以外には二人ぐらいしか見たことがない」
それだけ聞くと、日本の地名のようである。ただ頭がそうなっている日本人など見たことないので、やはり異なる世界なのだろう。
「その世界はみんな頭がそうなってんの?」
「いや、死刑囚だけ」
その言葉に度肝を抜かれた。
囚人らしい格好だと思っていたが、まさか死刑とは。
「え、なんで生きてるわけ」
「私の世界では斬首刑というものがあってな、死にはしないが記憶を全て取られるんだ」
そしてこうなる、と自らの頭を指差した。
俺の世界にも概念としては存在するが、彼女がいた「檻島」という世界の刑はかなり過酷なようである。
「だから、何の罪を犯したのかも覚えていない。異瀬横の記憶の方が多いな」
「な、なるほど……」
記憶がないなら安心、かもしれない。死刑になるなんて相当のことをしたのだろうが、彼女の世界の罪の基準がわからないので無闇に遠ざけるのは愚行だ。
「では、次は私だ。オマエ、地球では何の役割だったんだ?」
「俺は……あれ、なんだろう……」
俺は高校を卒業したが、まだ大学に入学していない。自分を説明できる身分が実質存在しないのだ。
一言で何だ? 元高校生?少し見栄を張って大学生?
言い淀んでいると、「検閲済」の文字が歪んだ。目も口もない割に感情豊かである。
「……ニートか?」
「いや、違う! ただ説明の仕方に迷っただけで……」
彼女の世界にもニートがあるのか。咄嗟に否定してしまったが、あながち間違いではないかもしれない。
「……高校生だよ、高校生」
確か、俺は制度上はまだ高校生のはずだ。もう戻りたいとは思わない時期である。ああ、早く大学に行きたい。
「それは……すごく、子供じゃないか。気の毒にな」
「すごくって程じゃないけど」
牢記は俺が見た人間の中で一番背が高い。それだけあればほとんどの人は子供のように見えるだろうに。
そんな話をしていると、上からの光がちらちらと移り変わっていることに気がついた。少し気になって上を見ると、天窓に何かの紙が張り付いている。
「……帰ってくるの早すぎだ」
牢記がそんなことを呟いた。
まさか、と急いで玄関の扉を開ける。ぐらんと鈴が鳴って――顔に紙が押し付けられた。
「わっぷ、なんだこれ……」
それを見ると――自分と目が合った。
「はあ!?」
俺の写真だ。「ご依頼なんでもお応えします」と書かれている。まさか、本当に剃って帰って来たのか?
「あーあー、これは困ったな」
牢記が外を眺めて言った。
――空から紙が、無数に降り注いでいる。
それに写っているのは俺、俺、俺。
地球ユーザー。ご依頼。お応えします。
「これ……これ……」
街ゆくヒトの目線がこちらに集まる。彼らは手にそのチラシを持っていた。
「ふっ……ざけんなよぉぉ!!」
この世界では平穏な生活は来ない。そう確信した。




